2010年7月13日火曜日

うどん供えて,母よ,私もいただきまする(山頭火)

 標題にかかげた俳句は,「自己ならざる自己」になりきった種田山頭火の境涯を示す傑作だといわれている。
 山頭火は,生涯の後半を放浪の旅ですごしていた人なので,まさか母上のお位牌を持ち歩いていたとは考えにくい。だとすれば,「うどん供えて」は,どこに向けて供えたのだろうか,とわたしは考える。旅の途中だったとすれば,うどん屋のテーブルの上にぽつんと置いて,山頭火の頭のなかでは,亡き母に供えたつもりだったのではなかったか。そして,供えたつもりの山頭火は,いつのまにか亡き母になりきっていて,こんどは亡き母の側から「お前もお食べ」という声を発する。その声を聞いた山頭火は「私もいただきまする」と応答していく。たぶん,そこに供えられたのは一杯のうどんだったに違いない。その一杯のうどんを母と山頭火は分け合って食べるのではなくて,母と山頭火はとうのむかしに一体化していて,二人が同時に一杯のうどんを食べている。母と山頭火の間に仕切りはない。そこには,「無」(あるいは「絶対無」)を通過して,自他を超越した「自己ならざる自己」になりきっている山頭火が存在するのみ。
 あるいは,こうも読み取ることができる。
 うどんを供えて,山頭火は「母よ」と呼びかける。すると,母は「私もいただきますよ」と応答した,と。呼びかけたはずの山頭火が,そのまま母になっていて,「いただきます」,と。あるいはまた,うどんを供えて,お母さん,私もいただきますよ,と言いつつ一杯のうどんを食べている,と。そのとき食べている人は山頭火であり,同時に「母」でもある,と。山頭火は母であり,母は山頭火なのである。「自己ならざる自己」というわけである。
 以上は,わたしのかなり強引な独解である。一般的には,平常そのものを,そのまま写し取った俳句として,いかにも山頭火らしいと評価されている。しかし,その平常そのもののなかにこそ,深い味わいが折り重なっている。それをそこはかとなく感じさせる。平常なるがゆえに,あるいは,あまりの平常さに虚を突かれる,そういう句ではある。そういう意味では,この山頭火の俳句は,そのまま,うどんを供えて,お母さん,わたしも食べますよ,と呼びかけていると読んでおく方がいいのかもしれない。禅では「平常心是道」と教えている。
 「十牛図」の第十図の読解では,上田閑照は驚くべき地平を示してくれる。第十図は,布袋さんのような老人とこれから修行に出ようとする若者とが往来でばったりと出会う。そして,なにやら会話をしているように見える。上田閑照はつぎのように述べる。
 「出会って互いに頭を下げて挨拶する。それはたんに礼儀の交換には尽きない。頭を下げるのは,相手に対してであるが,下方に向かってである。すなわち自他を底から包むところの,底なき深みの中へである。互いに我(われ)という我(が)を折って頭を下げ(頭を下げるのは我(が)を折ることの具体である),互いに我を深く無にしつつ,我もなく汝もない,自もない他もないというところにいったん還って,そこからあらためて向かい合う。それは同時に,「我と汝」の既成の関係にしばられたあり方をいったん離れたところから,新たに出会うことである。」
 日本の伝統的な武術の多くは「礼にはじまり,礼に終わる」という作法を大切にしている。このことはよく知られているとおりである。しかし,上田閑照のような解釈をきちんと教えている武術家は,はたしてどれほどいるのだろうか。礼をする,つまり,頭を下げるというきわめて単純な作法のなかに,これほどの意味が籠められているとは,じつは,わたしも知らなかった。まずは,頭を下げて,お互いに我(が)を折って,無になり,自他の区別のないところに立ち,その場所からあらためて向かい合う。すなわち,「立ち合う」。それは,それまでのあらゆる既成の関係をすべていったん断ち切って「無」にし,そこを通過してのち,「自己ならざる自己」,すなわち「真の自己」となり,まっさらな状態で,まったく新たな「出会い」をすること,を意味する。
 上の文章につづけて,上田閑照は,さらに,意外な地平にわたしたちを導いていく。
 「このように互いにまず,自もなく他もない底なき深みに自己を無にしてゆく,いったん無底の開けに自己を無化してそこから甦る(それではじめて真に自己)。という仕方で互いに向かい合うのである。その場合,自もない他もないところ(すなわち第八の境位)と「自他の全体が自己」(第十の境位)が相即的に成立するのである。自なく他なき自他未分のところをふまえて甦った自己であるから,自他の向かい合いでありながらその向かい合い全体が自己なのである。しかしこれは,あくまで,自なく他なき無に自己を無化した「自己なし」と相即的にのみ成立する。故に,向かい合った自他を逆に自己なくして他にすべて委ねることができるのでなければならぬ。しかもさらに,自なく他なきところから甦って向かい合う時,同時に甦りの具体として「いい天気ですね。(あるいは,ひどい雨ですね。)」(すなわち第九の境位に当たる)。自他を包む場にすっかり開かれていてそこに現前する自然が私なき交わりの最初の共同具体になるのである。」
 「いい天気ですね」という挨拶もまた,わたしたちが日常的にしている挨拶と違い,無を通過したのちの「自己ならざる自己」による挨拶はまた別の意味を帯びてくる。つまり,天気をも自己の開けのうちに取り込み,「いい天気」そのものになりきってなされる挨拶は,形骸化された日常の挨拶とはまったく別のはたらきをもつことになる。お互いのこころの奥深くまで響き合い,お互いをつよく結びつけ,生命力の躍動する関係性がそこから立ち上がってくる。
 うどん供えて,母よ,私もいただきまする。
 この俳句が,わたしたちのこころをとらえて離さないのはなぜか。そして,このことばの並び方だからこそ,つまり,あまりの当たり前さ,自然さ,平常さだからこそ,わたしたちのこころに響いてくる,虚を突かれるような強度が,そこにはある。山頭火は,すでに,うどんにもなりきり,母にもなりきり,そして,私にもなりきり,「いただきまする」という。
 「十牛図」の第九は「返本還源」であり,ただ,流れる川とその岸辺に花の咲いた木が立つ,ただ,それだけの絵である。そこに寄せられた頌には「水は自(おのずか)ら茫茫(ぼうぼう),花は自ら紅」とある。自然の有り様をそのまま描き,自然そのままの頌が添えられている。ただ,それだけである。山頭火の俳句は,この境涯とも響き合っている。
 山頭火は,第一図から第七図までの修行をとうのむかしに終えていて,しかも,その到達した禅定をもかなぐり捨てて,第八図の空円相のなかに身を投げ出し,絶対無の真っ只中に身を置きつつ,第九図や第十図の境涯に遊ぶ。その境涯を山頭火はことばにして発する。それが,かれのめざした自由俳句の世界だったのだろう。俳句の形式も季語もいっさい無視して,自他を超えた世界の会話を楽しむための方法,それがかれの自由俳句だったのだろう。
 まさに「遊戯三昧」の境地である。
 
 
 

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