2014年12月5日金曜日

新国立競技場建造計画 目に余るずさんさ。

 東京五輪2020に向けて,東京五輪1964の折に建造された国立競技場を解体して,新国立競技場を建造するという計画が,ここにきて頓挫してしまっている。その原因は,ひとえにこの事業主体であるJSC(日本スポーツ振興センター)の計画のずさんさにある,と言ってよいだろう。それは,もはや常軌を逸した,目に余るものだと言ってよい。

 その要点を『ひろばユニオン』(労働者学習センター発行,12月号,P.14~16.)に投じたので,それを転載させていただこう。





 
以上から明らかなように,実際にこのようなことが文部科学省の所管団体であるJSCを中心にして,いまも進展しているのである。東京五輪2020後にも重要な役割をはたすことになるであろう新国立競技場の建造計画が,その場の行き当たりばったりの,まことに無責任な方法で推進されている。こんな重要な事業計画にもかかわらず,ここでも「民意」を顧みない,非民主主義的な手続のまま,なんの恥ずかしげもなく執り行われているのである。

 こうした傾向は,わたしの印象では,とりわけ「3・11」以後,政府を筆頭に顕著になってきたように思う。明治以後の日本近代を支えてきた良識が一気に崩壊してしまった,という印象である。いま,まさに,「破局」を目の前にして,なんでもありの「暴力」が一気に噴出しているかにみえる。その先陣を切っているのが「アベノミクス」であり,それに連なる悪評高き法案ではないか,と。そして,いまや社会現象となってしまった意味不明の不祥事(だれでもいいから殺したかった,など)も,その元を尋ねていけば,行き着くのは「政治の貧困」ではないか,と。

 ここまでくると,新国立競技場建造計画の眼に余るずさんさも同根であることが,次第にはっきりとしてくる。このままの政治情況が継続していくとなると,もはや,日本丸沈没に向かってまっしぐら,というシナリオがますます明白になってくるように思う。困ったことだが,これが現状だ。

 たかが,新国立競技場建造計画ではすまされない。そこにはとてつもなく大きく,しかも根深い問題が隠蔽されている。このことを銘記しておきたい。

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