2012年1月10日火曜日

いつまでつづく泥濘ぞ。非常時の自覚が足りぬ政治家たち。

平和なときの党利・党略の争いは,下手な猿芝居をみるより面白い。しかし,いまは非常時なのだ。そんなときに党利・党略のせめぎ合いをしている場合ではないだろう。なのに,自民党も情けない。かつて,政権をとる前の民主党と同じことをやっている。しかも,「3・11」を通過したあとの,この非常時だというのに。いったい目ん玉ァどこについてんだっ,と怒鳴りたくなる。

土壌・野田首相は,被災地のことで頭がいっぱいだ,という。ならば,もっと泥鰌らしく泥んこになって働けばいい。被災地の人びとの側に立って。なぜ,財界の側に身を寄せてしまったのか。それでは,泥鰌にはなれません。泥鰌を生かすも殺すも自由自在の,泥鰌の飼い主である土壌(財界)の側に身を寄せているかぎりは。それでいて,被災地のことで頭がいっぱい・・・・とは。聞いて呆れる。蛙の面に水,の蛙の顔にみえてくる。

メディアの報ずるアンケート調査によれば,国民の約7割が原発推進に反対しているというのに,なぜ,それを無視して財界の望む原発推進に与するのか。政権交代した民主党の使命こそ,自民党の推進してきた原発を阻止することだろう。にもかかわらず,原発の売り込みに身を入れるのか。それでいて「被災地のことで頭がいっぱい」だという。いい加減にしろ。

「3・11」以後,日本という国家を動かしている中枢にいる人びとが,みんな「嘘つき」だということが丸見えになってしまった。だれもほんとうのことは言わない。責任をとろうともしない。これが日本という国家の中枢の真の姿だ。

政府・民主党が原発推進というのなら,なぜ,自民党は脱原発を言わないのか。早く,民主党政権を倒して,政権を奪還したいのなら,いまこそ,脱原発に舵を切るべきだ。そうすれば,選挙で圧倒的多数を占めることができる。なのに,そうはしない。なぜか。その理由も,すでに,みんな自明のことだ。しかし,だれ一人として,その理由についてのほんとうのことは言わない。ここでもお互いに嘘をつきあっている。民主党も自民党も,原発推進のほんとうの理由は明かそうとはしない。暗黙の了解事項だとでもいうように。

地震・津波による被災からの復興もまだまだ手も足も出せない。原発事故についての収束はもっともっとさきのさきのことだ。気の遠くなるほどさきの話だ。にもかかわらず,政府は収束宣言をし,平時にもどったかのように嘯く。それもこれも,みんな計算と打算にもとづく演出であり,演技だ。そのようなフリをして,いかにも事態が進展しているかのように錯覚させるためだ。もっとも痒いところに救済の手を差し伸べなくてはならない原発による被災者たちを,一番,怒らせてしまっている。なんのための政府なのか。なんのための政治なのか。

いまからでも遅くはない。わたしたちは,いま,非常時を生きている,ということを周知徹底させることだ。その前提で政治に取り組むべきだ。自民党の協議拒否など,もってのほかだ。敵がいま,目の前で武器をもって攻めてきているというのに,協議にも参加しない,とは。戦闘放棄だ。つまり,政治家放棄に相当する。前線にいる兵を見殺しにしていていいのか。日々の生活も,将来も,なにもみえない状況で,喘ぎ苦しんでいる被災者を見殺しにしていていいのか。政治家は,いま,なにをしなければならないのか,それすらわかってはいない。平時のぬるま湯に浸かりすぎた「ゆで蛙」そのままだ。

ことここにいたってもなお,党利・党略にしがみつく政治家とはなにか。いまこそ,超党派で国家存亡の危機を救うために立ち上がるべきときではないのか。そのリーダーシップをとる政治家よ,いでよ。なんの腐れ縁もない,若きリーダーよ,いでよ。そして,いまこそ「国民の命」を守ることを第一にかかげる,若きリーダーよ,いでよ。

明日で,「3・11」から10カ月が経過する。なのに,まったく先行きの展望がみえてこない。原発を止めるのか,再稼働させるのか。それすら明確にできないままだ。無責任,思考停止,なりゆきまかせ,足の引っ張り合い,党利・党略,私利私欲,傍観者,臭いものには蓋・・・,ああ,もういい。いったい,いつまでつづく泥濘ぞ。非常時としての自覚が足りぬ政治家たちよ(もちろん,それを操る原子力ムラの住民たちよ),それでもあなた方は人間か。血の流れている肉体をもっているのか。妻子はいるのか。

テレビを購入して,わずかに10日余り。すでに,テレビを買ったことを後悔している。毎日,毎日,テレビに向って咆哮するばかり。こうなったら覚悟を決めて,毎日,1時間はテレビと格闘することにしよう。「それは違うだろうっ!」と吼えつづけつつ。いまや,テレビは,わたしの反面教師となりつつある。そう思えばありがたくもなる。

なんだか,全共闘時代の血が甦ってくる。はらはら,どきどきの毎日だった,あの時代を生きていた感覚が。もう40年も前の,あの若き日々の記憶が・・・・。そうなのだ。いまこそ,闘うときなのだ。老いの身に一鞭あてて。いざ,鎌倉。

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