2014年3月7日金曜日

小津安二郎監督作品にながれるゆったりとした「時間」。1955年前後の日本。

 退院後,焦らずに「ゆるゆる」過ごすように,と多くの友人たちから忠告を受けました。しかし,この「ゆるゆる」がむつかしいのです。約1カ月の不在は,なにかと片づけなくてはならない雑用を山のように溜めこんでしまっています。ですから,気持ばかりが焦ります。その他にも裁かなくてはならない仕事の山が待っています。


 しかし,幸か不幸か,こころもからだもついてはきません。まだ,それだけのレディネスができていないということです。所詮,病人は病人なのですから。退院したとはいえ,完璧な状態にはほど遠い,そういう自分がはっきりとみえています。なので,無理は危険である,と自分でもよくわかっているつもり。


 そこで,映画でも鑑賞しながら愉しい時間を過ごそうということになり,小津安二郎監督作品ばかりを集中的にみています。なぜなら,小津作品の時代がわたしの青春時代と重なるからです。時代は1955年前後。わたしが高校生から大学生になって,上京したころ。このころの日本の風景やファッション,会話のテンポ,人のこころの温かさ,世代間の微妙なズレと葛藤,親子の情愛,そして,なによりも映画全体をながれるゆったりとした「時間」,などなど懐かしい映像が盛りだくさん。どっぷりと,わが「青春時代」に浸ることができ,大満足です。
 まず,衝撃的だったのは『東京物語』。昭和28年(1953年)の小津作品。わたしが高校1年生のときの作品。当時も大きな話題になりましたが,田舎育ちのわたしには映画は無縁の存在でした。それでも,原節子という女優が素晴らしい,というので街中の映画館に飾ってあるスチール写真に見入ったものです。のちに,この作品は小津安二郎の撮った映画のなかでも傑作とされ,今日もなお高く評価されています。
 尾道で暮らしている老夫婦が,東京で暮らしている息子(町医者),娘(パーマ屋),死んだ息子の嫁(会社員)を尋ねるも,みんな忙しくて応対に苦慮しているさまを察して,早めに尾道に引き上げます。が,老夫婦の妻が汽車のなかで異変を起こし,大阪で途中下車して息子(末っ子)のところで休息。翌日,尾道に帰るもそのまま妻は寝込み危篤状態に。「ハハキトク」の電報を受けとった東京の息子・娘・嫁が馳せ参じます。全員揃ったその日の深夜,息を引き取り,通夜・葬儀を済ませて,早々にみんな東京に帰っていく。そのなかで死んだ息子の嫁(原節子)だけがひとり残り,老父としばしの会話をとおして実の親子以上の情愛に結ばれる,という話。
 たったこれだけの話です。が,全体をつつむ「時間」のながれはじつにゆったりとしていて,いまとは隔世の感があります。なにがあってもあわてず,騒がず,淡々と時間のながれに身をゆだねている老夫婦の姿が印象的です。そういう中にあって,息子(町医者)と娘(パーマ屋)と末っ子の息子(鉄道員)だけは,自分たちの生活を守るために「自己中心」的な行動をとります。ここに現代の世相への移り変わりの端緒をみる思いがしました。
 1953年といえば,敗戦からたった8年後。まだ,物質的にはまことに貧しい時代です。主食の米も配給の時代です。夕刻になって味噌が足りないと隣の家に「おばちゃん,味噌,貸して」と駆け込んだものです。隣の家からも「おばちゃん,たまり,貸して」とこどもが駆け込んできます。みんな助け合いながら日々の生活を乗り切っていくのに精一杯でした。着るものもありません。靴もありません。みんながみんな貧乏で,不自由していましたので,それが当たり前でした。
 そういう時代背景を肌をとおして知っていますので,この映画『東京物語』から伝わってくる情報量もはんぱではありません。それぞれのカットやシーンをとおして,いままで忘れていた記憶が一気に頭を持ち上げてきます。それらはひとことでいえば,ただただ「懐かしい」,それだけです。と同時に,人間が生きる原風景を再認識させられる機会でもありました。
 1953年。もちろん,家には電話もラジオもありません。緊急連絡は電報のみ。冷蔵庫もテレビもありません。自転車もありません。みんな歩いていました。いまでは考えられないような遠距離を,ごく当たり前のようにして歩いていました。娯楽もほとんどなにもありません。年に一回の村祭りのときに,神社の境内で芝居がかかり,それをみるのが唯一の娯楽でした。
 そんな時代に,尾道から東京まで,老夫婦は息子・娘たちに会いたい一心で,過剰な期待をもって尋ねていくわけです。しかし,その期待はことごとく裏切られ,傷心のまま尾道に引き上げます。帰りの東京駅で「午後9時発の列車だから,明日の午後1時には尾道につく」という会話をしていましたから,なんと16時間もの長旅です。が,これが「当たり前」の時代でした。
 それに比べたら,いまは便利な時代になりました。が,その利便性優先の社会が,わたしたちのこころをどれほど貧しくしてしまったか,考えると空恐ろしくなります。そして,昨今の,信じられないような「事件」の連鎖です。この「利便性優先の社会」がもろくも音を立てて崩壊していく,その現場にいまわたしたちは立ち会わされている,そんな気がしてなりません。
 小津安二郎監督作品には,そんな新しい時代への警鐘も,ちゃっかり埋め込まれています。
 ゆったりとした時間を「ゆるゆる」生きるのは至難の業・・・でも,これを取り戻すことが現代社会の喫緊の課題でもある,とも小津作品は教えてくれました。

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