昨日(16日),神戸から沖縄・那覇に移動。ホテルでゆっくり休んでから,洗濯をして,それから久しぶりの「国際どおり」を散策。
神戸市外国語大学での集中講義(12日~15日)も無事に終え,ほっと一息。最終日には,午後7時から打ち上げコンパまでやってくれ,ありがたいかぎり。授業中にはだんまりを決め込んでいた学生さんも,コンパになると人が変わったように元気になり,おやおや,人はさまざま。
マルセル・モースの『贈与論』を,スポーツ文化論のスタンスから読む,という世にも不思議な演習によくぞ神戸市外国語大学の学生さんたちはお付き合いくださったものだ,いまごろになってこころから感謝している。たぶん,一番,得をしたのはこのわたし。学生さんたちという「場」の力を借りて,わたしの思考がまたもうひとつ深いところに達することができた,としみじみ思う。ありがたいかぎりである。おまけに,学生さんたちも,こういう思考の方法があるのだ,ということをびっくりしながらも感じ取ってくれた。そして,素直に興味を示してくれた。しかも,若い頭脳はあっという間に「贈与論」的思考をわがものとして,こんにちのわたしたちをとりまく生活環境のなかから「贈与」なるものの存在を確認し,また,こんにちのスポーツ文化のはらむ諸問題を「贈与」という視点から分析し直す方法の入り口に立ってくれた。あとは,かれらがその方法をどれだけわがものとして,これからの生活に活かしていくか,楽しみである。
後期の集中講義では,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』をテクストにして,スポーツ文化の「原点」をさぐる演習をしようと予定している。このテクストは,『贈与論』で描き出された民族誌よりも,さらに古い時代,あるいは,ヒトが人間になるときになにが起こったのか,ということを思い浮かばせてくれるものなので,当然のことながら,「スポーツ的なるもの」がどのうようにして出現してくるのか,という「起源」の問題に接近することが最大の狙いである。まあ,あの学生さんたちなら,かなり本気で食いついてくれるのではないか,といまから楽しみである。こちらもそれに応えられるだけの準備をしなくてはならない。緊張がつづく。この緊張感がいい。これを「贈与」してもらうためにこそ,集中講義にでかけていくようなものだ。学生さんたらから送られる「贈与」(ポトラッチ,あるいは,ハウ)をエネルギーにして仕事ができる。ありがたいことである。
この集中講義には学外のゲストの方も参加され,演習の場を盛り上げてくださった。その人たちとは毎晩,授業が終わってから「反省会」を行い,明日の授業のための「直会」に精を出した。神戸の学園前駅の近くにとても雰囲気のいいお店があって,そこが定番となり,存分に議論を楽しんだ。そこには,なんと泡盛の春雨がおいてあった。これがまたとてもいい味で,みんな気に入って,ビールの乾杯のあとはすぐに泡盛。30度ほどの,やや甘く,すっきりとした感じがちょうどいい加減。お蔭で,毎晩,夜遅くまで楽しみ,宿舎に帰ったらそのままばったんグー。朝,シャワーを浴びて眼を覚醒させ,それから大学へという毎日。意外につかれなかったのが不思議。どうやら,元気も「贈与」されたらしい。
16日(木)に神戸空港から那覇空港へ。神戸は曇っていたが,九州南端あたりから真っ青な海がみえはじめ,沖縄の群島がつぎつぎに姿をみせてくれる。波打ち際の白波と,そこから沖に向ってひろがるコバルト・ブルーの眼の覚めるような「青」。そして,深海の黒ずんだ「青」。何回も,沖縄にはフライトしているが,こんな景色を飛行機から一望できたのは初めて。カメラをもたなかったことを後悔する。いつももっていなくてはいけない,と反省。沖縄本島の東側を飛んでくれたので,わたしの座席の窓から丸見え。そのうちに,沖縄本島の真ん中に長い滑走路がみえてくる。米軍基地の滑走路だ。ここではたと気付く。なるほど,この滑走路を邪魔しないように,大きく東側を民間機は飛ぶように義務づけられているのでは・・・と。しかも,沖縄・本島の南端に達したところから急旋回して,北に進路をとる。つまり,180度,向きを変えるのである。そのころには,海面に右側の翼が触れるのではないかと錯覚するほどの低空を飛ぶ。限りなく低空飛行をしながら,那覇空港に接近していく。この方向は,そのまま,米軍基地の滑走路の方向と重なる。これもまた,その影響なのか,と勘繰ったりする。
那覇空港に着陸する直前のところに,手を伸ばせばとどくのではないかと思われるほどの至近距離に,泡盛の「まさひろ」の工場がある。工場の屋根におおきく「まさひろ」と書いてあるのですぐにわかる。そのたびに,ありがとう,と感謝する。なぜなら,工場見学に行ったとき(もう,ずいぶん前の話),身分証明書を示し,記帳すると,「おれも,まさひろ」というラベルを張ったボトルを一本プレゼントしてくれた。それだけで,もうすっかり「まさひろ」ファンとなる。人間というものは不思議なものだ。そんな単純なことに欣喜雀躍するのだから。そんなことがたくさん連鎖する人間が,たぶん,幸せなんだろうなぁ,とぼんやり考えたり・・・・。
いつものことながら,ランディングには注意を集中する。機長の腕のみせどころだから。今回は,久しぶりに名人級のランディングだった。おもわず拍手したくなる。が,日本人は,なにも考えていないのか,ランディングで拍手する客はいない。外国では,時折,そういう場面にでくわすことがある。とくに気流が悪く,フライト中にしばしばエアポケットに入って,ストンと落ちていくようなことが起きたあとのランディングがみごとだと,どこからともなく拍手がわく。そして,みんな「ニコニコ」顔だ。たぶん,この人たちは,飛行機が揺れるたびに一生懸命祈っているのではないか,と思う。だから,その願いが叶ったときには,神に感謝しなくてはならない。その気持ちが「拍手」となって表出するのだろうか。
これで,今日からの沖縄にはいいことがいっぱいあるよ,という予感につつまれる。こういう予感は多いほどいい。
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