2015年11月2日月曜日

親指が痛い。だれだ,親指を傷つける奴は?

 「いいね」の親指に包帯を巻いた痛々しい図像が,最近,頻繁に現れるようになってきた。そう,FBのリンク先のページを開こうとするとでてくる,あの図像だ。パソコン画面上の図像を写真に撮ってみた。それが,下の写真。FBを楽しんでいるみなさんなら,だれでもお馴染みの図像だとおもいます。


もう,ずいぶん前からちょこちょこと現れるようにはなっていたが,その頻度はすくなかった。しかし,最近は,驚くほど多くお目にかかるようになってきた。

 いったい,だれが,どういう理由で,こういう事態が起きるようにしているのか,わたしにはわからない。噂によると,ブロバイダーの技術的な問題だ,という説が多いのだが,やはり,どこかの,だれかさんの差し金ではないか,という説も少なくない。もし,本当にそうだとしたら,相当の従業員を雇って,朝から晩までせっせとFBをチェックさせている,とでもいうのだろうか。そういえば,ある政党が(ということにしておこう)そういう専門の作業チームを結成して,FBのみならず,ツイッターやYOUTUBEの内容にも手を入れているという話もどこかで小耳にはさんだ記憶がある。

 そう言われてみれば,心なしか反政府的な情報のときに,この図像がよく現れるようにおもう。もちろん,そうでない場合もあるのだが・・・・。頻度としては,圧倒的に多いのが「反政府」的な情報のとき。それは間違いない。たしかだ。

 だとすると,だれかさんの指図によるものらしい,ということになってくる。

 だって,NHKを筆頭に,新聞の全国紙や,テレビ局のほとんどが,だれかさんの圧力がかかっているというのは,だれの目にも明らかだから。こちらは,それぞれのメディアのボスを抑え込んでおけば,それでOKだ。いとも簡単に,力づくで済む。しかし,SNSとなると,話は簡単ではない。相当に大がかりな組織を必要とする。

 だから,潤沢な資金をあやつることのできる政党しか,この手のことはできない。となれば,おのずから,どこの,だれが,ここに手を突っ込んできたかは明らかだ。そして,どうすればSNSの世界を自在にコントロールできるようになるか,そのノーハウを,専門家を結集して必死になって研究している,という話も耳にする。なぜなら,選挙権が18歳まで引き下げられたからだ。この若い世代は新聞やテレビはあまり見ないという。それよりは,圧倒的にSNSの情報を頼りにしているという。だとしたら,ここを制したものがつぎの選挙には有利にはたらく,とはだれもが考えることだ。

 SEALDs という学生さんの団体がことしの5月3日に結成されてから(その前身があるが),わずか数カ月の間に全国の学生さんにまでその輪が広がり,あっという間におそるべき力を発揮したことはよく知られているとおりだ。いまでは,明らかに,政権与党はびびっているという噂で持ちきりだ。そして,徹底した内部調査にとりかかっているとも聞く。しかし,実態があるようであってなにもないから,手も足も出せないらしい。これまでに前例のない,まったく新しい「共同体」(モーリス・ブランショの「明かしえぬ共同体」をお手本にしているとも)を模索していると言われるくらいだから,既製の古い体質の共同体しか考えられない現在の党派政党の視野ではとらえ切れないだろう。いまの学生さんたちの考えることは凄い。

 こんなことも考えながら,いまさらのように,この「痛い親指マーク」を操作しているのは,どこの,だれなのだろうか,と素朴に考えてしまう。

 こんなことはしないで,まったくの自由にさせておけばいいのに・・・・。それこそ予定調和的に,収まるところに収まっていく,とわたしは考えているのだが・・・・。そして,当初に比べたら,少なくともFBに関しては落ち着いてきているようにおもうのだが・・・・。わたしのFB にリンクを張ってくる人も,いまではわけのわからない人からはなくなってきた。これでいいのだ,と考えているのだが・・・・。

 もう,しばらくは様子をみてみたいとおもいます。

2015年11月1日日曜日

いま,辺野古では連日たいへんなことが起きています。

 11月1日(日)。秋晴れ。いよいよ秋たけなわ。昨日はハローウィンで仮装した人たちが渋谷の駅周辺に集まり,大賑わいだったそうです。これからクリスマスに向けて,にわかクリスチャンのシーズンのはじまりといったところ。一見したところ,世の中,なにごともなく平和そのもののようにみえます。が,はたしてそうでしょうか。この見せかけの平和の影で「泣いて」いる人たちがどれほどいるか,と考えるとわたしのこころは晴れません。

 そのうちのひとつ。沖縄・辺野古では,連日,たいへんなことが起きています。沖縄2紙は,連日,一面トップでこの情報を大きく取りあつかっています。もちろん,沖縄のテレビ,ラジオも,毎日,辺野古で起きているありのままの情報を県民に「丁寧に」伝えています。ですから,沖縄県民の多くの人たちが,日を追うごとに露骨に酷くなっていく「沖縄差別」を,からだの痛みとして感じとっています。

 なのに,本土に暮らすわたしたちはどうなのでしょうか。

 「政治的中立」を謳うNHK  は一切無視して,ひとこともこの問題に触れようともしません。そして,このNHKに見習うかのごとく,テレビ局の多くも,ほとんど辺野古問題をスルーして取り上げません。読売,朝日,毎日,日経,などの全国紙も大同小異です。かろうじて,東京新聞をはじめとするいくつかの地方紙が頑張っている程度です。最近では,「日刊ゲンダイ」が大活躍していて,着実に読者を増やしているようです。

 本土のマスコミ,ジャーナリズムがこの体たらくに乗じて,アベ政権は「無法」状態をつくりだし,東京砂漠を「暴走」しつづけています。「丁寧に説明する」と口約束だけしておいて,野党の要請があったにもかかわらず臨時国会は開かず(憲法違反),中国包囲網構築と称して,アジア諸国に金をばらまいて歩いています。国内にはもっと税金を注ぎこんで対応しなくてはならない喫緊の課題が山積しているというのに・・・。

 国民の眼を外に向けさせておいて,その間に,辺野古では眼を覆うばかりの暴力的な警察権力がまかりとおっています。90歳を越えたおばあたちと一緒に座り込みをしていた参議院議員(糸数さん)をも,ゴボウ抜きにして排除しています。おばあたちが「痛い,痛いっ!」と叫んでいるにもかかわらず,一切無視して引きずっていきます。もはや,手段を選ばずといった暴挙が平気で行われています。しかも,工事再開そのものが違法です。きちんとした法的手続すら踏まずに,見切り発車をしています。

 なんといったって,沖縄防衛局を公人ではなく,一私人と見立ててまでして,法を悪用することを政府が率先しておこなっている,それがアベ政権のやっていることです。つまり,防衛局をわざわざ一人の国民とみなして国土交通省に訴えをさせ,翁長知事の工事差し止め要請を破棄させるという,仲間うちの「替え玉」を使っての「猿芝居」まで演じなくてはならないほど,もはや,追いつめられているというわけです。これは「替え玉受験」そのものです。もはや,正攻法で攻める手はない,ということをアベ政権がみずから露呈しているようなものです。まだまだ,アベ政権は,もっともっと見苦しい「猿芝居」を演じないと辺野古の工事を進めることはできません。

 これからアベ政権がいかなる「猿芝居」を演じて,人びとの関心をすり替えていくのか,大いに注目していきたいとおもいます。もはや,見るに耐えないほどのお粗末なお芝居が展開することになっています。予告しておきます。どうぞ,みなさんご注目を。

 そして,そこで演じられていることがらの本質はなにか,そこをお見逃しなきように・・・・。

読書の秋だ。贈呈本がつぎつぎにとどく。衝動買いも。偉いこっちゃ。

 今日は一日かけて夏物の衣類を片づけて,秋冬物に入れ換えました。こんなことはこれまでやったことはありません。が,諸般の事情で,自分でやらなくてはならなくなりました。そういう年代に入ってきたということでしょうか。まあ,こんなものかなぁ,と人生を達観した境地です。

 気がつけば,もう11月です。あれもこれも,全部,積み残したまま秋真っ盛りです。なかでも,いただいた本と衝動買いした本が山のようになっています。さて,これらをどのようにして裁くか,思案のしどころです。その一部を紹介しておきますと,以下のとおりです。

 『スポーツ学の射程』「身体」のリアリティへ,井上邦子,松浪稔,竹村匡弥,瀧元誠樹編著,黎明書房,2015年9月刊・・・・・・この本は,すでにこのブログでも紹介済みですが,わたしの喜寿のお祝いに刊行し,プレゼントしてくれたものです。ありがたい限りです。嬉しさのあまり,一気に読みました。こんどの11月・びわ湖成蹊スポーツ大学での例会で合評会が予定されていますので,いまから楽しみ。

