新田一郎さんの『相撲の歴史』(講談社学術文庫,2010年7月)を再々読。いま,相撲の通史として読むにはもっともよい本。
なんといっても,いまも土俵に立ち,学生さんたちと一緒に稽古をしている現役の力士であり,東大教授。相撲をこよなく愛していて,土俵だけでは足りず,テレビ観戦をしている奥さんを相手に,実際に相撲を取りながら「解説」をするほどの熱の入れよう。そのあふれるばかりの相撲への「愛」が,この本を読んでいてひしひしと伝わってくる。だから,読んでいて心地よい。
それだけではない。新田さんは,いまは,法学部教授だが,もともとは文学部の日本史を専攻した人だ。しかも,中世法制史が専門。だから,古代の相撲節(すまいのせち)・相撲人(すまいびと)の制度がどのようにして成立し,中世に入って相撲節が制度的に崩壊し,相撲が見せ物化していく過程をみごとに解きあかしてくれる。
新田さんの説によれば,相撲節によって一定の様式化をはたした相撲は,やがて庶民の娯楽として普及するところとなり,相撲人の系譜につらなる人たちは社寺の祭礼相撲へと転じ,次第に芸能化していった,という。しかも,その土壌は猿楽や能と同じで,地方の社寺を巡回する芸能集団を形成して相撲人の命脈を保った,という。したがって身分もきわめて低く,猿楽などと同様,賤民あつかいをされながら,地方の社寺の祭礼を彩る芸能の一つとして相撲が演じられていた,というのである。ところが,これまた猿楽と同様,武士の支配階級の目にとまり,お抱えの相撲人となっていく。ちょうど,観阿弥・世阿弥親子が,室町幕府の将軍足利義満に見出され,一気に世の注目を浴びたように,相撲もまた武士階級の娯楽として歓迎され,武家屋敷で貴賓を迎えての芸能の一つとして観賞されたというのである。
つまり,新田さんの言うには,相撲は「芸能」となったことによって命脈を保つことができたのだ,と。そして,相撲は「芸能」になることによって,真の「相撲」となることができたのだ,という。このあたりの論の展開はとても魅力的で,ぜひ,ご一読をお薦めしたい。しかも,新田さんは,こんにちの大相撲も「芸能」でいいのだ,と言い切る。いや,「芸能」として磨きをかけることにこそ「大相撲」の価値があるのだし,存在理由があるのだ,ともおっしゃる。それに追い打ちをかけるように,大相撲が勝利至上主義に舵を切ったのは,天皇杯という賜杯制度が確立した1926年以後のことだ,という。それまでの大相撲は,勝負預かりや引き分けがいっぱいあって,勝敗の決着がつくものに迫るほどだったとか。優勝杯が授与されるようになってから,大相撲の取組の内容は一変したという。つまり,それまでの大相撲は,勝ち負けよりも「芸能」としての「技芸」のせめぎ合いをショウとしてみせていたのだという。
断わっておくが,新田さんが,こんなに露骨に極論を展開しているわけではない。すべて,わたしが読み取って,編集すると,こういうことになる,という話である。お間違いのないように。つまり,新田さんの書かれた文章を丹念に読み込んでいくと,最終的には,こういうことが言いたかったに違いないというわたしの読解である。
まあ,いずれにしても,この本はおもしろい。とりわけ,新田さんも書いていらっしゃるように,これまでの相撲の歴史書があまり取り扱ってこなかった「中世」に力点をおいているという点で,この本の存在価値がある。これから,もっと読み込んで,わたしなりの大相撲の改革問題について考えてみたいとおもう。そのための絶好の導きの書である。いまも,問題になっている「相撲は日本の国技である」という根拠は,どこにも見当たらない。1909年に国技館ができたときの「挨拶文」のなかにはじめて用いられたのが嚆矢となり,以後の国策の一環として,このことばが繰り返し喧伝されることになっただけの話だ,ということがこの本を読んでいくとよくわかる。とりわけ,第二次世界大戦を戦うための国策として,決定的な意味をもった,と。
それが,こんにちまで継承されることの時代錯誤から,いまも多くの日本人は気づいていない。まあ,こんなことを考えるための材料がふんだんに詰まった好著。これからしばらくは,この本を手がかりにして,大相撲問題を考えてみたいとおもう。乞う,ご期待!
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