2014年4月27日日曜日

日本(ヤマト)は沖縄(ウチナァ)から独立せよ。基地の当事者意識に目覚めるために。

 久しぶりに鳥肌の立つシンボジウムを傍聴させていただいた。その功績の多くは,コーディネーターを務めた西谷修さんによるところが大であった。この人はいま絶好調だ。コーディネーターとしての最初の話をはじめたとたんに,7人のパネリストたちの顔つきが変わった。身を乗り出すようにして,西谷さんの方を向き,じっと耳を傾けている。切れ味がいいのだ。

 それはシンポジウムのまとめの話でも同じことが起きた。西谷さんは「戦争」とはなにか,と問いかけ二つの大きなポイントがあるとしてそれを提示した。一つは,戦争とは個人の存在(尊厳)を抹殺して全体に奉仕する仕組みであること。つまり,「個」(人間であること)を消してしまう装置なのだ,と。二つには,人間は戦争をすることはできない,ということ。戦争は突発的にはじまるものであって,気がついたときには「巻き込まれて」いる,そういうものなのだ,と。だからこそ,いかなる理由があろうとも戦争だけは回避しなくてはならない,と。そのための叡知を結集しなくてはならない,と。

 短い,ほんとうに短い時間のなかで(パネリストが7人もいて,この人たちも苦労していた),濃密な話をコンパクトに,しかも切れ味鋭く語る西谷さんのパッションに感動した。このシンポジウムを傍聴してよかった,としみじみ思った。

シンポジウム:沖縄の問いにどう応えるか──北東アジアの平和と普天間・辺野古問題
日時:2014年4月26日(土)午後2時開会
場所:法政大学市ヶ谷キャンパス さったホール
主催:普天間・辺野古問題を考える会(http://urx.nu/7cSD)
共催:法政大学沖縄文化研究所

 プログラムは,大江健三郎(作家),我部政明(琉球大学教授),ガバン・マコーマック(オーストラリア国立大学名誉教授)による三つの講演があって,それを受けてシンポジウムが展開された。こちらは,冒頭に触れたようにコーディネーターが西谷修(立教大学教授),そして,シンポジストに佐藤学(沖縄国際大学教授),島袋純(琉球大学教授),遠藤誠治(成蹊大学教授),川瀬光義(京都府立大学教授),古関彰一(獨協大学教授),西川潤(早稲田大学名誉教授),和田春樹(東京大学名誉教授),という錚々たるメンバー。

 冒頭の講演で,大江さんが「われわれはもはや沖縄から問いかけられてはいないのではないか」というテーゼを提示して,話を切り出し,最後には「琉球独立に向けた新しい時代に踏み出した」ように思う,と結論づけた。つづいて我部政明さんが立ち,沖縄サイドからの「問い」を提示するとすれば,「当事者意識」を持ってほしいのひとことだ,と強烈にアピールした。本土の人間が当事者意識を確保するためには沖縄の基地を軽減して,本土に移転することだと強く訴えた。そして,最後のガバン・マコーマックさんは,「普天間飛行場閉鎖・名護市辺野古への新基地建設に関する声明」(声明①世界の識者と文化人による,沖縄の海兵隊基地建設にむけての合意への非難声明,署名人には,ノーム・チョムスキー,ジョン・ダワー,ナオミ・クライン,オリバー・ストーン,などの著名人が名を連ねている)を発進するにいたった経緯について語ってくれた。そして,アメリカ政府の「対日政策委員会」の内部でも,「辺野古移転計画は現実的ではない」という議論がなされている,と力説。

 つづいてシンポジウムに入る。
 シンポジストの選定と時間配分がよかったので,じつに内容の濃い問題提起がつづいた。シンポジスト全員の発言を紹介するだけの余裕はもはやないので,なかでももっとも強烈にわたしの印象に残った島袋純さんのお話の骨子だけを書いておきたいと思う。

 島袋さんはいま,「オール沖縄の再結集」という運動を展開していて,その輪が次第に大きくなりはじめている,と現状を報告。これまでの「立憲主義」に寄り掛かった運動の限界を突き抜けていくために,住民一人ひとりの「人権」を守ることから運動を立ち上げるにいたった経緯を熱く語る。つまり,運動の原点に立ち返って,新たな沖縄(琉球)の再構築のために「オール沖縄の再結集」を呼びかけ,「建白書」を提出することをめざしている,と。この運動は「沖縄独立学会」とも連動しながら,これからの新しい沖縄(琉球)を模索していく,という。そして,現段階では「日本国は琉球国から独立すべきだ」という主張を展開している,と。そして,日本国が琉球国に基地依存をつづけて平気でいられること自体が,日本国の最大の「病理」だ,と断じた。

 この最後のことばを聞いて,わたしは全身に電撃が走った。そうか,「病理」なのだ。そのことすら気づかずに日常の中に埋没してしまっている。この状態こそが,わたしたちヤマトの人間にとっての最大の「病理」なのだ。しかも,その「病理」から脱出するには,琉球国からの日本国の分離独立しかない,と。

 琉球国の日本国からの分離独立ではない。日本国こそが琉球国からでていけ,ということだ。そのとき,初めて日本国を成り立たせるにはどうしたらいいのか,ということに気づく。つまり,基地問題を当事者として考えはじめる契機となる。それしか「薬」はない,と。

 この話に共振したのか,和田春樹さんは,単刀直入に「わたしは沖縄の人に抱きつきたい」と言い切った。コーディネーターの西谷さんも,この話と和田さんのことばに強く共鳴し,最後のまとめの話のなかに盛り込んだ。

 夕闇迫る外壕の土手道を「抱きつく」「抱きつく」とつぶやきながら,沖縄からの自立ということをこれまで深く考えてこなかったわが身を恥じた。「抱きつく」ことも忘れて。美味しいところだけをご馳走になって,あとは無視。「贈与」の精神に悖る。情けない,と。

 戦後70年を経て,いま,ふたたび沖縄が大きな転機を迎えている,しかも,日本国最大の危機とともに(西谷修)。

 時あたかもバラクがやってきて,尖閣諸島は安保条約の第5条に相当すると断言し,その上で「集団的自衛権の行使」を支持した。となると,シンゾウ君は喜び勇んでつぎの行動にでるだろう。その延長線上には,沖縄の米軍基地は,時を待たず「日米軍基地」となり,ついには「日本軍基地」となりはてるだろう。「自発的隷従」を恥じとも思わないシンゾウ君なれば・・・。しかし,あまりにやりすぎると,バラクの思惑とは逆方向に向かうことになるので(すでに,そのような危惧を抱いている),ひょっとしたら,シンゾウ君そのものがバラクによって切って捨てられる日も遠くないのでは・・・と勘繰ったりもしている。

 それにしても,わたしにとってはとても熱くなる,稔り多いシンポジウムであった。コーディネーターの西谷さんにこころから感謝したい。

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