2012年1月26日木曜日

「3・11」以後のスポーツを考える・講演シリーズについて。

「3・11」以後,わたしはうろたえるようにして「生きる」とはどういうことなのか,と真剣に考えはじめた。それまでの,わたしの頭のなかにあった「生きる」がいかにいい加減なものであったかを恥じながら。要するに惰性の「生きる」でしかなかったからだ。このことが契機となって,それまでつづけてきたジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』読解の取組み方が,根本から変わった。その結果,まったく新たな別の知の地平がみえてきたのである。

この営みの一部は,断続的ではあるが,このブログでも書いてきたとおりである。このことと,おそらく,どこかで連動しているのであろう。「3・11」以後のスポーツを考える,というテーマでの講演や特別講義などの依頼が増えてきた。非公式な場でのそれもふくめると相当の回数になる。そして,そうした場を重ねるごとに,わたしの思考もまた進化していった。とてもありがたいことである。鍛えられたのは,このわたしだったのだから。

その総仕上げとなりそうな講義や講演がこのあともつづく。公的な場でのそれらを,これまでとこれからを合わせて一覧表にしてみると以下のようになる。

〇2011年10月9日(日)午後1時~2時30分,日本余暇学会主催・講演,タイトル:「『3・11』以後の日本人のライフ・スタイルとスポーツ文化のゆくえ──「公」と「私」の交わる場所で,場所:実践女子短大(日野市)。日本余暇学会会員対象。こちらでの講演要旨は,まもなく学会機関誌に掲載される予定。
〇2011年11月30日(水)午後4時40分~午後6時10分,椙山女学園大学主催・特別講義,タイトル:「『3・11』以後の身体について考える」,場所:名古屋市・日進キャンパス。学部学生対象。一般市民にも公開。
〇2012年1月27日(金)午後4時10分~午後5時40分,大阪体育大学主催・特別講義,タイトル:「『3・11』以降を生きるわたしたちにとってスポーツとはなにか──スポーツ史的展望からの考察」,場所:大阪体育大学。大学院生対象。学部学生,その他にも公開。
〇2012年1月28日(土)午後3時~午後6時,「ISC・21」1月奈良例会主催・講演,タイトル:「『3・11』以降のスポーツ文化を考えるための理論仮説──ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』を手がかりにして」,場所:奈良教育大学教職員会館,「ISC・21」研究員対象。奈良教育大学卒業生,学生,その他にも公開。
〇2012年2月3日(金)午後2時30分~午後4時10分,神戸市外国語大学主催・講演,タイトル:「『3・11』以後のスポーツ文化を考える」,場所:神戸市外国語大学三木記念会館,一般市民対象。

以上。ここまで書いていたら,初校校正ゲラがとどいた。その内容もまた「『3・11』以後のスポーツを考える」というタイトルになっている。しかし,このタイトルについては,これから修正の予定。こちらのエッセイは,『myb』みやびブックレット(みやび出版)に掲載され,2月下旬に刊行される予定。4ページほどの短いエッセイである。

気がついてみれば,「3・11」漬けになっていた。そして,このできごとが,つまり「世界史」に残るであろうできごとが,わたしのこれまでの生き方を大きく揺さぶりつづけてきたことも,こうして書き出してみるとよくわかる。それだけではない。このブログをとおしても「3・11」以後の思考や雑感を何回も繰り返して書いている。

「3・11」まで,もうあとわずかで1年が経過する。よくも悪くも,これまでヴェールにつつまれてきた日本の中枢部の腐敗ぶりが,もののみごとに露呈してしまった。そして,「3・11」以前までのわたしたちの「生き方」そのものまでもが,いかにいい加減なものであったかということも,知らしめられることになった。こんな「できごと」が,わたしの生きている間に起ころうとは夢にも思わなかった。が,それが起きてしまったのである。

路頭に迷う,という。「3・11」の直後,わたしは一瞬ではあったが,路頭に迷った。どうしたらいいのか,と。そこからの立ち直りを,どのように諮ればいいのか,と。その悪戦苦闘ぶりが,はからずも,このブログにも現れている。

そうして,いま,ようやくたどり着きつつあるのは,「3・11」は「日本後近代」のはじまりである,という考え方である。つまり,「3・11」を通過することによって「日本近代」が営々と築いてきた,さまざまな制度や組織や法律などが,そして,慣習行動までもが,もはや限界に達し,さまざまな局面で破綻をきたしている,という現実に直面し,もはや,その継承・発展はありえないということが明らかになったからである。となれば,「日本近代」に代わる新たな「日本後近代」のロジックが必要になってくる。つまり,日本はいま,否が応でも,変化を余儀なくされている。それが,わたしの考える「後近代」のはじまりである。

この仮説を,わたしは長い時間をかけて温存してきた(『スポーツの後近代』のずっと前から)。そして,とうとう「3・11」がその決定的なターニング・ポイントとなる,という確信にいたりつつあるのだ。なんとも不思議な局面との遭遇である。

このことと連動して,わたしの専門である「スポーツ史」研究もまた,大きく変化せざるを得ない情況に直面することとなる。それは,どのように変化することになるのか。後近代のスポーツ文化が,いよいよ具体的な姿を現すことになる。

これらの,いま,まさに進行しつつある思考の変化・変容の,最先端の問題が,さきに記したように,27日(金)の大阪体育大学での特別講義と,28日(土)の「ISC・21」1月奈良例会での講演で験されることになる。そして,最後の仕上げが,2月3日(金)の神戸市外国語大学が主催する,一般市民向けの講演である。わたしにとって,きわめて重要な意味をもつことになるであろう講演・講義が,このあと集中的につづく。

いまは,不思議な期待と不安のないまぜになった気分でいる。いまさら慌ててみたところではじまらない。こうなったら,その場の力を借りて,わたし自身の思考そのものがどのように弾けるか,それを待つのみだ。なにも起こらなければそれだけの話。なにか起これば,それは大収穫。なにか,嵐の前の静けさのような気分。嵐がやってこなければ,なにも始まらない。

わたしの好きな若山牧水の短歌に
「いざ行かん,行きて,まだ見ん山を見ん,この寂しさにきみは耐うるや」というのがある。この短歌に古関裕而が曲をつけ,藤山一郎が歌った。その歌でも歌いながら(もちろん,心の中で),27日は出発することにしよう。身を投げ出すようにして・・・・。

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