 『カタストロフからの哲学』ジャン=ピエール・デュピュイをめぐって,渡名喜庸哲,森元庸介編著,以文社,2015年10月刊・・・・・・冒頭に,序<破局>に向き合う──J=P.デュピュイ『聖なるものの刻印』から,と題した西谷修さんの論考がありましたので,真っ先に,そこだけは読みました。昨年のわたしたちの東京例会でお話いただいた内容を『スポートロジイ』第3号に投じてくださり,その原稿をさらにブラッシュ・アップし,新たな書き下ろしを加えた素晴らしい内容になっていました。なお,西谷さんのお話にコメンテーターをつとめてくださったのが,森元庸介さんと渡名喜庸哲さんでした。そんなわけで,ご縁というものはありがたいものだと感謝している次第。森元さんと渡名喜さんの論考をこれから楽しみにしているところ。

 『なにわのスポーツ物語』──廃藩置県から140年,なにわのスポーツ研究会〔編〕,丸善プラネット,2015年6月刊・・・・・・この本の企画段階に少しだけ接点がありましたので,ずいぶん長い年月をかけてここまでたどりついたものだと感心しています。こういう息の長い,地道な努力が,最近ではすっかり影をひそめてしまいました。その意味で,この本の刊行はきわめて意味のあるものとなりました。内容は多岐にわたりますが,丹念に資料を収集し,読み込んで,まとめた貴重な本と言っていいでしょう。わたしの研究仲間の玉置通夫さん,中房敏朗さんの論考も収められています。大いに楽しみ。

 『わたしたちは砂粒に還る』今福龍太著,河出書房新社,2015年10月30日発行・・・・・・もう,10日ほど前に到着していますので,印刷・製本がでてすぐに出版社から直送だったようです。この本の巻頭を飾る論考に「ふたりのジャック」海の臨界へ,と題する文章が置かれています。これは,もう遠いむかしになりますが,スポーツ史学会のシンポジウム(竹谷和之さんがセッティング)で,ジャック・マイヨールを招きました。その折に,ジャック・マイヨールと今福さんとわたしの3人がシンポジストを勤めました。それがご縁で,ジャック・マイヨールが自死したとの訃報が今福さんから飛び込んできました。そのときの衝撃を,この論考はみごとに伝えています。言ってみれば,この本全体が,ひとつのレクイエムになっています。じっくりと熟読する楽しみが待っています。

 『こんなことを書いてきた』──スポーツメディアの現場から,落合博著,創文企画,2015年10月10日刊・・・・・・・毎日新聞の論説委員の落合博さんの,これまでに書きつないできた新聞の連載コラムを整理して,まとめた本。単発的には,いくつかのコラムを読んできているのですが,こうしてまとまると,やはり,インパクトはまるで違ってきます。達意の文章が光ってきます。短いコラムの枠組みのなかで,テンポよく話題を展開し,ポイントをはずさないたしかな眼力。そして,最後の一行が切れ味鋭く決まっています。全体の編集もみごと。「未来」へのメッセージ,とまえがきの最後の一行,これも著者の思い入れのこもったひとこと。いい味を出していますねぇ,と感心。このコラムのなかには,わたしたちにもお馴染みというか,深くかかわってきた先輩・後輩の名前が登場します。おやおや,とこれまた楽しみ。

 『大いなる体育・スポーツを求めて』体育学・スポーツ学再生の第一歩,山本徳郎編著,2015年5月刊・・・・・・・大学の直系の大先輩からの献本。体操部・体育史研究室,そして,その後の研究活動もずっと同じ道を追ってきたわたしにとっては大いなる恩人のひとり。なのに,このところ疎遠になっていて,失礼のしっぱなし。でも,主義主張はかなり異なり,お互いに独立独歩できていますので,それもまた宣なるかな,ともおもってきました。が,わたしの病気のことをブログで知ったという手紙とともに,激励のことばが添えられていました。ありがたいかぎりです。わたしも返礼といってはなんですが,『スポートロジイ』を献本しなくては・・・・と考えているところです。それより前に,まずは,礼状を書かなくては・・・・。

 というようなところでしょうか。まだ,だれかから本が送られてきているような気がするのですが,どこかで,なにかの下積みになっているかもしれません。もう,整理学がほとんどできなくなってきていますので,お許しのほどを。

 この他に,散歩ついでに書店に立ち寄り(これはもう習慣のようなもの),せっせと立ち読みをするのですが,ついつい我慢ができなくなって,衝動買いしてしまいます。そういう類の本もいつしか山のようになっています。すぐに拾い読みして当りはつけてあるのですが,なかなか本気で読むところまではいけません。その前にしなければならない雑用が多すぎます。そろそろ身辺整理をして,のんびりと読書の秋を楽しめるようにしなければ・・・・,と本気で考えるようになりました。

 でも駄目なんだろうなぁ,なんせ意思が弱いものですから・・・・。

2015年10月31日土曜日

立憲デモクラシーの会・公開シンポジウム「安保法制以後の憲法と民主主義」に行ってきました。

〔立憲デモクラシーの会・公開シンポジウム〕

日時:10月30日(金)18:00~20:30
場所:日本教育会館3Fホール(神田神保町)
テーマ:安保法制以後の憲法と民主主義
司会:山口二郎
演者:杉田 敦,五野井郁夫,青井未帆

 かなり大きなホールでしたが,ほぼ満席。盛況でした。
 司会の山口二郎さんはもとより,演者のみなさんも気合十分。気魄のこもったシンポジウムになりました。それに呼応するかのように聴衆もまた一流でした。壇上とフロアの呼吸が合うと拍手が起きたりして,とてもいい雰囲気でした。あの安保法制の議決の仕方をみて,すっかり熱が冷めてしまったかとおもっていましたが,どっこい,前にも増して熱気を帯びていることを知り,大いに勇気づけられました。壇上の演者もそれを聞く聴衆も,これから以後も,みんなやる気十分でした。ちょっと無理をしてでかけてよかったとおもいました。

 まずは,開会の挨拶に立った樋口陽一さんのことばが印象的でした。そのいくつかを紹介しておきますと,「終わりなき長期戦のはじまりである」「学問は多数決ではない」「徹底した相互批判をすることが学問の本質だ」「個でありつづけて,連帯を恐れず」,など,かつての東大全共闘との団交でのやりとりなどを交えたお話が強く印象に残りました。

 
つづいて杉田敦さん。「立憲デモクラシー」ということばが日本の社会にも定着しはじめたことが,今回の安保法制の議論をとおしての一つの成果だったのではないか。じつは,立憲デモクラシーということばは,立憲主義+民主主義という意味なのだが,この二つの主義は相反する要素をもっていて,相互に緊張関係にあることを忘れてはならない。立憲主義は「法の支配」を意味するし,民主主義は「個としての自律性」を守る。憲法は準則ではなく原理である(長谷部)という立場を支持したい。世間には分離解釈の立場をとる人たちがいて,その立場からの批判もあるが,それは憲法解釈には不適切であり,間違っている。憲法はどこまでも権力の暴走を食い止めるための装置なのだから,原理として重視しなくてはならない。それがはずれてしまったら,権力は暴走するのみだ。それが,いまの情況を生みだしている。

 つぎに,五野井郁夫さん。議会制民主主義はみるも無惨に崩壊してしまったが,議会の外での民主主義が大きく育ち,政治の理想を語る文化が誕生した。とりわけ,SEALDs の若者たちの活動が際立っていた。たとえば,プラカードをはじめ,英語が多用されたことが,これまでの抗議行動にはみられなかった新しい傾向として注目されてよい。それは,日本のメディアが頼りにならないので,英語表記を多用することによって外国のメディアに訴え,外国の新聞が大きく取り上げることによって,日本の新聞社などがそれを報道する,という効果を狙ったものだ。これは「ブーメラン効果」と呼ばれる一つの運動の手法である。これがみごとに成功していた。

 
つづいて,青井未帆さん。安保法制は違憲である,という立場から発言したい。憲法を無視し,議会法をも無視して誕生させた安保法制は,違憲以外のなにものでもない。こんな異常なことが議会をとおして起きてしまった。つまり,ルールのない世界に突入してしまったということだ。こんなことは前代未聞である。しかし,なぜ,こんな異常な事態が起きてしまったのか。ひとつには,国民の責任を問わなくてはならない。ふたつには,国会議員に立法府の人間としての特権が認められているという自覚が欠落しているのではないか。議員を自律させるための国民の厳しい監視が求められるだろう。「人間かまくら」的議決は断じて許せない。かくなる上は,わたしたちがルールをつくっていかなくてはならない,そういう現状認識と自覚が必要。わたしたちの「立憲デモクラシー」を作り上げていくこと,そして,法秩序を回復させること,それが重要である。

