2012年1月12日木曜日

今冬,はじめての結露をみる。本格的な寒さはこれからか。

ことしの冬は暖かい。冬の衣裳で少し歩くと汗ばんでくる。寒がりのわたしでも,手袋を必要とすることは滅多にない。ところが,ようやく昨日の夕刻,前線が通過してから,急に冷え込んできた。夜道を歩くほっぺが冷たくなっている。そのむかし,スキーに行っていたころの雪山を思い出す。

今朝,起きてカーテンを引いたら,窓にほんのわずかながら結露ができていた。ああ,ようやく本格的な冬の到来だ,と妙にうれしくなった。やはり,冬は冷えてくれないといけない。暖かいのはありがたいが,いつまでも暖かいと,これでいいのだろうかと心配になってくる。人間の世界がいい加減堕落してしまっているので,せめて自然だけでもきちんと時を刻んでほしい,と思う。冬は寒くなくてはいけない。

いつもの年なら,暮れも正月も,朝起きたらまず最初の仕事は窓の結露を拭き取ることからはじまる。なのに,ことしは,なにもしなくて済む。ありがたいような,これではいけないような,中途半端な気分だ。冬は冬らしくなってくれないと・・・・。寒がりのわたしでさえ,そう思う。

本格的な寒波がやってくると,例年なら,昼間,書斎に籠もっていても,窓の結露は休むことなくつづく。乾いた雑巾できれいに拭き取っても,すぐに窓はくもり,やがて結露し,そのうちに結露した水滴が上から下へと運動会をはじめる。アルミサッシの窓枠からも滴が垂れ落ちてくる。こうなってくると,仕方がないので,また,全部,拭き取る。そして,窓を開けて雑巾をしぼる。しぼり落とされた水がベランダに一本の川をつくる。多いときには,一気に雨樋用の切り込みまで流れていく。

こんなことを,日に何回もくり返す。これが,いつもの冬だ。しかし,今冬はまだない。今朝の結露も30センチ四方くらいの範囲に,ほんのりと,窓にくもりを描いた程度だ。拭き取る必要もなく,しばらくしたら消えてしまった。それでも,今冬,最初のささやかな結露ではある。これから,もっともっと本格的な寒波がやってきて,毎日,結露との闘いがはじまるようになるのだろう。その予兆というべきか。こういう冬は遅くまでつづき,ひょっとしたら,3月になっても雪が舞ったりするかもしれない。

奈良のお水取りのころに(最後の大たいまつは3月10日ころだったか)は,間違いなく冷え込むと,地元の人たちは言っていたことを思い出す。実際にも,奈良に住んでいたころには,よくお水取りの行事を見物に出かけたものである。そして,大たいまつの日は超満員になるので,その前のウィークデーにでかける。すると,ほとんど人もいなくて,これまた不思議な光景だった。お水取りの儀礼は,たしか2週間つづくと記憶している。その間,まいにち「たいまつ」はあの二月堂の階段を駆け上り,欄干のところでひと踊りして,右手に消えていく。これを,ほとんどまばらにしか人がいない,がらんとした広場から見上げているのも,なんともいいものだった。

明日の朝には,もう少し大きめの結露ができるだろうか。どんな結露でもいい。冬なんだから,それらしく,日々,結露が窓いっぱいに広がり,さらに,その結露が垂れ落ちる運動会が盛んに繰り広げられることを,密かに期待する。時節にふさわしく,せめて自然現象だけでも,元気であってほしい。だから,理屈を超えてこれからは,がんがんと冷え込んでほしい。

今朝の新聞を開いて,またまた,憂鬱になってしまった。原子力ムラは衰えるどころか,ますます元気になってきて,再稼働に向けて着々とつぎなる手を打っている,という。わたしのこころはますます寒くなる。このままでは,こころの中に結露ができてしまいそう。そうならないように,なんとか耐える手筈をととのえないと・・・・と,いささか焦ってしまう。困ったものだ。

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