2013年9月8日日曜日

「五輪招致レース」という馬鹿げた狂騒曲はだれのためのものなのか?

 「五輪招致レース」という,まことに馬鹿げた狂騒曲にようやく終止符が打たれた。

 クーベルタンが生きていたら,「こんなオリンピックなら止めた方がいい」と断言したに違いない。かれは第一次世界大戦後の1924年のパリ大会の開会式に招かれて,あまりに盛大なお祭騒ぎにあきれ返ってしまい,以後,オリンピックには背を向け,失意のうちに没したという。

 クーベルタンの夢は「健全なる青少年教育」の実現にあった。それは,19世紀末のアルコールと暴力に汚染され,荒れ放題だったフランスの青少年たちを救済することだった。そして,大地にしっかりと根を張った樹木のように,ひとりの人間として青少年たちを自律(自立)させるにはどうしたらいいかを考え,そのヒントをえたものが,当時のイギリスのスポーツ教育だった。

 かれはイギリスに渡り,じかにスポーツ教育を学んだ。そこで大きな感銘を受けたクーベルタンは,やがて,世界の青少年たちをスポーツをとおして交流させることに思いを馳せるようになる。こうして帰国したクーベルタンは,古代オリンピアの祭典競技にヒントをえて,近代オリンピック大会の構想を練る。そして,第一回大会をギリシアに敬意を表し,アテネで開催し(1896年),第二回大会をパリで開催した(1900年)。

 クーベルタンが音頭をとって開催した第二回パリ大会は,よく知られているように,パリで開催された万国博覧会と共同開催だった。言ってしまえば,万国博覧会のためのアトラクションのひとつとして開催された。しかも,万国博覧会と同じ期間,すなわち,半年にわたってオリンピック大会も行われていたのである。それは,万国博覧会会場近くの公園の芝生を利用し,週末の土日を中心にして大会プログラムが組まれていた。まことにのどかな田園風景がそこにはひろがっていたのだ。そして,まことに素朴なスポーツ大会が開催されたのである。これが,クーベルタンのオリンピックに関する原イメージであった。

 だから,五輪を開催する都市を決定するのに,都市どうしを競合させ,「招致レース」を展開させる,などという発想は,少なくともクーベルタンにはなかった。すべては,クーベルタンが仲良しだったヨーロッパの貴族であるIOC委員が集まって,話し合いで決まった。開催都市の選定も,1904年はセントルイス(万国博覧会と共催),1908年はロンドン,19012年はストックホルム,という具合に巡回する方式がとられた。問題は,第一次世界大戦後になると,オリンピックを開催したい都市がつぎつぎに立候補するようになったことだ。

 こうして,オリンピックは徐々に注目されるようになり,その開催都市の選定をめぐって次第に加熱してくる。クーベルタンが失望した1924年のパリ大会の翌年,1925年のプラハで開催されたIOC総会においてオリンピック憲章が制定された。つまり,憲章を制定しないと運営がうまくいかなくなってしまったというわけだ。

 かくして,オリンピック・ムーブメントの目的,IOCの組織・権限・会議,NOCの権限,聖火,開閉会式,エンブレム,競技プログラム,五輪旗,選手宣誓の内容から表彰式の運営,とうとうにいたるまでことこまかに条文で規定された。以後のオリンピック大会はすべてこのオリンピック憲章の精神にもとづいて運営されることになる。もちろん,条文はそのときどきの国際情勢に応じて,改変をくり返し,こんにちにいたっている。

 「五輪招致レース」などという「正気の沙汰」とも思えない,馬鹿げた狂騒曲が演奏されるようになったのも,こうした経緯による。とりわけ,オリンピック大会が金儲けになることを実証してみせたロサンゼルス大会(1984年)以後のことである。かの実業家P.ユベロスはそれまでのオリンピックの運営とはまったくことなる「金儲け」の仕組みを編み出した。そして,その手腕が高く評価された。その結果,開催を希望する都市が激増した。

 つまり,「五輪招致レース」はオリンピックが経済に絡め捕られてしまったエンブレムでもあるのだ。以後,聖火リレーは商品として売りに出され,テレビの放映権はもとより,アスリートのからださえも金融化していく。そうしてとうとう金の亡者と化したサマランチ会長を筆頭に,IOC委員の圧倒的多数がそのあとに連なった。そのもっとも醜悪な,現代世界の縮図ともいうべきシンボリックなエンブレムが「五輪招致レース」なのだ。

 今回の,この狂騒曲を,日本の小中学生たちはどのように受け止めたであろうか,と考えるとわたしのからだは凍りついてしまう。なりふり構わず「勝てば官軍」という狂騒曲を安倍総理を筆頭に,チームニッポンが一致団結して(まるで,原子力ムラのように),熱演してみせたのだから。それをメディアは執拗に写し出し,リピートしたのだから。
 
 こうして,弱者の論理はますますこの世の片隅に追いやられ,一気に,強者の論理が世に憚ることになるだろう。政府自民党は,自信をもって憲法改変に走り,自衛隊の軍隊化へと触手を伸ばすだろう。こうなると,つぎなる演奏は「トルコ行進曲」だ。もう,その足音がすぐそこに聞こえてくる。

 こうして「五輪招致レース」の論理が,世界のすみずみにまで浸透していくことが,なによりも恐ろしい。しかも,無意識のうちに。

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