2012年7月8日日曜日

「布引の瀧」(新神戸駅から400m)に行ってきました。

新幹線の新神戸駅から400mのところに「布引の瀧」があります。新幹線の駅の下に降りていくと,「←布引の瀧・400m」という案内板もあります。

以前から,友人のTさんから,一度,案内しますというお誘いを受けていたのですが,なかなかそのチャンスがありませんでした。が,今日(7日),ようやくそのチャンスをつかむことができました。

日曜日ということもあって,午前10時ころの新神戸駅の下の広場には,登山の出で立ちの中高年の団体さんがいっぱいでした。なかには,幼稚園のこどもたちを引率する団体もいました。みなさん,きちんとした登山姿。この人たちは,たぶん,「布引の瀧」を経由して,頂上まで登り,さらに足を伸ばして六甲山の方をめざすようです。わたしたちは,普段着のまま。なんだか,申し訳ないなぁ,と思いながら登りはじめました。400mさきの「布引の瀧」まで行くだけですから。

Tさんは,学生さんを引率してトレッキングなどの授業も展開している野外活動の専門家です。言ってみれば,この六甲山系は手の内も同然。そのむかし,この六甲山系を自分の庭のように楽しんでいた加藤文太郎を思い出しながら,Tさんも同じだなぁ,とひとりごとを言いながら登りました。

新幹線の下をくぐり抜けるようにして登山口にとりつきます。もう,そこで大きな発見がありました。いつも乗り降りしている新幹線の駅のプラットフォームの真下を「布引の瀧」から流れ落ちてくる川が音を立てて流れているではありませんか。いつも,プラットフォームから山側を眺めると,眼の前に岩肌が迫っていて,崖崩れが起きたらこの駅はひとたまりもないなぁ,などと呑気なことを考えていました。が,なんのことはない,足下は川でした。

登り口から一気に石段がつづきます。その石段の歩幅がわたしの寸法に合わず,中途半端な歩き方を強いられてしまいます。が,そのさきはさらに急になり,こんどは歩幅が狭すぎるくらいになってきます。元気のいい若い人たちがとっとと追い抜いていきます。わたしとTさんはゆっくりと,一歩一歩楽しむように歩いて行きます。典型的な山屋さんの歩き方です。わたしも若いころには南アルプスを中心に,かなりの熱を入れて歩いていましたので,山屋の端くれぐらいの知識はもっています。ですから,あんなに急いで登っていかなくてもいいのに。しかも,すでに荒い息遣いをしながら。まあ,それも経験のうち,と見送りながら,あちこちの景色を堪能しました。

やがて,瀧がつぎつぎにみえてきます。どれも立派な瀧なのに,Tさんはちらりと見るだけで,さきに歩いていきます。その山道のここかしこに万葉集や古今和歌集などにでてくる歌人たちの歌碑が立っています。読めそうな歌碑の前では足を止めて読む努力をし(ほとんどは苔むしていて読めない),それとなく雰囲気を嗅ぎ取ることを楽しみました。

やがて,大きな音が聞こえはじめたら,これが「布引の瀧」です,とTさん。ものすごい轟音です。この数日間,山には相当の雨量があったようで,怒濤のように大量の水が落ちています。瀧つぼの手前にある展望台に立つと水しぶきを浴びてしまうほどです。仕方ないので,ちょっと右手に登ったところの眺望のいいポイントをみつけて,しばし鑑賞しました。瀧はいいものです。なにか不思議な世界に連れていってくれます。

Tさんの話では,いつもは,糸を引くような瀧で,布が張りついているようにみえるので「布引の瀧」という名がついた,という。こんなに水量の多いのは初めてです,とのこと。その意味ではラッキー。迫力満点の瀧を眺めていたら,ここから200mほど登ると神戸市が一望できる展望台がありますが,どうしますか,とTさん。折角なので行ってみましょう,とわたし。

なるほど,急な坂道を登ってきたので,すでにかなり高いところに立っていました。神戸市の高層ビルがこの山の自然に囲まれるようにして建っていました。海に広がるポートアイランドや,そのさきにある神戸空港もみえました。左手には六甲アイランドも見えました。なかなかの眺望で,やはり,ここまで登ってきてよかったなぁと思いました。

帰路は,また,別の登山道を通って景色を楽しみながら降りてきました。
考えてみれば,久し振りに山道を,それもかなりの急坂を歩きました。わたしの両脚は,遠い過去の記憶のなかに埋もれている,心地よい刺激を楽しんでいるようでした。まだ,ゆっくりなら,歩けるではないか,といささか自信をとりもとしました。でも,わたしはもう本格的な登山は遠慮しようと思っています。その理由についても,また,いつか書いてみいたと思います。

その理由のひとつは,今日もたくさん見かけましたが,両手にストックを持って,それにすがるようにして歩いている,すなわち,片足加重もできない中高年の登山家の姿を見たくないからです。衣装も装備もなにもかも立派。なのに,片足加重という登山の基本ができていない。だから,歩く姿勢が不自然。一歩一歩,からだの軸ができていない。姿勢がくずれている。山を歩く人の姿は本来,美しいものです。その美しさが備わっていない登山家には会いたくないからです。

ここにも,「テクノサイエンス経済」の魔の手が忍び込んでいます。困ったものです。

でも,何人かの高齢の方の,みごとな片足加重の美しい歩行に出会うこともできました。まだまだ,健在なんだ,美しい登山家も,となんだか嬉しくなりました。また,機会があったら,この「布引の瀧」くらいなら,ちょいと覗いてみたいなぁ,と思いました。からだが喜んでいる声を,久し振りに聞くことができました。Tさん,ありがとうございました。

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