2012年7月11日水曜日

大津中,男子生徒の自殺問題。「見て見ぬふり」「無責任」が日本中に蔓延。

毎日,毎日,新聞を読むのがつらい。かといって,インターネット情報は新聞よりももっともっと怖い情報が日々流れている。いったい日本という国はいつからこんなに堕落してしまったのだろうか。わたし自身の74年の人生と重ね合わせながら考え込んでしまう。

それにしても,大津中の男子生徒の自殺問題。事態が明るみになればなるほど,ますます人間不信に陥ってしまう。こんなにも教育の現場は荒廃してしまったのだろうか,と。わたしのかつての教え子たちの多くは学校の教師になり,いまも現場で指導にあたっている。かれらとは,定期的に会って,いろいろと現場の話を聴かせてもらっている。少なくとも,わたしのところに伝わってくるかぎりでは,現場は相当に大変なようだ。だから,相当に頑張らないとやっていかれない,という。とりわけ「いじめ」に関しては細心の注意を払いながら,大事にいたる前に必死で格闘しつつ(この内容についてはあまり赤裸々に書くことができないほど),「いじめ」に遭遇している生徒を守っているという。にもかかわらず,そういう教師の不足している学校では「無責任」に放置されてしまい,不幸な事件が起きてしまうのだろう。

それにしては,全国各地に,「いじめ」に遭遇している生徒を守れない学校が相当数ある,ということが日々明らかになっている。しかし,文部科学省が把握している数字は不可解で,恐ろしいほどだ(今日の『東京新聞』「本音のコラム」井形慶子さんの「見て見ぬふりの根深さ」による)。2010年文科省が発表した「児童生徒の自殺の状況」によると,命を絶った156人中,「いじめ」で自殺したのはわずか4人。周囲から見ても普段と変わらず,特に悩んでいる様子もないとされる「不明」が最多の87人。「極めて不自然ではないか。本当に追跡調査をしたのだろうか」と井形さんは書いている。

これが文科省によって公開された数字だ。その数字が示す意味は,井形さんの仰るとおり「不自然」だ。もっと恐ろしいことは,「自殺」と判定されないまま,別件(不慮の事故,など)として処理された生徒の数が相当数にのぼるのではないか,と推定されることだ。要するに「うやむや」にされたまま処理されてしまう実態調査こそが問題だ。

今回の事件も,3回も被害届を受理しなかったという警察の姿勢に,如実に現れている。つまり,もみ消しだ。これはすでに情報として流れているように,加害者の生徒のひとりの親は警察関係者だという。こんご事実は次第に明らかになると期待したいが,はたしてどうか。3回も被害届を拒否した滋賀県警が,とうとう専従の捜査班を編成して,「暴行容疑」事件として中学校と教育委員会の強制捜査に踏み切った(11日午後7時37分,大津市教育委員会に)。警察庁によれば,「いじめ」が背景にある場合には,学校と教育委員会から証拠の「任意提出」を求めるのが通例だという。ついでに,被害届を受理しなかった県警の姿勢も別の容疑で捜査の対象にしてほしい。

こんなことをじっと考えていると,原子力ムラの体質がそのままある特定の中学校・教育委員会・警察に蔓延していただけの話ではないか,ということに気づく。「見て見ぬふり」をする,「やることはやった」「責任はないと居直る」,このことは「3・11」後の日本では当たり前のことになってしまった。現に,「3・11」の原発事故に関しては,だれも責任を問われていない。あんなに「無責任」と批判されても,それを断定する「証拠」がない,という理由で。要するに原発の事故原因の真相がわからないことをいいことにして,時間稼ぎをしているとしか考えられない。つまり,ルールや法律を楯にして身の保全につとめているだけの話だ。それと同じことが日本の組織の末端まで蔓延しているかのように思えて仕方がない。

かく申すわたしなども,電車の中で「いじめ」に等しいような行為をする無頼漢に遭遇しても,できることなら「見て見ぬふり」をしていたい。数年前までは滅多にお目にかからなかった車内で「お化粧」をはじめる女性たち,食べ物を広げて周囲をはばかる様子もなく食べはじめる若者たち,車内をわがもの顔で駆け回る子どもたち,それを止めようとはしない親たち,など,いまでは当たり前になってしまっている。みんな「見て見ぬふり」をしている間に,それが当たり前になる。

そういう風潮がますます蔓延しつつある。
教育現場でいえば,一部の教員,校長,PTA,教育委員会,文部科学省,警察,とうとうが一丸となって「見て見ぬふり」をする。つまり,ことなかれ主義の体質が広がりつつある。それは大学でも,大学院でも,基本的に同じだ。ひょっとしたら,大学の方がもっと質が悪いかもしれない。要するに「無責任」体質の蔓延である。「知らなかった」ことにすれば,証拠がないかぎり責任は問われない。君子,危うきに近寄らず,だ。いつのまにか,みんな「君子」になってしまったというわけだ。困った世の中になったものだ。

それが,政府を筆頭に政治家,官僚,学界の偉い先生,メディア,といった日本の中枢を占める人たちが先陣を切っているというのだから,もはや手のつけようがない。しかも,政府よりも偉い「東電」の患部(幹部)は重症だ。もう,どうしようもない。あなた方の「理性」は完全に狂っている。

もう,こうなったら,自分の命は自分で守るしかない。場合によっては家族ですら頼りにはならない。幼い子どもをもつ母親の感性しか,いまのところ信頼できるものはなくなってしまった。その母親の一部もまた崩壊しつつある。もう,ほんとうに一人ひとり,バラバラにされたまま,国民は日本社会という「砂漠」に投げ出されたも同然である。

こういう状況は,1920年代の後半にドイツの独裁者ヒトラーが選挙によって登場したときと,とてもよく似ている。しかも,そのヒトラーになりそうな人物が多くの支持を受けている,というのだから恐ろしい。もう一度,冷静になって,まともな「理性」をとりもどすしか方法がなさそうだ。それができなかったとき,日本はまたまた暴走をはじめそうだ。それは,一重にわれわれの責任だ。心せねばなるまい。

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