2012年10月5日金曜日

三浦しをん『舟を編む』(光文社)を読む。その1.

 ことばの海を自在に漕ぎわたることのできる辞典『大渡海』を編む人びとの苦悩と努力と愛と感動をみごとに描いてみせた三浦しをんさんに拍手。なにより一つの仕事に打ち込む人間を描かせたら,三浦しをんさんは天下一品。ほのぼのとした温かい人間模様がそこから浮かび上がってくる。辞典の編纂という,どちらかといえば地味にみえる仕事が,じつはとんでもなく面白い世界であることをしをんさんは存分に教えてくれる。いや,しをんさんが書くから面白い世界に変身してしまうのかもしれない。とにかく,面白い。久々に晴々とした気分になることができた。

 しをんさんの作品と最初に出会ったのは,直木賞作品『まほろ駅前多田便利軒』。第一に「しをん」という名前に惹かれた。それから「多田便利軒」という意味深なタイトルが,読まずにはおかせない不思議なメッセージ性をもっていて,こころがざわついたことを記憶している。そして,文字どおりの奇想天外な内容であることに呆れつつ,いつしか感動してしまっていた。驚くべき筆力をもった新人が現れたものだ,と感心したものだ。

 そのつぎは『風が強く吹いている』。ご存じ箱根駅伝にチャレンジする大学チームの涙と感動の物語。実際にはありえない二流,三流どころか,ずぶの素人までもが,ランニングをとおして「変身」していく姿を,もっともらしく描き,読者をその気にさせてしまう,そのマジックのような筆力に感動した。わたし自身も,いつのまにか本気で声援を送りはじめている自分の姿に気づいたときは,心底呆れてしまったほどだ。それほどに,読む者をして,みごとに「しをん・ワールド」に引き込み,現実を忘れさせ,たえず新しいなにごとかに向き合わせつつ,いつのまにか読者自身が格闘をはじめ,小説世界が読者の現実をとりこんでしまう。とにかく,われを忘れさせるほどに面白いのだ。ましてや,スポーツが好きな人間にはたまらない。そんな作品である。

 わたしの読んだもう一冊は『神去むなあなあ日常』。「神去む」はカムサムと読む。この本もタイトルに惹かれるものがあって,中味を確認しないまま衝動的に購入した。読みはじめてびっくり。ぐうたらな若者がひょんな動機から,山に入って木を育てる仕事にとりつかれていく話。この世界もまた,なんと人間くさいことかと驚いた記憶がある。人間と自然とが直に向き合う仕事,その奥がどれほど深いかを思い知らされる。諏訪の御柱祭りのような,大木の伐り出し行事が三重県の山奥でも行われていることを知り,山に生きている人びとに共通する「なにか」に感動した。いま考えてみれば,この「なにか」とは,まぎれもなく「供犠」そのものではないか,と。大木には「神」が宿る。その大木を伐り倒すには,それなりの「儀礼」が必要だ。そこまで考えたときに,はじめて「神去む」の意味が忽然と立ち現れてくる。それを「なあなあ日常」と受け流すしをんさんの,恐るべき文学的センスのふところの深さを知る。なんとも,この「かったるい」感じがいい。

 わたしの「三浦しをん」体験は,この『舟を編む』で四冊目である。今回は,しっかりと中味を確認して,辞典編纂にかかわる人びとの人間模様が描かれている,と承知して購入した。しかし,目の前に迫ってくる,まったなしの仕事がつづき,この本は長い間,書棚に飾られたままだった。2日の講演が終わって,一区切りついたところで,自分へのご褒美にこの本をとりだした。つぎの仕事への,ほんのわずかな間隙を縫うようにして読む本としては最適であった。

 息もつかずに一気に読んだ。食事をとる間も惜しむようにして。その代わり,その間,なんにもしない。メールの返信も,片づけ仕事も,風呂に入るのも・・・。まことに困った本である。久しぶりにこういう本に出会った。至福のときを過ごすことができて大満足。

 さて,本題に入らないまま,すでに,こんなに長くなってしまった。一旦,ここで切って,この稿を「その1.」とし,さらに「その2.」をつづきとして書くことにしたい。ひとまず,ここまで。

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