 
とまずは,シンポジストの基本的な考えがひととおり述べられてから,司会の山口二郎さんからもひととおりの所感が述べられた。そのあと,演者間のディスカッションに。その内容は,とても魅力的なものでしたが,長くなるので,ここでは割愛。

 そして,最後に,山口二郎さんの指名を受けて,西谷修さんがフロアから,立教大学の事例をジョークを交えて報告。つまり,学者の会の研究会のための会場貸し出しを拒否した,そのことの意味とその余波について,を報告。今回のシンポジウムで,初めて会場が笑いにつつまれた時間でもあった。笑いのなかに,じつは,日本の社会が抱え込んでいる「政治的中立」の歪みという普遍のテーマを浮き彫りにする,とても重要な話をされました。

 
以上,シンポジウムを傍聴した感想の,ほんの一部の紹介です。詳しくは,IWJの動画がネット上で流れているとおもいますので,そちらをご覧ください。とりあえず,これにて。

2015年10月30日金曜日

この国はもはや「無法」状態。だれも責任をとらない。日本国,一気に崩壊か。

 運動会の組体操で事故が多発し,大きな話題になっています。人間ピラミッドやタワーは,運動会の人気プログラムで,多くの学校で実施されているようです。しかし,組体操とはいかなるものかという専門的な訓練を受けた教師はほとんどいないため,子どもたちの能力の限界を見極めることができず,事故があとを絶ちません。にもかかわらず,だれも責任をとろうとはしません。教育委員会も校長も指導に当たった教員も,俺は悪くない,と責任をなすり合っています。

 学校問題でいえば,これは氷山の一角にすぎません。

 ことほど左様に,社会もまた乱れにみだれてきました。わずか,ここ数年の間に。急激に。

 なぜでしょう。

 ひとことで言えば,「3・11」以後,未来に夢も希望もいだけなくなってしまったからです。みんなその場しのぎの刹那主義に走るようになってしまいました。そして,切羽詰まって,身動きとれなくなってしまうと,「自爆」してしまいます。「だれでもいいから殺してみたかった」という具合に。あるいは,横領,詐欺,データの改竄・・・・等々,きりがありません。

 言ってしまえば,未来の不在。

 この元凶をたどっていきますと,新自由主義経済に行き着きます。フリードマンが仕掛けた人間不在の経済優先主義。これがノーベル賞を受けた経済理論だったことが悲劇のはじまり。アメリカが一気に新自由主義経済にその舵を切り換えてしまいます。その結果,その余波は全世界に拡散し,日本もそっくり取り込まれてしまいました。

 とりわけ,小泉政権の郵政民営化あたりから顕著になってきました。いまは,アベノミクスがそれです。しかも,「新三本の矢」なる絵空事のような経済政策を打ち出して,国民の眼を欺こうとしています。なにがなんでも景気をよくするためには,原発を再稼働させ,外国に売りに出し,それでも足りないので税率を高くし,さらに武器を生産・輸出したり,戦争ができるようにして非常事態で切り抜けようというわけです。そのためには,憲法の曲解解釈を閣議決定して,無法状態をつくりだしました。もはや,政府のやりたい放題です。憲法を無視する方法を編み出した以上は,もはや怖いものはなにもありません。憲法の下にある法令など屁の河童です。

 たとえば,辺野古問題をみていれば,もはや,日本国は「無法」状態であることがよくわかります。翁長知事による工事差し止め要請に対して,政府は,法律を悪用して(使えない法律を使って),むりやり翁長知事の「工事差し止め」効力の無効措置をとり,工事を再開しています。この措置に対しては,「普天間・辺野古問題を考える会」(代表・宮本憲一)が「知事判断を支持する」という声明を発表し,強く抗議をしました。また,行政法学者93名による「行政法違反」(政府のとった手続の不当性)を指摘した声明を発表しました。その一方では,辺野古3区に対して,政府が直接,地域振興補助金を交付するという,とんでもない暴挙にでました。これは,明らかに「地方自治法」違反です。それでも,政府は知らん顔です。さらに,熊本県でのオスプレイの飛行訓練は地元の賛成が得られないので見送るという(スガ官房長官)。熊本県民の民意は尊重するが,沖縄県民の民意は無視。これがアベ政権のやり方。これでは長年にわたる「沖縄差別」が,いまもなお,露骨に行われているとしかいいようがありません。

 ことほど左様に,いまのアベ政権は憲法も法律も無視して,自分のやりたい放題がつづいています。「丁寧に説明する」と約束した舌の根も乾かないうちに,野党の要請する臨時国会はスルーして,喫緊の課題が山積しているのに(たとえば,TPP問題,など),すべて蓋をして知らん顔。これもとんでもないことで,立派な憲法違反です。「丁寧に時間をかけて説明する」と約束したアベ君は,またもや大嘘をついて,外遊に必死です。そして,金の大盤振る舞い。冗談じゃあない。国内には貧困家庭がいっぱいあって,食事もまともにできない子どもたちが「6人に1人」もいるというのに。あるいは,原発事故のために故郷を追われて放浪している人たちがいっぱいいるというのに。あるいはまた,ブラック企業にこき使われて,残業手当てももらえないまま,泣き寝入りしている若者たちがごまんといるというのに。

 主要メディアも政権のいいなりなので,こうした「無法」状態にあることを批判しようともしない。だから,多くの国民も,なにも知らないまま,自分のことで精一杯。ジャーナリズム死して,残るは山河のみ。人間はみんな「事物」と化してしまいました。

 こんなデタラメな政治が行われているのに,いやいや政府による立派な「犯罪行為」が行われているのに,野放しのままです。政治のトップから末端にいたるまで,まさに「無法」状態。これをいいことに「ばれなきゃあ丸儲け」とばかりに,守銭奴たちは,だれもかしこも「悪」の道に走り出してしまっています。

 これでは,一気に,日本国が崩壊してしまうのは必定。いな,もう立派に崩壊しています。あとは,戦争状態に持ち込んで,国民の眼を欺き,逃げ切ろうという算段なのでしょうか。おそらく,アベ政権は,政治的なトラブルが起きてにっちもさっちもいかなくなったら,すぐにも自衛隊を海外に派遣して,非常事態を出来させる暴挙にでることでしょう。そうなったら取り返しのつかないことになってしまいます。それではわたしたち国民が困るので,その前に,「お腹が痛くなって」,政権を投げ出してほしいものです。

 こんな危険な状態になっているというのに,野党は野党で,目先の利害打算に眼を奪われていて,大局を見失っているようにおもいます。唯一,共産党だけが,現段階では正常な見識を示しているようにおもいます。

 たったひとりの人間が狂ってしまったからとんでもないことになってしまったとおもっていたら,どっこい,気づいてみたらわれわれもみんな狂ってしまっていた,というのが現状のようです。こうして,独裁政治が独走し,ファシズムが全体を覆うようになっていくのでしょう。空恐ろしいことが現在進行形で進展していることに,わたしたちはもっともっとナーバスにならなくてはなりません。

 SESLDs の若者たちは,しっかりと,ここに照準を当てて,つぎなる戦略に取り組んでいるようにおもいます。わたしたち大人はもっと頑張らなくてはいけません。黙っていることは,現段階では,アベ政権支持と同じことを意味します。もし,そうでないのであれば,自分の声をあげるか,行動にでる以外にはないのです。

 わたしは,いま,こんな風に考えていることを宣言します。10月30日。大場亀三郎(これはわたしのペンネーム)。

2015年10月29日木曜日

「気場」ということについて。李自力老師語録・その63。

 たまたまご縁があって,李自力老師の特別レッスンを見学させてもらったことがありました。対象は日本を代表する女子選手たち。その折に,李老師が説かれた「気場」ということばがずっと気がかりになっていました。

 かんたんに説明しておけば,気の置き所,あるいは,気を入れるポイント,というような意味であったと記憶しています。とくに,陳式などの早く力づよい動作を決めるときに強調されていたようにおもいます。が,それだけではなくて,ゆっくりとした動作の楊式などでも,一つの技が決まる動作のときには,この「気場」が大事です,と仰っていたようにおもいます。

 つまり,「気」をどういうときに,どこに置くのか,その「場」をわきまえなさい,という教えなのでしょう。ということは,わたしたちが長年とりくんでいる「24式」にも該当することになります。言ってみれば,「気」をどのように遣うのか(=「気遣い」),ここがポイントになってきます。別の言い方をすれば,「めりはり」をどのようにつけるか,ということにもなるでしょう。もっと厳密に言えば,技の決めに「気」を籠めろ,ということなのでしょう。

