2010年9月19日日曜日

<アメリカ>-異形の制度空間・西谷修集中講義第二日。

 西谷さんの集中講義第二日目のテーマは「<アメリカ>-異形の制度空間」。これまでの一般的なアメリカ理解を根底から問い直す,というみごとな展開であった。
 この授業はまことに刺激的だった。眼からうろこということばがある。まさに「眼からうろこ」であった。わたしの理解は,『アメリカ・インディアン悲史』(藤永茂著)のレベルで止まっていたが,この講義を聞いて,なるほど,アメリカという国がいかなる歴史過程を経てこんにちの姿を形成するにいたったかがより鮮明に,しかも,根源的に納得することができた。それを知るにつけ,アメリカという国の裏側に秘められたドグマ性というものに底抜けの恐ろしさを感じ,身震いした。
 この問題を語る西谷さんの骨格となる見出し(パワーポイントによる)は以下のとおりである。
 1)「新世界」の出現
 2)「新世界」,「自由」の二つの相
 3)<自由>の制度空間
 4)<アメリカ>のグローバル化とその挫折
 5)グローバルな人口移動
 6)アメリカ化 vs. クレオール化
 このテーマは,じつは,雑誌『世界』(2008.11,12,2009.1,2.)に4回にわたって連載されたものである。これを,さらに,270分(3コマ)かけて立論の背景から,その問題点を取り上げ,熱のこもった弁舌となって,わたしたちに投げかけてくれた。しかも,1)から3)まで。つまり,全体構想の前半の半分を語ってくれたわけである。この後半は,今日(19日)のテーマとなる。
 雑誌『世界』の論考も,わたしにとっては相当に衝撃的で,ついにここまでアメリカを追い込んだのか,という印象であった。(詳しくは,『世界』で確認のこと。ちなみに,「アメリカ 異形の制度空間」と題して短期連載された4回分のテーマは以下のとおり。第1回 「二つの西洋」,2008年11月,第2回 「自由と所有権」,2008年12月,第3回 「『民主化』─拡大する自由のレジーム」,2009年1月,第4回 「底なしの『自由』に溺れて」,2009年2月。なお,受講生にはそのコピーが配布資料の一部として配布されている) しかし,雑誌の論文には,掲載上,原稿枚数に制約がある。だから,かなりコンパクトに論理を整理しなければならないので,必然的に抽象的な,あるいは,概念的な操作にたよらざるをえない。しかし,集中講義の場合には,パワーポイントをつかって必要な図像をふんだんに用いることができるし,プロジェクターをつかって映像も用いることができる。だから,雑誌『世界』で論じられたことがらに,図像・映像的な補填がほどこされ,よりヴィジュアルなイメージが加わることによって,一段と説得力を増す。だから,すでに,雑誌『世界』で読んでいた記憶が,より具体的なイメージとなって,わたしの脳裏によみがえり,強烈なインパクトとなって迫ってきた,という次第。その結果,サブイボ(奈良地方の方言でとりはだのこと)が立ち,恐怖におののく。いやはや,こういうからくりになっていたのか,と。
 ほんとうはこのことをわたしのことばに置き換えて書いてみたいとつよく欲望するのだが・・・・。変な間違いを犯したり,あるいは,誤解が生じたりすることを避ける意味で,ここでは割愛する。どうか,雑誌『世界』の方で確認してみていただきたい。その方が確実である。
 今日のところは,とりあえず,ここまで。

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