2010年9月7日火曜日

相撲に関する最古の記録「国ゆずりの相撲」について。

 ちょっとした相撲の歴史の本であれば,必ず書いてあることだが,相撲に関する最古の記録は『古事記』のなかにでてくる「国ゆずりの相撲」だということになっている。
 この話に関して,作家の舟橋聖一は『相撲記』(講談社文芸文庫)のなかで,なかなか興味深いことを書いている。その大筋は以下のとおりである。
 天照大神の詔を奉じて,建御雷(たけみかずち)の神が,出雲の国伊那佐の小浜にやってきて,剣を引き抜いて波打ち際に刺し立てておいてから,国津神の大国主命に向かって,お前の所領している豊葦原の中つ国をわたしによこせ,そして,家来になれ,と言った。大国主命はひとりの息子とともに「わかった」とその申し出でを受け入れることにした。ところが,もうひとりの息子の建御名方(たてみなかた)の神はそれに反対して,まずは,力競べをしよう,と提案した。そして「かれ我れ先づその御手を取らむ」と言った。
 この「御手を取らむ」という記述が,相撲に関する最古の記録だ,というのである。いまの,わたしたちのことばで理解しようとすると,ただ,お互いに手を取り合った,つまり,握手をした,と読めてしまう。しかし,舟橋聖一は,これをなんの矛盾もなく「相撲を取ろう」と言ったと理解している。舟橋聖一は,もともとは東大文学部国文科の卒業なので,日本の古典を読むことに関しては専門家である。そのことを勘案しながら,舟橋聖一の言うことに耳を傾けてみると,おもしろいことがわかってくる。
 「相撲を取る」という。相撲は「する」でもなく,「行う」でもない。もちろん,「プレイする」ものでもない。相撲は「取る」ものなのだ。その発端になる記述が,この「御手を取らむ」だというわけである。そして,この「御手」というのは,単に「手」のことを言っているのではなく,この「手」は,技,業をふくんだ手業を意味している,と。つまり,いざ,勝負となったときにお互いに手さぐりをしながら,相手の手をとろうとする。それも,できるだけ自分有利になるように手をとろうとする。立ち会いに「ぶつかり合う」ようになるのは土俵ができてからのことなので,当初は「手さぐり」からはじまったのであろう。現に,土俵のないモンゴルの相撲も,立ち会いは「手さぐり」からはじまる。韓国のシルムは,お互いに手でまわしをしっかりと「取って」(つかんで)から,試合開始となる。つまり,まわしを取ってがっぷり四つからはじまる。中国の少数民族の間で行われている相撲も,最初は「手さぐり」からはじまる。レスリングも同じである。
 「かれ我れ先づその御手を取らむ」というのはそういうことを意味しているようだ。だから,相撲にとっては「手」はきわめて重要な意味をもっていたということが,「手取り」「極め手」「手合い」「四十八手」ということばとなって残っていることからも理解できよう。つまり,「手」の意味する範囲が広い。同じように,「取る」もそうだ。「関取」「取的」「相撲取り」「取組」「取り直し」などをみれば一目瞭然である。
 ところで,建御雷神と建御名方神(よく似た名前でとてもやっかい)の勝負の結果はといえば,建御雷神の方が圧倒的に強く,あっという間に勝負はついたようである。その様子は,
 「若葦を取るがごと,つかみひしぎて投げはなち給へば,即ち逃げ去(い)にき」とある。
 建御雷神があまりに強すぎて相手ならなかった建御名方神はあわてて逃げたというのである。さて,では,建御名方神はどこに逃げたのか。遠く信州の諏訪湖に逃げたのである。しかし,建御雷神は,そのあとを追って,とうとう諏訪湖で建御名方神を取り押さえてしまう。仕方がないので,平身低頭,謝りつづけ,大国主命ともうひとりの兄弟と同じように,国を譲り渡し,建御雷神に恭順することを誓い,命だけは助けてもらう。
 こうして建御名方神は諏訪を新たな所有地として勢力を張り,こんにちの諏訪神社の祭神となる。この諏訪神社の祭りの一つの大きなイベントが,あの「御柱まつり」である。出雲大社が,かつては木造の巨大な神殿であったことを思えば,その系譜に連なる巨木を切り出す技術をもった職能集団も移住して行ったということも考えられようか。この地方の一種独特の共同体意識の強さは,この祭りと無縁ではないと言われている。
 もうひとりの建御雷神は,さらに,北東に進み,鹿島神宮に祀られているという。鹿島神宮が,当時にあっては,東北地方にあった一大勢力に対抗する,天照大神の勢力の北限であったと言われている。鹿島神宮は,いまでも「武」の神さまとして,武術が伝承されている。建御雷神は,たんに相撲が強かっただけではなく,武芸百般に通暁する武の達人だったのだ,ということが明らかになってくる。なかでも,相撲は武芸の中核をなしていた,と言ってもいいかもしれない。刀折れ,矢尽きたあとの「組み討ち」は,決闘にも等しかった時代の相撲そのものと考えてよいだろう。
 「御手を取らむ」の「手」は,武術全般に用いられる「手合わせ」するという意味での「手」であることも,ここまでくるとよくわかる。囲碁や将棋などの勝負ごとでも「手合わせ」ということばが用いられる。この「手」も技,業,術を全部ふくんだことばである。
 相撲の「手」ともいう。「攻め手」「守り手」「決まり手」などの「手」も同じ。
 「手のうち」ともいう。こうなると,作戦,戦略まで取り込んできて,ますます意味が広がっていく。
 際限がなくなってきた。このあたりで「手打ち」をして終わりにしておこう。

 

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