 「気」の抜けた太極拳などは,どう考えてみても,それはもはや太極拳とはいえません。むしろ,まったく逆に「気」の流れが,一つひとつの動作に表出するような太極拳こそが,理想として求められることになります。この肝心要の「気」をわがものとし,その上で,動作に合わせてどのようにしてとおすのか,あるいは,流すのか,ここが大きな課題となってきます。

 こうなりますと,「気」とはなにか,という議論になってきますが,この話はいずれまた別の機会に書いてみることにします。ここでは,とりあえず,経験則にもとづく「気」の範囲という程度で理解しておいてもらえればいいとおもいます。つまり,「気分がいい」「気持ちがいい」「気合を入れる」「気が合う」「気力が充実している」「気がみなぎる」「気を鎮める」「気が滅入る」「気が狂う」「気が散る」「気が多い」「気が短い」「気がいい」「気が知れない」「気がない」,というような具合で用いられる「気」です。

 しかし,これだけでは,やはり,やや片手落ちだとおもいますので,もう少しだけ補足しておくことにしましょう。「気」のもともとの意味は,天地を満たし,宇宙を構成する基本となるものの総称です。もう少しだけ踏み込んでおきますと,生命の原動力や勢いのこと,あるいは,活力の源,といったところです。なんのことはありません。これこそが太極拳の「太極」の意味そのものなのです。すなわち,混沌(老子),宇宙の本体,万物生成の根源,というわけです。

 ですから,「気」はすべて万物生成の根源から発せられるものだということになります。その「気」を,わたしたちのからだで受け止め,それを太極拳でもちいる「場」,それが「気場」ということになるのでしょう。

 こういう眼で,李老師の動作に注目してみますと,まさに,この「気」が全身を駆けめぐるようにして動いていくのが見えてきます。そして,それは,もはや異次元の世界を彷彿とさせるものです。なぜなら,日本を代表するような選手たちを前にしてみせる動作は,ごく簡単な動き方からして,選手たちのそれとは次元が違います。この違いはどこからくるのでしょうか。

 その結論は,「気場」を,どこまでわがものとしているのか,その一点にあるとおもいます。そして,それを自由自在に駆使できるようにするための稽古の蓄積であり,同時に,こころの置き所,すなわち「気場」との一体化にある,ということだとおもいます。

 道は遠く険しい。だが,歩まねばならない。
 そうこころに決めて,前を向きたいとおもいます。 

2015年10月27日火曜日

「国民舐めるな」。「若者を使い潰し」ておいて,「一億総活躍社会」だって?ヘッ!

 馬鹿も休みやすみ言え!日本もアメリカと同じように,1%の富裕層のために99%の国民が「貧困化」に向かっているというのに・・・・。その上,「労働者派遣法」などという「悪法」まで制定して,「若者を使い潰し」ている「ブラック企業」を,さらに野放しにするどころか「助勢」までする,とんでもないアベ政権が,なんと「一億総活躍社会」だって,サ。聞いて呆れる。

 国民舐めるな!

 
アベの頭が狂っていることは,いまにはじまったことではないが,その狂人に隷従する自民党・公明党の議員諸氏の頭も相当にイカレている,としかいいようがない。どう考えてみても,完全なる「思考停止」状態。裸の王様をみてみぬふりをしている。そろそろ純粋無垢のこころをもった子どもの登場があってもいいのだが・・・・。それも叶わぬらしい。なぜなら,来るべき選挙で,党の推薦が欲しいから。少しでも抵抗しようものなら,党の推薦からはずされてしまう。それでは,小選挙区は戦えないのだ。こういうからくりをスガは存分に悪用し,アベ独裁を産みだしている。

 わずか30%足らずの得票率で,圧倒的多数の議席を確保できてしまうからくりも,この小選挙区制にある。だから,この小選挙区制をなんとかしなくてはならないのだが,自民党に有利に機能している間は維持しつづけることだろう。もっとも,この制度は,ひとたび,潮目が変わると大逆転を起こす制度でもある。その意味では,われわれ選挙民が問われている制度でもあるのだ。だから,われわれ自身がよくよく考えて投票することが先決なのだ。言ってしまえば,逆に,われわれが利用すべきだ,と。

 
この新聞が報じていることはきわめて深刻だ。こんなブラック企業を野放しにしたまま,新「三本の矢」のひとつに「国民総活躍社会」をかかげ,その実現をめざすという。前の「三本の矢」の総括もしないで,またまた,眼くらましのようにしてつぎの新「三本の矢」の提示である。メディアもまた,すぐにそれに飛びついて,話題をころがして,弄んでいる。こちらもまた「思考停止」状態のまま,政府与党のご機嫌とりに必死だ。なんともはや,みっともない。

 まずは,「三本の矢」政策の結果はどうだったのか,その総括をするのがメディアの役目ではないのか。いやいや,その前に,アベ君がみずからかかげた政策の総括をすべきなのだ。そして,その反省の上に立ち,新「三本の矢」の提示をすべきなのだ。しかし,なぜか,そこには蓋をしたまま,だんまりを決め込んでいる。もし,どうしても総括しない/できないということであるならば,暗黙のうちに「失敗」だったことを認めていることになる。だから,なにも言わないでやりすごし,国民の目先をつぎの「三本の矢」にすり替える。やっていることがあまりに稚拙である。ほんとうに国民を馬鹿にしている。

 国民舐めんな!

 「国民総活躍社会」を目指そうというのであれば,まずは,派遣社員や契約社員を正社員にする手立てを明らかにすることだ。そういう法律を整備することだ。かつては,「3年継続したのちには正社員にする」という法案が準備されたこともある。そこに希望を託して,派遣社員や契約社員として,正社員なみに頑張っていた若者たちがたくさんいた。いまは,その希望もないまま,ずるずると「使い潰し」「使い捨て」にされている。遠い将来に向かって夢も希望もない生活を余儀なくされている若者が,どれほど多くいることか。

 まずは,この若者たちの救済策を講じてからの話ではないのか。「国民総活躍社会」の実現をめざすのは・・・・・。こうした根源的な矛盾には眼をつむって,ことば面だけを飾りつけ,国民を躍らせればいい,と考えているらしい。もはや,そんな甘い手で誤魔化されるような国民ではない。アベ君とその取り巻きは,このことをしっかりと自覚すべし。

 そうでないと,その「お返し」は選挙に跳ね返ってくる,と自覚すべし。
 もう一度,言っておこう。

 国民舐めんな!

2015年10月26日月曜日

CT検査の結果,転移の疑い。再度,精密検査をすることに。

 26日(月)の午後,CT検査の結果がわかりました。専門医のコンファランスの結果,転移の疑いがあるとのこと。場所は,肝臓の末端の表側に「一つ」。胆管には遠いところなので,外科医としては切除手術を薦めるとのこと。なお,慎重を期して,MRIでの検査をして,その他への転移がないかどうかを確認した上で,善後策を講じたいとのこと。

 その他の血液検査の結果は,総合的にはかなり回復してきており,順調な経過をたどっているとのこと。癌マーカーも反応なし。

 さてはて,参りました。限りなく黒に近い灰色だというのです。おろおろしていても仕方ありませんので,とりあえず,MRIの検査を受けることにして,つぎなる対策を考えることにしました。このままの流れですと,年内に切除手術ということになりそうです。もう一つの選択肢は,もう十分に生きたので,このまま放置して,元気なうちは好きなことをやり,あとはホスピスで,というものがあります。これも悪くはないなぁ,と視野のうちに入れています。

 そろそろ天命をまっとうしたと言ってもいい年齢にきていることも間違いありません。そのこころの準備もある程度はできています。

 しかし,残念なのは,この年齢になって,これまでむつかしくて歯が立たなかった哲学・思想の本が,ようやく読めるようになってきたということです。そして,ものごとを考える上での見晴らしがとてもよくなってきたばかりなので,もう少しだけ深淵を覗き見してみたい,という欲がでてきています。これさえなければ,もう少しかんたんに対応できるところなのですが・・・・。

 もっとも,こういう見晴らしのいいところにでてくることができたのも,癌と向き合い,二度の手術を経験したからかも知れません。なぜなら,それ以前とは,人生観が一変してしまい,まったく新たな地平に立ってものごとを考えることができるようになってきたからです。言ってしまえば,わたしの「生」の破局が,突然,目の前に立ち現れ,この破局との折り合いのつけ方そのものが忌避できない情況に追い込まれてしまったからです。

 こうなると,人間とは不思議なもので,みずからの「死」を視野に入れてものごとを考えることが当たり前になってきます。いままでは,遠いさきのことだとばかりおもってきた「死」が,もうすぐ目の前にきているのですから。もはや,くよくよしても仕方がありません。真っ正面から向き合い,目の前の「死」を少しでもさきおくりすることを考えるしかありません。こうなりますと,意外に,わたしの腹は決まってしまい,すっきりとしてきました。つまり,みずからの「死」を対象化し,一定の距離をもって対処することができるようになってくる,ということです。

 こういう経験は,当然のことながら,初めてのことですので,意外な発見の連続です。心境も驚くほど変化していきます。最終段階でこんな人生が待っていようとは夢にもおもいませんでした。これもまた面白い人生ではないか,とすらおもうほどです。

 つまり,「死」が視野に入ったとたんに,「生」がリアリティをもち始めたというわけです。すなわち,人間が「生きる」とはどういうことなのか,と本気で考えることができるようになった,というわけです。これもまた人生冥利につきると考えますと,人生観も世界観も一変してしまいます。こうして,広い意味での「宗教」が,自然に視野のなかに入ってきます。そして,じつに身近な,切実なテーマとなってきます。すると,道元さんの『正法眼蔵』が,もっと深いところで共振・共鳴できるようになってきます。

 こんな経験をしますと,やはり,もう少しだけ「生きてみたい」という未練が残ります。もう少し生きていたら,もっとよい見晴らしに到達することができるのではないか,と。でも,それは間違いのようです。道元さんに言わせれば,悟りは一瞬のできごとだといいます。しかも,その一瞬が連続していくというのです。死にいたるまで「只管打坐」だというのです。ということは,仏道もまた終わりがないということです。ましてや,人生に満足のいく終わりのあるはずがありません。

 どこかの時点で,「ここまで」と腹をくくる覚悟が必要なのでしょう。
 このあとに残されたわたしの人生は,その覚悟のタイミングをどこでとらえるか,にかかっているようです。それを楽しみにして,いまの一瞬,一瞬を生きていこうとおもいます。

 取り急ぎ,今日の検査結果を踏まえての心境を整理してみました。言ってみれば,自分自身への引導渡しのようなものですが・・・・。

『SEALDs  民主主義ってこれだ!』(SEALDs編著,大月書店)を読む。必読です。

 とうとう鷺沼の書店でみつけました。二日前には,この書店にはありませんでした。今日(24日)になっても,溝の口の書店にはまだありません。10月20日発売と聞いていましたので,すぐにも手に入るものとおもっていましたが,そうは問屋が卸しませんでした。

 この本が目に入ったとき,あったぁ!とおもわず小さな声で叫んでいました。急いで,どうしても必要な本は,アマゾンで買うことが常態化しています。しかし,やはり,本というものは自分の手にとって,匂いを嗅ぎ,中味を拾い読みしてから購入しないと,どこかしっくりきません。若いころからの本の購入の仕方がからだに染み込んでいるからです。

 ですから,ようやくにしてこの本を見つけたときは,むかしの恋人に出会ったような気分でした。急いで,中味を拾い読み。わたしの場合には,右手の親指でページを流していく習慣になっていますので,後ろのページから拾い読みです。いわゆる,逆読みです。つまり,「あとがき」から。

 
ところが,この本には「あとがき」なるものはありません。最初に目に入ってきたのは,真っ黒な紙が2枚,つまり,4ページ。もちろん,なにも書いてありません。あわてて,表の表紙を開いてみたら,やはり,同じつくりになっていました。なるほど,黒いページが8ページあるぞ,と考え込んでしまいました。ふつう内扉は1枚(2ページ)だ。なのに,その倍ある。これは単なるデザイン上の問題だけではないだろう,と勝手に推測する。

 と,こんな風にして,あちこちページをめくってみると,ふつうの本にはない,とても面白い編集になっていることがわかりました。とうとう,書店で立ったまま,1ページずつ,全部めくってみることになってしまいました。そして,なるほど,こんなつくりになっているんだ,と感心してしまいました。こんなにぐいぐいと内容に引き込まれてから本を購入するという経験も珍しいことでした。

 なんで,こんな書き出し方をしているのかというと,これまで慣れ親しんできた本のつくり方からすれば,相当に逸脱した,自由奔放なつくりになっているからです。なにかのカタログのような雰囲気もあれば,思いがけないページに著名人のメッセージが織り込まれていたり,といった具合です。まさに,奇想天外。自由自在の発想がそのまま本づくりに表出しているのです。ですから,ページをめくりはじめると,途中でやめることができなくなってしまう,そういう不思議な魅力的な仕掛けになっています。

 こんな本のつくり方があるのだ,とおもわず感心してしまいました。奥付をみると,そこには「スタッフ」の分担一覧が書いてあります。アートディレクター,デザイナー,チーフエディター,エディター,フォトグラファーのそれぞれに担当した人の名前が入っています。ということは,この本は,すべてSEALDs のメンバーによる手作りなんだな,ということがわかってきます。ということは,この人たちが智恵を出し合って,さんざん議論をし,最終的に落ち着いたのが,この本のつくりとなって現れているのだ,とわかります。

 そこで,はっと気づくのは,こんなところにも,かれらの主張である「民主主義ってこれだ!」のひとつの答えが隠されているということです。「民主主義ってなんだ!」から進化して,「民主主義ってこれだ!」にいたったその経緯も,こんなところにも表出しているんだ,とこれまた感心してしまいました。

 もう,はっきり断言しておきましょう。この本は素晴らしい,と。それも単なるお世辞ではなくて,本というものの概念を変えてしまうほどのインパクトをもっているという意味で,素晴らしい,と。まさに,民主主義というものを,本づくりにおいて実践してみたら,こんなものになった,というみごとなサンプルになっているのです。むしろ,それは驚くべきことだ,というべきでしょう。

 言ってしまえば,この本そのものが「民主主義ってこれだ!」の,ひとつの答えを提示しているといっていいとおもいます。みんなで,どんな本にしようか,というところから模索しながら,さまざまな提案をたたき台にして意見を交わし,紆余曲折を経て,とりあえずの落としどころをみつけていく,このプロセスそのものが,SEALDsの模索する「民主主義」のひとつのサンプルになっている,とわたしは受け止めました。ですから,SEALDsという運動体の内実が,この本のつくり方からも窺い知ることができる,というわけです。

 なお,本文を読んでいくと,もっともっと面白い発見が随所にでてきます。SEALDs とはなにかを知り,かつ,民主主義とはなにかを考える絶妙のテクストになっています。

 ぜひ,ご一読を。読み始めたら止まりません。

2015年10月25日日曜日

「赤い実」のなる木。ちいちゃい秋みーつけたぁ。

 鷺沼の事務所に通う,いつもの道沿いに,「赤い実のなる木」を発見。久しぶりに青空が広がったので,ひときわ,美しく映えていました。しばらく立ち止まって鑑賞していましたが,やはり,写真に撮っておこうと考え,ザックからカメラを取り出して撮影。

 
肉眼でみるのと,写真でみるのとでは大いに違うので,撮影にはいつも苦労する。肉眼だと,とてもきれいにみえているのに,写真にすると,これなに?という感じになってしまう。こういうことはよくあることだ。この写真もその一つ。いったい,なにが撮りたかったの?と自問自答。

 
これでは駄目だと考え,アップにしてみれば,この赤い実がきれいにみえるのではないか,と考えて撮ったのがこの写真。いくらか「赤い実」がみえてきた。でも,なんだかもの足りない。肉眼では,もっともっと「赤い実」がくっきりとみえているのに・・・・。

 
では,もっとアップにしてみればどうだろう,と考えて撮ったのがこの写真。ようやく,肉眼でみえている「赤い実」に近くなってきた。それでも,まだ,満足はできない。それほどまでに,肉眼には美しく青空に映えているのだ。もう,これ以上は無理だ,と判断して諦める。

 そして,しばらくは肉眼で鑑賞。きれいだ。ほんとうにきれいだ。おそらく,この枯れ葉が落ちてしまえば,もっと「赤い実」が際立ってくるだろうなぁ,とあれこれ想像してみる。ザックを下ろしたまま道路脇に立ってぼんやり上を眺めているので,道行く人が不思議そうな顔をしてとおりすぎていく。その人たちにしてみれば,なにも立ち止まってみるほどのものではないのかもしれない。しかし,ほとんどの時間を部屋に閉じこもって生活している者にとっては,こんな「小さな秋」発見ですら嬉しくて仕方がないのだ。なぜ?

 こういう光景に出会うと,わたしの記憶は一気に子ども時代に飛んでいく。そして,この赤い実は,竹鉄砲の絶好の弾になるな,とひらめく。でも,この赤い実を弾にするにちょうどいい雌竹を見つけるのはむつかしいかなぁ,とおもったりする。駄目なら,太さの違う雌竹を何本も用意すればいい。そうして,サイズを合わせればいい,などと勝手に想像だけが一人走りしていく。

 至福のひととき。あの時間が止まったかのような,遊ぶ時間がたっぷりあった子ども時代の記憶がつぎつぎに蘇ってくる。

 やはり,道行く人にとっては,変な老人に見えたのだろう。だって,こころ,ここにあらず,という顔で空を見上げているのだから・・・・。

「波風立つ 五輪海の森」。400億円「高い」とIOC。国際カヌー連盟も苦言。

 東京五輪は大丈夫か。そんな不安材料がつぎからつぎへと露呈している。東京五輪の不安材料については,大手のメディアがみんな腰が引けているのに,それでも後を断たないほどに,ぼろぼろとでてくる。東京新聞はその先陣を切るようにして,その不安材料を報道している。それでもまだ足りない,というのがわたしの立場。不安材料はもっともっと,いっぱいあるのだ。にもかかわらず,この程度だ。東京新聞ですら,東京五輪となると腰が引けている。なぜ?

 東京五輪を,世界に向けて誇れる大会にしたいのであれば,不安材料を早めに指摘して,それをクリアすることが先決ではないか,これがわたしのスタンスだ。

 
10月22日(木)の東京新聞が,写真のような記事を報じている。これも氷山の一角にすぎないのだが,他の全国紙に比べれば,踏み込んだ報道となっている。まずは,この記事のつかみの部分を引用しておく。

 2020年東京五輪でボートとカヌースプリントの競技会場として新設される「海の森水上競技場」について,国際カヌー連盟の幹部が,東京都が16日に発表した基本設計に「風や波の対策が不十分」と不満を示していることが,関係者への取材で分かった。都は詳細設計と施工を一括で入札業者の公募を始めており,競技団体の理解を得られないまま整備事業が本格化する。(中沢誠)

 問題点は挙げていけばきりがないほどあるが,新聞が指摘する核心部分だけを引用しておけば,以下のとおり。

 東西にコースが延びる水上競技場は近くで風車が稼働していて風は強く,夏は南風が多いので横風になる。水路は垂直護岸なので波が跳ね返り,護岸に近いコースが不利になりかねないとの懸念もある。

 と新聞は遠慮がちに報じているが,国際カヌー連盟は,これでは駄目だから改善を,とはっきり求めている。それに対して東京都は「善処する」という程度の姿勢で,入札業者の公募を始めている。国際カヌー連盟の要望がどこまで反映されるかも未知数のままだ。ここでも,新国立競技場のときと同じような「見切り発車」をしようとしている。この,いい加減な体質は,どこも変わらないようだ。政治の堕落が官僚の堕落にまで蔓延してきている。

 なぜ,こんなことになるのか。

 そこには,東京都が必死になって隠しつづけている「止むにやまれぬ事情」がある。「海の森水上競技場」などという,あまりにできすぎたネーミングにすべてが秘匿されている。「海の森」などと,なんとまあ美しいネーミングをしたものか,と裏事情を知っているわたしには笑止千万である。この「海の森」と称する地域一帯は,東京都が埋め立てた土地で,長年にわたって売りにでていたが,だれも買い手がなかった土地である。少し年配の人ならだれでも知ってのとおり,つい,この間まで有毒ガスが漏れていたり,発火して燃えていたり,といったどうにもならない土地なのだ。しかも,地下になにが埋まっているのかも,廃棄ゴミ以外にはない,ということもはっきりわかっている。その下は海底だ。こんな土地を買い取る不動産屋はいない。

 東京都は困りはてていたのだ。この難題を解消するために,じつは,東京五輪招致のアイディアが浮かんだ,そのアイディアに当時の石原都知事が食らいついた,というのがことの真相だ。そして,どうにもならない土地は全部植樹をして覆い隠し,そこに「競技コース」(2000m×8レーン)を設定すれば,すべて問題が解消するという算段だ。だから,少々,「横風」吹こうが,波が跳ね返ろうが,そんなことを忖度している猶予はない。なんとか,口裏を合わせて,さも善処し,対応したかのようなポーズをつくって乗り切ろうというのが本音だ。

 しかし,こんなことをしていると,最終的にどうなるか,だれの目にも明らかなのに・・・・。
 これほどに,政治が堕落し,官僚も堕落し,組織委員会(森喜朗会長)も堕落し・・・・,とその連鎖は止めようがないほどだ。国のトップが堕落しているのだから・・・・。実務に当たっている官僚もまた同様だ。言ってしまえば,総無責任体制。

 これで,東京五輪2020をやれるとおもっているのだろうか。わたしには理解不能である。

 どうやら,東京五輪という一大事業に群がる利権屋たちが・・・・,このさきは恐ろしくて,さすがのわたしも書く気になれない。あとは,想像にお任せする。
 ちょっと,テーマが大きすぎるので,いつか機会をみつけてしっかりと書いてみたい。ということで,今日のところはここまで。

2015年10月24日土曜日

「日本の中央政府はイカれている」(佐藤優)。

 10月23日(金)の東京新聞「本音のコラム」で,佐藤優さんがきっぱりと言い切っています。これを読んで,わたしの胸のつかえがすーっとおりていきました。

 「国家機関の申し立てを身内の国家機関が判断するのだから,結果はあらかじめわかっている。こんな茶番劇で新基地建設を強要できると考えている中央政府はイカれている。」

 
そう,翁長沖縄県知事が,辺野古の埋め立て承認を取り消したことに対して,防衛省沖縄防衛局が,不服審査請求と取り消しの効力停止を,同じ政府の国土交通相に申し立てた件の話です。言ってしまえば,防衛省がやっていることに対して,沖縄県が文句を言ってきたので,仲間うちの国土交通省にその判断を求めて決着をつけようとしている,という小学生でも笑ってしまうような茶番劇というわけです。

 こんな茶番劇で,お茶をにごして,辺野古埋め立てを「正当化」して,強行突破しようとしているのですから,佐藤優さんのみならず,だれしも「中央政府はイカれている」と,腹立たしくおもうのは当たり前でしょう。

 しかも,この手続は違法だと多くの法律の専門家たちは主張しています。佐藤優さんも指摘していますように,行政不服審査法は,第一条で目的を「国民の権利利益の救済を図る」と明記されているのです。ですから,政府や地方自治体などの行政機関同士の紛争を対象とした法律ではありません。それを無理矢理,防衛省を「私人」と見立てて,この手続は正当であると主張しているのです。いつ,だれが,防衛省のやることを「私人」の場合と同じだ,と(ワル)智恵をつけたのでしょう。こういう詭弁を用いるのは高級官僚の,それもエリート官僚のやりそうなことであって,並の政治家ではここまで頭がまわりません。自分の出世や天下りのためには,あらゆるワル智恵を働かせるのがエリート官僚の「本能」のようなものです。

 そのワル智恵のしり馬に乗って,のうのうと政治権力を振り回すのが,悪党の政治家たちです。その先陣を切っているのか,アベルフ・シンドラーだというのですから,もはや話になりません。佐藤優さんではないですが,「中央政府はイカれている」としかいいようがありません。

 しかも,佐藤優さんは,この短いコラムの最後のところで,きわめて重大な予告をしています。
 「日本の中央政府が,沖縄県の決定を茶番劇で覆そうとするならば,沖縄では,差別が構造化された日本法に対する不服従運動が起きる」と。それも,きっぱりと断言しています。わたしの,あまり多くはない沖縄情報からしてみても,不服従運動が起きる可能性はきわめて大である,とおもいます。それどころか,沖縄独立論に火がつくのではないか,とすら考えています。

 相撲でいえば,「猫騙し」のような手で目くらましをかまし,勝ち星を稼ごうなどという政府は,あまりに幼稚で,甘いとしかいいようがありません。やはり,国家の命運をあずかる政府としては,「イカれている」以外のなにものでもありません。

 情けないかぎりです。だれが? われわれ国民の意識の低さが。政府に舐められてしまう無抵抗ぶりが・・・・。なんとも情けないかぎりです。もっともっと声を出して,意思表明をしていかなければなりません。SEALDs の若者たちのように。

 安保関連法案は通過してしまいましたが,いまのアベ政権は臨時国会も開けないほど腰が引けています。国会前で声をあげ,デモをしたことが,かなりのカウンター・ブローとなって効いている証拠です。これからも手綱を緩めてはなりません。これから,もっともっと抗議行動を持続させ,盛り上げていくことが重要だとしみじみおもいます。

2015年10月23日金曜日

日本大学が「五輪養成学部」をスタート。さてはて?

 10月22日(木)の東京新聞が,日本大学に新しく増設される「スポーツ科学部」について,大きな記事として扱っている。そして,その見出しが仰々しい。

 
日大が「五輪養成学部」
競技向上に特化「まず東京で成果を」
スポーツ科学部 大嶋,エドバー進学へ
教員も大物ずらり

 とまあ,鳴り物入りの記事の書き方だ。
 これを読んだ第一印象は「甘い」というものだ。

 この「甘い」には二つの意味がある。
 一つは,記事の書き方が「甘い」。
 もう一つは,日本大学の考え方が「甘い」。

 前者は新聞社のデスクの問題。この記事は記名記事なので,直接的には「森合正範」氏の考え方が「甘い」ということになろうか。オリンピック選手を養成するにはこれが一番と考えているらしいが,はたしてそうだろうか。日本大学といえば,古橋広之進をはじめ,国際的にその名を馳せた名選手を何人も輩出してきている。その人たちは,みんな文学部や法学部といった専門の学問を学びながらスポーツに打ち込んできた。また,それが魅力で,普通の学部の勉強をしながら,スポーツにも全力を投じたいという学生さんが集ってきた。

 それを,なぜ,わざわざ「スポーツ科学部」に特化して,オリンピック選手養成を目指すことがベストであると考えるのだろうか。この点は,たぶん,世間の考え方とも一致しているのだろう。普通の学部で勉強しながらよりも,スポーツ科学部で専門の勉強をしながら,競技に打ち込む方が効率的である,と。記者氏も日本大学の経営者も,考え方としては同じであろう。

 ならば,あえて,問おう。日本には,すでに,体育・スポーツ系の単科大学はいくつもある。さらに,体育・スポーツ系の学部もいくつもある。言ってしまえば,ありあまるほどだ。大学や学部によっては,学生を掻き集めるのに苦労しているところも少なくない。しかも,これらの単科大学や学部から,オリンピック選手が,圧倒的に多く輩出しているかといえば,必ずしもそうではない。

 むしろ,総合大学の一般の学部から,オリンピック選手はいくらでも生まれている。はたして,この事実はなにを意味しているのだろうか。熟慮を要する点だ。

 もう一点。「教員も大物ずらり」と新聞の小見出しにあるので,どんな人たちかとみてみると「日大スポーツ科学部の主な教員」として,以下の人たちの名前があがっている。陸上:小山裕三・森長正樹,水泳:上野広治,柔道:北田典子,体操:西川大輔,の5名。言っては悪いが,このレベルの指導者なら,体育・スポーツ系の単科大学にはいくらでもいる。いや,もっと名前の知られた指導者を,もっと多く集めている。体育・スポーツ系の学部でも同じだ。

 それと,名選手,必ずしも名指導者とは限らない,ということ。選手時代はほとんど無名であったが,指導者として名をなした人もいくらでもいる。

 最後にもう一点。新聞の見出しによれば,「スポーツ科学部 大嶋,エドバー進学へ」とある。この二人は,インターハイなどで男女の短距離で活躍した高校生だ。どのような経緯で,この二人の進学が決まったのかは記事にはないのでわからないが,相当に熱心なスカウティングがなされただろうということは想像に難くない。それどころか,高校生の名選手の過激なスカウティングが,こんごますます盛んになり,それによる弊害の方が,無視できなくなってくるのなはないか,とどこか危ぶまれて仕方がない。

 以上,凡人の杞憂まで。

2015年10月22日木曜日

術後3カ月の検診を受けてきました。

 肝臓への転移がみつかったのが6月の上旬。これによって,とうとうステージ4の末期癌の宣告。切除手術を受けるかどうか,さんざん考えた挙げ句,手術を受けることにしました。この段階で,放置するのはもったいない,という主治医の診断が大きな動機となりました。いろいろと詳しい説明を受けて,わたしなりに納得がいきましたので,決意しました。

 手術は7月7日。集中治療室に48時間。初発の胃ガンのときよりも,今回の術後の方がダメージは大きく,相当に堪えました。じっと我慢の日がつづきました。が,術後5日目くらいから,右肩上がりに回復のきざしがみえてきて,よし,復帰できる,と確信しました。気持ちが前向きになったせいか,リハビリ(歩行訓練)にも力が入りました。その結果,18日には退院することができました。入院11日間。主治医も信じられない,とのこと。

 それから3カ月。ここまでくるには,人には言えないからだの不調もありました。が,なんとか騙しだましして,回復曲線を描くように努力しました。いまも,まだ,完璧ではありません。が,かなりのところにまでは回復してきたのではないか,と自己診断をしています。酒も,日常的には飲んでいませんが,みんなと集まったときには,様子をうかがいながら飲んでいます。ひとりでは飲む気持ちにならない,というのが正直なところ。からだは嘘をつかない,とおもっています。ときおり,からだが予想外に元気なことがあります。そのときには「飲もうよ」とからだ催促してきます。ですから,最近は,もっぱら,自分のからだと会話しながら,日々の暮らし方を決めています。

 そんななかでの術後3カ月検診。朝食抜きで,朝一番の予約で病院へ。まずは,採血から。近頃は医療の中心は「血液検査」に移ったようで,患者本人の状態については,ほとんどなにも尋ねられなくなっている。言ってみれば,血液中心主義。医師は,血液検査の結果を,これまでのデータと突き合わせて,確認するだけ。検査・分析も機械が全部やって,その結果を数値化して,パソコンに入力するのも機械。医者はパソコンのディスプレイを覗きながら,若干の説明をしてくれるだけ。結果がよければ,「とてもいい状態ですね」で終わり。なんだか,味気ない。

 今日は,輸血の副作用がでていないかどうかの検査もやるというので(これは事前にわたしの意思を確認してのこと),少し多めに血液をとる。採決した管の数をみて,びっくり。まあ,こんなものかとおもっただけで,数えてもみない。このことがあってか,採決のあとはすぐに,点滴をする。そして,この点滴セットを引きずりながら,エコーの検査へ。これまでと比べるとかなりの時間をかけて丁寧にやってくれました。正面の腹全体と,右脇腹のかなりうしろまで。指示にしたがって「大きく息を吸って,止めて,はい楽にしてください」「少し吸って,少し吐いて,はい,そこで止めて,楽にしてください」などの繰り返し。

 これが終わると,こんどはCT検査。造影剤を注入すると,たちまちにして腹部全体が熱くなり,「気持ち悪くないですか」と確認して,いよいよ検査。といっても,横になった寝台ごと,丸い穴の中を一往復して終わり。呼吸も一回だけ。「大きく息を吸って,はい,止めて,楽にしてください」で終わり。あとは「水分を補給してください」との指示。

 外科の受け付けにもどって,窓口で「水を買いにいってきます」と告げて,院内のコンビニへ。もどって,待合室(といっても廊下)で水を飲みながら,点滴が終わるのを待つ。点滴が終わると,今日はここまで。結果についての診断は,26日(月)の午後。ちょっと間があきますが,結果がどうでるか,期待半分,不安半分。自己診断としては「きわめて良好」と,自分に言い聞かせています。そうしていないと,落ち着かないから。

 最後に会計へ。清算は機械の指示にしたがって行います。「診断カードを入れてください」「カードの向きを確認して,もう一度,入れてください」「確認ボタンを押してください」「お金をいれてください」(あるいは,クレジット・カードを入れてください)「領収書をお取りください」「おつりをお取りください」「診断カードをお取りください」「お忘れ物のないように」「お大事に」。

 なんだか,ジョージ・オウエルの『1984年』の世界が脳裏をよぎります。

 毎回,おもうことですが,いまや,人間は機械にコントロールされている,ということ。医療も,主要な部分は,ほとんど機械。医師はその結果を読み取って,総合的な判断をし,つぎの医療計画を立てるだけ・・・と懇意になった医師が教えてくれました。やがては,ロボット医師が,手術もやるようになるだろう,とのこと。実際に,患者として医療を受けていると,医師が直接,患者のからだに触れたり,問診をしたり,ということはほとんどない。なにか,ベルトコンベアの上に乗せられて,一巡してきて,終わり。なんだか「医療工場」に放り込まれた患者という名の「物体」(Koerper )でしかないではないか,としみじみおもう。

 どこか,基本的なところで,間違っているのではないか,といつもおもう。この点については,いつか,しっかりと考えて書いてみたいとおもう。題して,『患者学のすすめ』。

『民主主義って,なんだ?髙橋源一郎×SEALDs 』(河出書房新社刊)を読む。

 この本の中に登場する対談者のひとり,SEALDs の牛田悦正君が,17日(土)の「ISC21」10月東京例会に参加してくれましたので,そのあとの懇親会で少しばかりお話をさせてもらいました。驚くべきことに,みずから「ルジャンドリアン」です,と名乗るほどのルジャンドルの本を読み込む思想・哲学の徒でした。ですから,今日のお話はどうしても聞きたかった,とのこと。もちろん,ルジャンドルだけではなく哲学一般の本が好きで,暇があれば本を読んでいるとのこと。ですから,受け答えがじつにしっかりしていて,眼を見張らせるものがありました。

