2013年9月15日日曜日

オリンピックがマネー・ゲームに転じたのはいつからか。スポーツの金融化のはじまりについて。その1.

  東京オリンピック招致が決まってからというもの,ほんとうにこれでいいのか,駄目だろう,じゃぁどうすればいいのか,と自問しつづけている。気持ちが落ち着かない。ここは少し冷静になって,オリンピックとはなんなのか,スポーツとはなにか,と虚心坦懐にゼロから考え直してみようとおもう。でないと,わたしまで狂気と化した「オリンピック狂騒曲」のまっただなかに巻き込まれてしまいそうだから。

 でも,やはり気になるのはけたのはずれたマネー・ゲームの実態である。とくに,オリンピック招致の切符を手に入れるためにいくら機密費を投じたのか,知りたい。しかし,こちらは極秘情報なので,まずは表にでてくることはない。ちらほらと,これから漏れ出てくる程度だ。それも,この程度の額だったらしい,という程度に。

 それにしても,オリンピックにマネー・ゲームが侵入しはじめるのは,いったい,いつからなのだろうか,と考えてみる。そんなに遠いむかしの話ではないはずだ。あるいは,ひょっとしたら,最初から・・・?ここらあたりはとても微妙なところがあるようだ。

 まずは,わかりやすいところからはじめよう。
 たとえば,わたしの記憶をたどってみても,1956年のメルボルン大会のときには,オリンピック代表選手たちがオリンピックに出場する費用はみんな自己負担だった。かく申すわたしも,じつは体操競技でオリンピックに出場することを夢見ていた人間のひとりだった。だから,メルボルン大会(1956年)のときには体操競技の代表選手たちがその費用をかき集めるために,たいへんな苦労をしていたのをこの眼でみて知っている。あまり詳しいことは書けないが,一部,わたしもお手伝いをさせてもらったこともあった。

 だから,自己資金のほとんどなかった選手などは,「そこそこの成績を収めてこないと帰ってからがたいへんなんだよ」,と顔を引き締めていた。当時はお茶の水にあった日本体育協会の前からバスで羽田に向かう選手たちを見送りに行ったときの雰囲気は一種異様なものがあった。わたしは小野喬選手に8ミリカメラを渡されて,必死になって撮影していた。だから,そのときの選手たちの表情をよく覚えている。一瞬の笑顔はみせるものの,つぎの瞬間には顔が引きつっていた選手もいた。ある意味で「決死の覚悟」でオリンピックに向かうというつよい決意が,選手たちの間にまだ漂っていた時代だった。

 「リラックスして,思いっきり楽しんできま~すッ」などとあっけらかんと報道陣に向かって言える選手たちとは天地ほどの違いがある。いまでは,基本的に税金で賄われているし,一流選手になれば企業スポンサーもついている。それもたやすい額ではない,と聞いている。いずれにしろ,こんにちのオリンピック代表選手たちは,少なくとも,最低限の必要経費は保証されているのだ。言ってみれば,オリンピック代表選手はそれだけの商品価値がある,ということを国が認めたということだ。場合によっては,株式の取引と同じように,若手の選手などは「有望株」として,さきもの取引の対象にもなりかねない。いな,もう,とっくのむかしから現実になっている。たとえば,高校野球の選手にまで,その触手がのびていることは,よく知られているとおりだ。

 こんなことを書きながら思い浮かべるのは人見絹枝という,かつての名ランナーのことだ。毎日新聞社の新聞記者をしながら,陸上競技の練習に励み,海外遠征やオリンピックに出場する費用をかき集めるために,全国を駆け回って講演をしたり,コーチをしたり,と身を粉にして獅子奮迅の奮闘ぶりだった,と伝記が語っている。帰国したら帰国したで,全国にお礼の講演やコーチをして回ったという。まじめで,律儀な人柄とはいえ,1910年代のオリンピック代表選手の実態はこういうものだったのだ。まことに残念なことに,あまりのハードスケジュールを無理にこなしたために過労死してしまう。わずか24歳という若さたった。

 こういう例をあげていくと際限がなくなる。
 もうひとつだけ。最初のころのIOC委員は,すべての費用を自己負担していた。初代会長であったピエール・ド・クーベルタンにいたっては,オリンピックのために必要な経費を惜しみなく負担していたという。その結果,莫大な遺産をすべて使い果たし,ついには破産してしまい,失意のうちに没したという。ここまで徹底しないまでも,個人として必要な経費(旅費,滞在費,など)の負担は,ミスター・アマチュアリズムの異名をとった第5代会長アベリー・ブランデージの時代(1952~72)までつづいた。

 そして,オリンピックにおけるアマチュアリズムの縛りが緩むにつれて,マネー・ゲームが本格化することになる。しかし,このマネー・ゲームもよくよく調べてみると一筋縄ではないことがわかってくる。詳しいことは『オリンピックと商業主義』(小川勝著,集英社新書,2012年)を参照のこと。いずれ,この本の情報にもとづく私見を展開してみたいとおもっているが,今回は,とりあえず,ここまでとする。

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