2012年7月5日木曜日

連続講演「スポーツとはなにか」・第二回「伝統スポーツの存在理由について考える」のレジュメ。

明日の講演用のレジュメがようやくできあがりましたので,紹介しておきます。
いろいろご批判いただければ幸いです。

連続講演「スポーツとはなにか」
日時:2012年7月6日(金)14:30~16:00
場所:神戸市外国語大学三木記念会館
稲垣正浩(神戸市外国語大学客員教授/「ISC・21」主幹研究員)

1.「スポーツとはなにか」連続講演の全体の見取り図
第1回:スポーツのルーツについて考える・5月10日(木)
第2回:伝統スポーツの存在理由について考える・7月6日(金)
第3回:グローバル・スタンダードとしての近代スポーツについて考える・11月30日(金)
第4回:21世紀を生きるわたしたちのスポーツについて考える・1月25日(金)

2.第2回目の話のおさらい・・・ヒト(動物)が人間になるときに起こったこと/動物性と人間性に引き裂かれた存在=人間(存在不安)/そのための折り合いのつけ方/超越するもの(カミ)への祈り/供犠・儀礼・祭祀・贈与・消尽(祝祭の時空間=ディオニュソス的時空間・酒池肉林)/祈り・舞い踊り・歌・力くらべ・スポーツ的なるもの/古代オリンピアの祭典競技(聖と俗とのはざま)

3.伝統スポーツの存在理由について考える
3-1.伝統スポーツとはなにか(民族スポーツとの違い)
3-2.伝統スポーツの存在形態のさまざま(映像で確認)
3-3.祭祀儀礼/神聖なるものの世俗化/遊び・娯楽
3-4.いくら世俗化しても捨てきれないものが残る・・・「聖なるもの」(=「呪われた部分」=「動物性」)
3-5.伝統スポーツとは「聖なるもの」への回帰願望の表出形態のひとつ。
3-6.「呪われた部分」=「動物性」への回帰願望の表出
3-7.人間性が抑圧・隠蔽・排除してきた「動物性」への回帰願望を再現するための文化装置=伝統スポーツ
3-8.「動物性」=「呪われた部分」と,「人間性」=「有用性」の葛藤
3-9.逆の見方をすれば,「動物性」=「呪われた部分」を封じ込めるための文化装置=伝統スポーツ
3-10.伝統スポーツの存在理由は,抑圧・隠蔽・排除されてきた「動物性」への回帰願望を再現することによって,「有用性」(近代合理主義)に偏りすぎてしまった「人間性」のインバランスを修正して,本来の「人間」そのものをとりもどすことにある。

主な参考文献:マルセル・モース著『贈与論』/ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』『呪われた部分 有用性の限界』/ピエール・ルジャンドル著『ドグマ人類学総論』『同一性の謎 知ることと主体の闇』/西谷修著『理性の探求』/稲垣正浩編『スポートロジイ』,ほか。

以上です。
ご批判をいただければ幸いです。

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