2012年5月21日月曜日

津波の被害がほとんどなかった鵜の岬(北茨城)周辺の海岸。

鵜の岬の国民宿舎の北側に隣接して海水浴場がある。高台にある国民宿舎から北を眺めると,右手(東側)に海,左手(西側)に長い砂浜,さらに左手にさほど高くもない堤防があって,その堤防に隣接して防砂林の松林が帯状に北に伸びている。その防砂林のすぐ西側には一般の民家がある。この地帯一帯はほとんど津波の被害はなかったという。

国民宿舎はやや高台に建っているが,海岸に隣接している。つまり,海岸の絶壁の崖の上に建っている。が,一部は海岸に降りて行かれるようにコンクリートの階段が入江の砂浜につながっている。この地帯一帯は,天然の鵜の棲息地で,たくさんの鵜が海面に浮かんでいる。その砂浜に降りていくコンクリートの階段のところに「津波到達点」という標識が立っている。目測では海面から5mくらいのところだ。

つまり,この鵜の岬と,それに隣接する海水浴場のある砂浜のあたりにやってきた津波は5m前後だった,というのだ。だから,このあたりはほとんど津波による被害はなかったという。

しかし,この鵜の岬の南側と少し離れた北側の海岸は大きな津波に襲われて,たいへんな被害を受けたという。なぜ,こんなことが起きたのか,国民宿舎の従業員で津波情報に詳しい人に聞いてみた。すると,つぎのような説明がかえってきた。

鵜の岬の海岸から東の沖合に向けて岩礁が10キロメートルほどさきまで伸びている。だから,魚もたくさんいるし,鵜の棲息地としてはまことに適している。この沖合まで伸びている岩礁が津波の侵入を防いだ,というのである。

もう少し精確に言えば,沖合から押し寄せてきた巨大な津波は,この岩礁に抵抗されて二つに分断され,北と南に分かれて海岸に押し寄せてきた。だから,鵜の岬の南側も北側も大きな被害を受けたが,鵜の岬に達した津波は南北に分散した残りの,力の弱いものだった,というのである。「地の利」ということばを思い出していた。

なるほど,こういうことなのか,と納得。
自然というものは,まことに正直なものだ。だから,むかしから津波の被害はほとんどなかった地帯だったと言い伝えられている,という。やはり,民間伝承にはそれなりの意味があるのだ。それを科学的根拠がないという理由で否定してきた「近代」という時代の,理性中心主義,つまり,科学中心主義の方に,むしろ落とし穴があったというべきだろう。自然現象のスケールの大きさに比べたら,科学が明らかにした事実などは微々たるものにすぎない。にもかかわらず,その「科学」に全面的な「信」をおき,そこにもたれかかった「近代」の奢れる「理性」,狂った「理性」こそが,いま問われている。

原発推進もまったく同じ路線を突っ走った結果である。

自然の猛威をあなどってはならない。つまり,自然は「神の領域」だ。その神の領域に人間が踏み込み,自然には存在しない元素に手を出してしまった。その結果がフクシマだ。

そんなことを考えながら,高台の上の9階にある大浴場から海を眺めていた。そんなときに,きちんと地震がやってきた。震度3。現地に身を置いて考えること。その重要性をからだで確認した旅だった。

0 件のコメント: