2010年9月9日木曜日

相撲の大転換:「決闘」から「芸能」へ。

 「国ゆずりの相撲」も「決闘の相撲」も,こんにちわたしたちが思い浮かべる相撲とはおよそ縁遠いものであった。つまり,ルールというものが存在しない,なんでもありのきわめて乱暴な「格闘技」だった。
 相撲が現代の様式をととのえる濫觴となったのは,聖武天皇の神亀2年の神事相撲だったという。このとき,「諸国が旱魃して大凶作であったので,天皇は畏くも近畿付近の明神,大社に勅願されて,天地長久・風雨順治・五穀成就を祈らせたもうた。ところが,翌年には果たして豊作だったので,相撲を奉納して,神霊を慰め奉ったという。これが神事相撲の濫觴となっのである」と舟橋聖一は書いている。そして,「相撲式」から,つぎの文章を引用している。
 「五聖武天皇の御時,神亀年中,国富民栄,世の豊なる事前代にも希なりとぞ。諸国一同に相撲のわざ益盛に起,朝廷にも専ら行はれしなり。其外相撲の作法,此時に道正敷定る。先作法勝負理り決しがたき故,其道に精しき者を御尋有りしに近江国志賀の里に,志賀清林といへる者此道に達しける事世のきこへ有故に,召上せられて相撲御行事此人と定めらる」
 これが,こんにちに伝わる司(つかさ)家の始祖となった,というのである。しかし,志賀清林の存在については,一部では疑問視するむきもあり,定かでない部分が残る。この問題については,いつかまた取り上げて,考えてみたいとおもう。ここでは,相撲が,生死を度外視する乱暴な「決闘」から,徐々に「作法」(ルール)を定めて,より安全な「遊技」や「芸能」へと進化していく上で,重要な役割を演じた人物がいた,ということを確認できればいいことにしよう。それが,のちの記録によれば,「志賀清林」という固有名詞に集約されて,一つの物語が構成され,伝承されることになったのであろう。
 この志賀清林について,舟橋聖一はつぎのように記述している。
 「・・・・清林は,単に相撲の司となっただけでなく,彼が当時,選ばれて,御行事人になったのについては,それに相当する権威ある大力士であったからで,身長も六尺八寸,殆ど天下無敵の強剛であったらしい。そして彼が司家として,制定したルールは,突く,蹴る,殴るの三手を禁じ,現行の四十八手の初源の型法を創成したのである。」
 この記述によれば,当代の実力者が「突く,蹴る,殴る」の三手を禁じ手と定めたこと,これが相撲の作法(ルール)として広く受け入れられるようになったこと,の二点が透けてみえてくる。これを聖武天皇が採用したことによって,さらに,権威づけられ,広く流布していったと考えられよう。
 ここではじめて,相撲なるものが乱暴な「決闘」から決別して,「命」を保証された「格闘技」へと,その歩を進めたという次第である。そして,この禁じ手が次第に多くなり,細部にわたるようになっていく。このことが,相撲にとってなにを意味しているのか,ここは注意を要するところである。
 そこで,少しだけ前にもどって,聖武天皇が「神事相撲」を行ったことについて,触れておきたい。前年の旱魃・大凶作に対して天皇みずから明神・大社に勅願して,天地長久・風雨順治・五穀成就を祈ったこと(ここまでは,まだ相撲は登場しない),その結果,翌年には豊作となったので,こんどは「相撲を奉納して,神霊を慰め奉った」という記述について。つまり,勅願を聞き入れてくれた神霊に対して,「相撲を奉納する」という考え方が,どこからくるのか,ということである。そして,なぜ,相撲なのか。
 この前後の舟橋聖一の記述によれば,聖武天皇のころには相撲があちこちで盛んに行われるようになっていた,という。それは,おそらく,それぞれの地域で独自の作法(ルール)を定め,いわゆるローカル・ルールで行っていたことが想定できる。つまり,一つには比較的安全に「相撲」を楽しむことができるようになっていたということ,もう一つには,なぜ,それほどに人びとは「相撲」を愛好するようになったのかということ,さらに,もう一つは,だれが,なんの目的のために,「相撲」を普及させたのかということ,などが考えなくてはならないポイントとして浮上してくる。
 一般の相撲史の本などでは,ほとんど扱われない話(あるいは,知っていて忌避されている話)に,野見宿禰の一族とその子孫(その末裔は菅原道真にいたる)がはたした「相撲」への影響力が強かったのではないか,という裏の話がある。野見宿禰の直系の子孫は,その後も『古事記』や『日本書紀』にもしばしば登場し,朝廷のなかではかなり重要な地位を登っていく。そのフィナーレを飾ったのが「菅原道真」である。なぜ,野見一族の相撲への貢献が,ほとんど評価されないのか,ここに一つのポイントがある。
 野見宿禰は,当麻蹴速を蹴り殺し,一躍勇名を馳せることになり,朝廷でも重く用いられるようになる。有名な「はにわ」(人身供犠の代わり)の提案は,当時の人びとにとってはなによりもの恩寵をもたらしたに違いない。こうして,ますます,野見一族の名は広まっていったはずである。しかし,その一部で,それをこころよしとしない貴族が現れる。なぜなら,野見一族は,葬送儀礼に携わる職能集団の一つだったからである。つまり,身分が低い,ということ。貴族たちは,野見一族を「葬祭屋」として蔑視する。その頂点に立つ事件が菅原道真の太宰府流しである。
 しかし,庶民は,野見の身分には関係なく,相撲への貢献をそのまま受け止め,庶民の「遊技」の一つとして受け入れていったのではないか,というのがここでのわたしの仮説である。もっと言ってしまえば,聖武天皇が「神事儀礼」として相撲を奉納する以前に,葬祭儀礼として相撲が広く行われていたのではないか,というのがもう一つのわたしの仮説である。
 つまり,「決闘」からの離脱,そして,「遊技」への移行,あるいは,「葬祭儀礼」への移行,そして,「神事儀礼」への移行,という具合に拡大していったのではないか,と。こうして,相撲が「芸能」となる下準備が着々と進展していったのではないか,と。
 相撲の禁じ手は,志賀清林のあとも,つぎつぎに追加されていった節がある。近世の木村柳悦直の著した「相撲伝書」によれば,「次のような,数カ条があげられている」と舟橋聖一は紹介している。たとえば,
 〇拳或は大指を以て眼を突く事。
 〇両掌を以て一拍子に両耳を強くうつときは気を絶し茫然となるなり。
 〇顕露(目と鼻の間)を拳をもって突くこと。
 〇鼻尖を上から,撲ひしぎては,眼くらむのみにて絶入はせず。鼻柱を下より上へ突こむときは悶絶す。茫然ともなる。
 以下,割愛(さらに10項目,その他にも3項目が追加され,さらに,人体の急所を図示して,この部分を攻撃してはならない,と断わっている)。一つひとつ確認していくと,まことに懇切丁寧というべきか,驚くべき指摘がなされている。
 禁じ手については,時代や社会によって,さまざまな変遷をへてこんにちにいたっている。雷電為右衛門が「張手」「閂」「鯖折り」の三つの技を禁じ手とされた話は有名である。つまり,力士個人に対して「禁じ手」が定められたのである。こういう「禁じ手」は特例中の特例というべきであろう。なぜなら,「張手」「鯖折り」で相手の力士が死んでしまったという珍事が起こったこと,「閂」では相手の力士の両腕をへし折ってしまったというこれまた信じられないようなことがおこったためである。こんなことは滅多にあることではないのだが・・・。それほどに,雷電という力士はケタがはずれるほどに強かったという証左でもある。
 いささか脱線してしまったが,雷電の時代の相撲は,すでに勧進相撲などと呼ばれる「見世物」(「芸能」)そのものであったことも書き加えておくことにしよう。
 とりあえず,今日のところはここまで。

