2013年8月26日月曜日

18世紀に描かれたローマのコロッセウム(円形闘技場)。



 連載「絵画にみるスポーツ施設の原風景」第27回(『SF』月刊体育施設,8月号,P.18.)は古代ローマのコロッセウムを取り上げてみました。典拠文献は,The Colosseum by Philippo Coarelli Gian Luca Gregori, Leonardo Lombardi, Silvia Orlandi, Rossella Rea, and Cinzia Vismara edited by Ada Gabucci, translated by Mary Becker, The J.Paul Getty Museum, 2001. です。この絵画にはつぎのようなキャプションを書きました。

 ふつうにはコロッセウムと呼ばれているローマの円形闘技場。描いたのはロシアの画家フィヨードル・マトヴェイエフ(Fjodor Matveiev 1707~1739)。なんとものどかな風景のなかに廃墟のままコロッセウムが描かれています。これが18世紀初めのコロッセウムの姿だったのでしょう。

 こんにちのわたしたちの眼には迫力満点の巨大なコロッセウムの写真のイメージが鮮烈に刷り込まれています。実際に現地に尋ねてみますと,もっと迫力があります。いまは,ローマの市街地となっていて,コロッセウムの周囲は幹線道路がとりまき,多くの車が走りまわっています。わたしたち観光客は,地下鉄から地上に出てきた瞬間に,すぐ目の前にコロッセウムを仰ぎみることになります。びっくり仰天してしまいます。

 高さ48.5m,長径188m,短径156m。こんな楕円形の巨大な,しかも崩壊状態の建造物が目の前に迫ってきます。思わず足を止め,あとずさりしそうになります。収容能力は約5万人。ティトゥスにより80年に完成しました。

 ここで剣闘や人間と野獣の,血で血を洗うような凄惨な格闘が演じられました。ときには,アリーナに水をはって軍船を浮かべ,海戦ゲームまでもが演じられました。しかも,驚くべきことに,そのアリーナの下は剣闘士や野獣を収納する部屋が無数につくられています。

 こんな巨大な円形闘技場(アンフィテアター)が,イタリアの各地に建造されたばかりではなく,ローマ帝国の植民地のいたるところに建造されていました。この円形闘技場と同時に,キルクスと呼ばれる四頭立ての馬車(戦車)による競技場も建造されていました。しかも,ローマには大浴場まで建造されていました。それも巨大な体育館を何個もつなぎ合わせたような大きさです。

 これらは皇帝ネロに象徴されるように,まさに皇帝権力の偉大さを見せつけるための,みごとなまでの民衆懐柔のための文化装置でした。有名な「パンとサーカスを」という民衆の欲望を,もののみごとに表現することばも,こういう背景から生まれてきました。

 皇帝の思惑どおりに,ローマ市民を飽食と娯楽に熱中させ,余分なことはなにも考えない「思考停止」状態に導き,いともかんたんに市民たちの「自発的隷従」を手に入れたという次第です。

 以上です。

 こんな図像を提示したのも,じつは,世界陸上や甲子園野球の熱戦にうつつをぬかしているわたしたち日本人もまた,古代ローマのコロッセウムで「パンとサーカス」を求めたローマ人たちと,基本的にはなにも変わってはいないということを意識したからです。フクシマの現状はますます深刻化し,土地を追われた人びとの帰郷の夢はいまもなおはたせないままです。一方,沖縄の基地負担はますます増大し,ついにはオスプレイが当たり前のように本土上空をも飛び回るようになりました。そういった政府にとって都合の悪い情況に蓋をするには,大きなスポーツ・イベントが大いに役立つことを,安倍政権は充分に計算し,折り込み済みのようです。

 こんにちの巨大なスポーツ・イベントは(オリンピック招致情報はもちろんのこと),多くの日本人の「思考停止」と「自発的隷従」を生み出すための偉大なる文化装置として大いに貢献している,と言いたかったわけです。スポーツはもはや,単なる遊び・娯楽では済まされないとてつもなく大きな存在になってきていることを,少しでもわかっていただければ・・・・と切に願っているところです。

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