2012年6月8日金曜日

友あり,遠方より来たりぬ。上海大学教授陸小聰さん。

 陸小聰(ロ・シャオソン)さんのこと。

 三日前,わたしの携帯に電話が入った。携帯の表示は「公衆電話」。原則として,携帯に登録されていない人の電話にはでないことにしている。どうしても必要があれば,留守電に記録が残されるはず。それを確認してから,こちらから電話を入れる。ところが,ほとんどの場合は留守電も入ってはいない。

 「公衆電話」。この文字を睨みながら,どうしたものか,と瞬時,考える。が,なにか虫の知らせのようなものがあった。電話にでてみる。「先生,お久しぶりです」と言って,しばらく間がある。「あれっ?」どこかで聞いた声ではある。しかし,思い出せない。しかも,「公衆電話」から携帯への電話である。なにか急用のようにも思える。なにか助けを求めているのかな?と考える。しかし,そのあとのことばは「わたしはだれでしょう?」そういって笑っている。

 こういう方法は茶目っ気のある韓国からの留学生がよくやる手である。しかし,韓国なまりの日本語ではない。しかも,韓国の人は,みんな携帯をもっていて,そこから電話をしてくる。「公衆電話」だ。またまた,考える。「申し訳ない。声にはなじみがあるが,思い出せない」とわたし。「そのむかし,先生の教え子にロ・シャオソンという人がいませんでしたか」「アーッ」と大声のわたし。

 日本での生活が長かった陸(ロ)さんだから,日本語が上手なのはよくわかるが,それにしても日本を離れてから長い時間が経過している。にもかかわらず,かれの日本語は衰えていない。多くの中国の留学生は,みごとな日本語をマスターするのだが,中国に帰るとこれまた不思議なくらいに中国なまりの日本語になってしまう。が,陸さんの日本語はたしかなままだ。だから,まんまとかれの術中にはまってしまった。電話をとおして,二人で大笑い。

 中国に帰ってからも苦労の多かったかれだが,数年前から上海大学社会学部の教授のボストを得て,いまでは生涯スポーツに関する全国組織の中枢部での仕事もこなしている。いまや,中国にあっては必要不可欠の人材である。

 その陸さんと,昨夜(7日),渋谷で会って旧交を温めた。話す声が大きくなっている。自信の表れだ。仕事が充実している証拠だ。上海大学教授になったばかりのころに逢ったときには,声が小さかった。どうしたの?と聞いてみると,まだなんとなく中国の生活になじめない,という。いわゆる,逆カルチャー・ショックというやつだ。日本の生活があまりに長くなると,すっかり日本人になってしまっている。だから,こんどは中国人にもどるのに時間がかかる。なにかがぎくしゃくしていて,落ち着かないという。

 おまけに,同僚の社会学者たちとの議論にも負けてしまう,という。わたしは,中国の社会学者はジョルジュ・バタイユのことはあまり知らないはずだから,そこを起点にして論陣を張ればいい,と助言。かれが院生だったころには,すでに,ジョルジュ・バタイユをテクストにしてゼミをやっていたはず。もし,そうでなくても,研究会ではバタイユの話をわたしは繰り返ししていたはず。そして,アカデミズムの王道とはやや異なる視点を導入することが,新しい研究を切り開いていく上で大事なのだ,とかれに言った覚えがある。そのときの印象では「ああ,そうか」という納得の仕方をしてくれたように思う。

 いずれにしても,頭のいい男である。納得すれば,あとは早い。どんどん,自分の道を突き進んだはずである。その結果が,大きな声と大きな身振りの話の仕方となって,いま目の前で表出している。わたしが話に割って入るのがたいへんなほどである。「完璧なる中国人になったね」とわたし。「これでないと中国ではやってはいかれないので」と言ったあとすぐに,「済みません,ここは日本でした」と笑う。

 それからあとは,中国社会の不思議な成り立ち(バランス感覚)について,かなり立ち入った話をしてくれた。中国についての情報が少ないわたしにはとても勉強になった。あれこれ質問をし,その応答を聞いているうちに,日本だって東京電力がこれほどまでに政界を牛耳り,財界はもとより,官僚や学界までも支配し,しかも,マスメディアとも癒着していたという事実が明るみにでてきて,びっくり仰天している,とわたし。アメリカなどは,財界と政界は一心同体だから,人材だって,その間を行ったり来たりしている。でも,こういう時代もそろそろ終わりだね,そして,どこに,どのように突破口を見出していくか,これがこんごの大きな課題だね,というところで二人の意見は一致。

 あまりお酒の強くない陸さんではあるが,話に熱が入るとお酒の量もけっこう進む。その勢いに乗じて(お互いに),ことしの8月末に上海大学でシンポジウムをやりましょう,という話になった。「よし,やろう」とわたし。

 一夜明けたいまごろになって,あんな約束をしてしまったが,大丈夫だろうかと不安になる。まあ,その場の勢いというものは大事だ。やれるところまでやるしかない,といまは覚悟を決める。ひたすら前に進むのみ,と。これから,二人の交流がもっともっと深まればいいなぁ,と楽しみではある。

 帰り際に『スボートロジイ』を渡す。すると,ただちに,第2号には原稿を書きたい,という。では,ことしの12月末までに原稿を書いて送ってください,と依頼。即答でOK。できる話というものはこんなものだ。できない話はいくら努力しても不成立。

 友あり,遠方より来たりぬ。また,愉しからずや。
 こういう人生を大事にしたい。一期一会。

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