 

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

先生こんにちは。
「野見宿禰と当麻蹴速」のお話で、ずーーっとずーーーっと疑問に思っていることがあります。
それは、当時の権力者・天孫族が野見宿禰や当麻蹴速を人として認識していたのか、人として扱っていたのか、という疑問です。

野見から蚤を連想してしまう貧弱な想像力・・・汗

まゆのほっぺ さんのコメント...

今日付けの中日新聞のスポーツ欄に「白鵬論」というものが載っていまして、コメントも面白かったので送ります。
コメントはデーモン閣下さん(笑)。でも好きです!

 (更新の可能性は)7割ぐらいかな。実力でいえば負けないだろうが、心理面を計算に入れるとそのくらい。秋場所も千代の富士の記録を超えるあたりは相撲が硬かったし、綱とり、大関どりのときも初日で負けたりしている。ただ、硬くなるぐらいがちょうどよく熱戦になるだろうがね。
 白鵬は「心」「体」に比べ、「技」は発展途上。もっと相手に何もさせない相撲をとれる。連勝中も相手十分になってしまったが身体能力を生かして逆転した、という取組がいくつかある。そういう意味でまだ伸びしろがある。他の力士との実力差を考えると、69をクリアしたら100を狙える。問題は69前後の精神的な硬さ。本当の対戦相手は己なのだな。
 往々にして、伏兵に負けて連勝が止まるパターンも多い。双葉山、大鵬もそう。だから前半戦が要注意。面白いと思う相手は白馬とか嘉風とか、動き回る力士。北太樹にも注目したい。
 真正面から倒すのはほぼあり得ない。白鳳は強引な投げを打つときがあり、わが輩が対戦するなら間違いなくそこを狙う。できれば右腰を食いつく。前まわしをとって、白鵬が窮屈な差し手になる状態。強引なすくい投げにきたところを寄っていくか、足をかけるか。
 記録更新はしてほしい。わが輩は運命を感じる。国技の存在価値が揺らぐ中、記録を破るのが日本人ではない。いまの角界を象徴している。白鵬がモンゴル人だからこそ超えてしまえ、と思う。いま大相撲を憂い、立て直さないといけないと奮闘している筆頭が白鵬。全相撲ファンの恩人、救世主だ。日本人じゃないから破ってほしくない、という輩がいるなら了見がせまい。アメリカで記録を破るイチローは応援するのだろう? 同じように考えてほしいよね。