新聞を実名で批判するのはあまり品のいいことではないと承知しつつも,書かずにはいられないので,あえて書く。朝日新聞さん,どうしちゃったの?
まえにも,このブログで少し書いたので記憶に残っている方も多いとおもう。が,あえて,もう一度だけ書いておきたい。
この数日間,毎日のように「イチロー」記事のオンパレードである。それも大きな写真を飾って,ほぼ全面をつかって「イチロー」記事で埋めている。いつからスポーツ新聞になってしまったのか,と嘆かわしい。その分,世界の動向は陰になってしまって,なにもわからなくなってしまう。朝日新聞の存在理由はどこにあるのか,よくよく考えてもらいたい。これではスポーツ新聞とほとんど変わらない。ときおり,これは,とおもわせるようないい記事が載るが,あとは,ほとんど読まなくて済む。重要なニュースは,その多くは前日の夜にはインターネットでみている。だから,朝刊を手にしたとき,ときどきデジャ・ヴュのような錯覚を起こすことがある。しかも,あまり情報量がない。もう少し詳しく書いてくれれば・・・とおもうのだが。
いま,世界でなにが起きているのか,大手新聞社はもっと真剣に取り組んでほしいとしみじみおもう。なぜなら,16日から21日まで沖縄に滞在していた関係で,ホテルのロビーにおいてある「琉球新報」と「沖縄タイムス」の2紙を読んでいた。そして,眼からうろこ,という体験をした。この何十年間という長い間,朝日新聞を購読してきたために,いつのまにやら,わたしの頭は朝日新聞的なニュースのアンテナの張り方にすっかりなじんでしまっていたのだ。ところが,「琉球新報」や「沖縄タイムス」は,その報道の姿勢が,朝日新聞とはまるで違うのだ。なんと,つねに「沖縄」という立ち位置をしっかりと固め,そこから「ヤマト」を眺め,「台湾」「中国」「韓国」という近隣諸国を視野に入れ,「アフガニスタン」「イラク」の動向にアンテナを張っている。そして,その中核になっているのは,「米軍基地」を抱え込んでいる住民の共通の要求に応えるべく,「アメリカ」に関するかなり詳しい情報が,きちんと書かれている。たった6日間の沖縄滞在でしかなかったが,「琉球新報」や「沖縄タイムス」を読んだお蔭で,かなり世界をみる視野が広がったようにおもう。朝日新聞ではとても得られない「世界」に関する情報が満載なのである。
ヤマトンチューは「平和ぼけ」している,「経済ぼけ」している,そして,なによりも「人間ぼけ」している,と痛いほど教えられた。ヤマトンチューの多くは「自分のこと」しか真剣には考えようともしない。だから,人と人との関係性がますます希薄になってしまっている。沖縄の新聞には,現代社会を生きていく上で,いかなる情報がいま必要なのか,というコンセプトがじつにしっかりしているのだ。朝日新聞にはこれが感じられない。
伝え聞くところによれば,「東京新聞」がなかなか健闘しているという。しっかりとした新聞社の主張が感じられる,と。「東京新聞」といえば,「中日新聞」と同系の新聞である。「中日新聞」は,わたしの子どものころ父親が愛読していた新聞である(愛知県なので当然といえば当然)。わたしの意識では,朝日・読売・毎日の大手3紙にくらべれば,一段低い地方新聞だと長い間,思っていた。ところが,最近は,地方新聞の方がしっかりしているというのだ。独自の取材網をもっていて,独自の報道をしている,と。
最近の朝日新聞で,もう一つ気になっていることがある。それは「広告」の多くなったこと。しかも,全面広告の多いこと。ページは多いが,その半分近くは広告だ。だから,読むところがほとんどない。最近は,「イチロー」君を専属のキャラクターにしている企業の広告が,これまた「全面」をつかって登場するので,ますます,朝日新聞は「イチロー」新聞になりつつある。
イチロー君は,たしかに偉業をなしとげ,さらに進化をめざして,いまもヒットを打ち続けている。それはもうこころの底から敬意を表したい。それに引き換え,白鵬の60連勝という,とんでもない偉業は陰が薄い。こんなところに日本人のひがみ根性というか,こころの狭さを感じてしまう。それをそのまま新聞の紙面が「写し鏡」のように映し出してしまっている。情けないかぎりである。イチロー君をあそこまで持ち上げるのであれば,同じように,白鵬の偉業もまた大きく報道すべきではないのか。これをメディアの暴力と言わずしてなんというべきか。
家郷を離れてから,すでに50年を越える。その間,朝日新聞の熱心な読者であったが,いよいよ決別すべきときがきたとおもう。できることなら,「琉球新報」か「沖縄タイムス」をとってみたいとおもう。それに「東京新聞」も。
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