2014年3月30日日曜日

「今福龍太氏を囲む会」(第81回「ISC・21」3月東京例会),盛況。濃密な時間。みなさん大満足。

 長い準備を経て,満を持して「今福龍太氏を囲む会」(第81回「ISC・21」3月東京例会)を開催しましたところ,いつもにも増して多くの方々が参加してくださり,とてもいい会となりました。会場をお借りした青山学院大学のキャンパスの桜もすでに八分咲き。「春宵一刻値千金」ということばが口をついてでてくるような,とてもいい雰囲気が漂い,密度の濃い時間を過ごすことができました。これも,ひとえに今福さんのお蔭です。今福さんの「多木浩二」さんに寄せる熱い思いが,わたしたちにもおのずから伝わり,それが隅々まで浸透した結果です。ウィーンでは「gemuetlich」(居心地がいい)ということばが最高の賛辞としてよく用いられます。そんな居心地のよさをみんなが共有しながら,今福さんの熱のこもったお話に集中して耳を傾けることができました。そういう場を醸しだしてくださった今福さんに感謝しつつ,参加されたみなさん全員にもお礼をいいたいと思います。上質の時間を共有することができ,ほんとうに,ありがとうございました。


 「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)の月例会では,1月に大阪で,2月に奈良で,それぞれ今回の「今福龍太氏を囲む会」のための事前のディスカッションを重ねてきました。それを前提にした今回の研究会でした。ですから,今回とりあげられたテクストについての予習は十分だったと思います。それだけに,今回の今福さんのお話は,なお一層,こころに沁みたことと思います。なぜなら,わたしたちの知らない「多木浩二」さんの秘話まで,今福さんは惜しげもなく披露されました。しかも,それらがすべて多木さんの思想・哲学の深いところまで触手が伸びていくような,今福さんでなくてはできないお話ばかりでした。


 この研究会に臨む今福さんの姿勢は,いつもにもまして迫力を感じました。それは,自作の映像をはじめ,A4に5枚ものレジュメを準備され(全部,ご自分でパソコンに入力),それらを満遍なく,丁寧にお話くださったからです。終了予定時間を予告しておきましたが,そんな時間などどこ吹く風とばかりに,多木浩二さんに寄せる思いのたけをわたしたちに投げかけてくださいました。お二人の関係がどれほど濃密なものであったのか,ということが皮膚をとおしてつたわってきました。ちょっとふつうではありえないような,奇跡的,あるいは特例としかいいようのない,天啓にも似た出会いと対話がお二人の間には存在していた,ということです。しかも,長い期間にわたって。それは単に住まいが近かったというだけの話ではありません。


 かつて,山口昌男さんの追悼集会のシンポジウムの折に,「わたしには学恩を受けた師と呼べる人が3人います。そのお一人が山口昌男さんでした」と今福さんが述べられたことがあります。そのとき,他のお二人の名前は仰られませんでした。あとお二人はどなたなのだろう,とそのとき考えました。そのときに,まっさきにわたしの脳裏に浮かんできた人の名は多木浩二さんでした。それが間違いではない,ということは今回のお話ではっきりしました。


 そういう思いで今回のテクストとなった『映像の歴史哲学』(多木浩二著,今福龍太編,みすず書房)を,もう一度読み返してみました。すると,このテクストは,今福さんがかなり入念に構想を練り,満を持して世に送り出した「多木浩二追悼本」である,ということがわかってきました。ですから,このテクストの細部にいたるまで,隅から隅まで,多木浩二理解のための仕掛けがほどこされています。それが,たとえば,エピグラフの「歴史の天使」(この詩文の美しさ,深さ,簡潔さ/完結さ,は驚嘆に値します)であり,脚注のつけ方(これもふつうの脚注ではありません。すべて,多木さんの著作からの引用で構成されています。それはベンヤミンの『パサージュ論』の発想を持ち込んだものと受け止めることも可能です),本文の間に挿入された「コメント」(これが多木浩二理解にどれほど役立っていることか),そして「後記」の最後に盛り込まれた逸話(わたしはこの部分を読んで涙しました),などがあります。


 今回の今福さんのお話は,いずれテープ起こしをして,編集の手を加え,『スポートロジイ』第4号(来年春刊行予定)に掲載する予定です。ご期待ください。


 それでは,今回はここまで。
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