 そんなこともあって,翌日(18日)のSEALDs の渋谷・街宣の集会にもでかけました。そして,その帰りに『民主主義って,なんだ?髙橋源一郎×SEALDs』(河出書房新社刊,10月18日,5刷)を買ってきました。これを読んで,二度,びっくりでした。なぜなら,この本に登場するSEALDs の奥田愛基君と牛田悦正君の語る内容が,じつに素晴らしいからです。SEALDs を引っぱっている人たちが,こんな人たちだったのだ,と再認識しまいました。

 ひとことでいえば,じつによく勉強している。そして,じつによく考えている。その上で行動している。行動して,議論して,反省して,勉強して,考えて,決断して,ふたたび行動する。この繰り返し。そして,民主主義って,こういうことなんだと断言する。つまり,暗中模索しながら,みずからの手でつかみ取るものだ,と。恐るべし,だ。

 わたしが学生時代のことを考えると恥ずかしくなってしまいます。それどころか,この歳になったいまですら,民主主義について,どこまで考えたことがあるか,また,自分の意見がいえるのか,と問われたら穴があったら入りたい,そんな思いです。行動に責任をもつということは,それだけの裏付けが必要です。ですから,なにがなんでも勉強し,考え,議論をすることが不可欠となります。すると,人間は,とりわけ,若い人たちは短期間のうちに生まれ変わってしまうほどの成長をします。その典型的な事例をみるおもいがします。

 公聴会で証言をした奥田愛基君の,あの名スピーチが注目されましたが,この本を読むと,なるほどなぁ,と納得します。牛田君は,奥田君とは少しタイプが違いますが,その読書量は驚くべきものがあります。そして,そこで得られた知見を,いずれもみごとに骨肉化しています。この二人がコンビを組んで,ここまでSEALDs をリードしてきた,その経緯が,この本を読むと手にとるようにわかります。

 「民主主義って,なんだっ!」という呼びかけのコールを何回も,何回も繰り返すかれらの背景には,じつに多くの思考の積み重ねがあったことも,この本を読んで知りました。そして,このコールを繰り返しながら,議論を重ね,さらにもう一歩前にでるコールが生まれます。それが「民主主義って,なんだっ!」「これだっ!」に進化し,さらに「民主主義って」「これだっ!」へと進化していきます。その裏側には,なみなみならぬ思考と議論の積み重ねがあることがわかります。

 こんなこととは露知らず,国会前に足を運ぶたびに,コールの方法が変化しているなぁ,とぼんやり考えていました。しかし,「民主主義って」「これだっ!」になったとき,これはなにを意味しているのだろうか,と考えました。「これだっ!」の中味はなんなのか,と。そのとき,頭に浮かんだことは二つ。一つは,国会の中で行われている議会制民主主義のもとでの空虚な議論,もう一つは,国会前で繰り広げている抗議活動そのもの。つまり,コールを繰り返し,自分のことばでスピーチをすること,そうして,少しずつ変化し,進化していく,その運動体のこと。

 かれらは,この抗議行動をとおして,いろいろのことを学び,進化していくこと,それが民主主義の内実なんだというところに到達します。そのプロセスがこの本によって明らかにされます。みごとというほかはありません。

 正直に告白しておきます。恥ずかしながら,わたしは,この本をとおして,初めて「民主主義」なるものの懐の深さと,多様性を学びました。そして,民主主義とは,両刃の剣のように,よくも悪くも機能する,そういう仕組みのものなのだ,ということも。だからこそ,主権者である「わたしたち」自身が,しっかりと民主主義を行動で示していかなくてはならないのだ,ということも。

 ご一読をお薦めします。

 なお,この本の続編ともいうべき本が10月20日付けで刊行されています。『民主主義って,これだ!』(SEALDs編,大月書店)。こちらは,すべてSEALDs の仲間たちの手づくりになるものだ,と聞いています。明日,買いにいく予定。残念ながら,溝の口の書店にはありません。

2015年10月21日水曜日

「演出,あるいは人間的生存の基底。ルジャンドルのダンス論」(森元庸介)。如是我聞。

 10月17日(土)の「ISC21」10月東京例会で,念願のピエール・ルジャンドルの「ダンス論」について,森元庸介さんにお話をしていただきました。嬉しいことに,わたしの期待をはるかに上回る踏み込んだお話をしてくださり,わたしの胸は高鳴りました。正鵠を射るとはこのことでしょう。わたしの期待した問題の核心に,ズバリ切り込んでくださり,加えて,ルジャンドルの含意する知の地平にまで触手を伸ばしてくださった,というわけです。ルジャンドル読みの第一人者として評価の高い森元さんならではのお話でした。

 その全貌を,このブログで語ることはとても不可能ですので,その一部をご紹介しておきたいとおもいます。というよりは,興奮つづきの,わたし自身の頭の中を整理しておく,と言った方が正しいでしょう。

 この研究会の冒頭で,わたしは,つぎのようなお話をさせていただきました。その要点は以下のとおりです。

 スポーツ史・スポーツ文化論を長年にわたって考えてきましたが,ここにきて,とりわけ「3・11」以後にわたしがはっきり意識するようになった新たなテーマがあります。それは,西洋近代が生みだした近代スポーツ競技のミッションは臨界に達し,もはや,つぎなるステージに第一歩を踏み出さなければならない重大な局面を迎えているのではないか,というものです。そして,この局面を打破するためには,もう一度,スポーツ文化とはなにか,人間にとってスポーツとはなにか,スポーツする人間とはなにか,生身のからだを生きる人間にとってスポーツとはなにか,といった根源的な問いを発し,初手から再スタートしなければならないのではないか,ということでした。

 このテーマを考えていきますと,当然のことながら,スポーツ以前の,武術と舞踊の問題が大きく浮上してきます。しかし,いずれも,こんにちの武術や舞踊とはまるで異質の,呪術や儀礼の世界に踏み込んでいくことになります。そして,この問題は,ヒトが動物性から離脱して人間性の世界に移行するところで,いったい,なにが起きたのか,というところに到達してしまいます。もっと言ってしまえば,人間は,生きものとしての動物性と,ことばを話す生きものとしての人間性,すなわち,理性によってコントロールされる人間性との折り合いをどのようにつけようとしてきたのか,というところに至りつくことになります。

 このとき,舞踊はどのような役割をになったのか,舞踊とは生身のからだを生きる人間にとってなにであったのか,その原点を探り当てたい,それがわたしの最大の関心事です。この関心事にルジャンドルはどのように関与しているのか,いまからとても楽しみです・・・・というようなお話をさせていただきました。

 なぜなら,この研究会のために森元さんが立ててくださったテーマはつぎのようなものだったからです。「演出,あるいは人間的生存の基底 ピエール・ルジャンドルのダンス論から」。あらかじめ,このテーマが送られてきていましたので,何回も,何回もこのテーマとにらめっこをしながら,あれこれ考えました。考えるヒントは,ルジャンドルのダンス論のテクストのタイトル『他者たらんとする情熱 ダンスのための考察』(1978年)です。この二つの間を行ったり来たりしながら,思いっきり想像の世界をふくらませていました。

 このわたしの個人的なレディネスにたいして,森元さんのお話は,じつに刺激的であり,むしろ挑発的ですらありました。そこまで踏み込むか,と驚くと同時に,そこまで踏み込まないかぎりルジャンドルの思考をたどることはできないのだ,ということもわかってきました。法制史の専門家であるルジャンドルが「ドグマ人類学」を標榜し,精神分析学を法制史研究に取り込んで,まったく新たな「人間の学」の地平を切り拓こうとしている,ルジャンドルならではの「ダンス論」読解は,そこまで踏み込まなくてはならない不可欠な助走だったのだ,とわたしは大満足でした。

 わたしが聞き取ることのできた,ルジャンドルの「ダンス論」の「肝」に当たる部分は,以下のとおりです。

 「他者たらんとする情熱」・・・ここにルジャンドルのダンス論の源泉をくみ取ることができるのではないか。「他者たらんとする」とは,一つは,セックスのカップルとしての他者に成りきろうとする,という意味であり,もう一つは,わが内なる他者,すなわち,動物性に回帰したい,という意味。この二つは表裏一体のものと考えてよいだろう。言ってしまえば,人間は,セックスをとおして他者と「一つ」になりたい,つまりは,剥き出しの動物性に回帰したい,という二重の拘束を受けている,というわけである。

 しかも,この二つの行き着く先は「情熱」(passion)。この情熱=passion もまた二重・三重の意味を帯びている。日本語では,文字どおり「情熱」であるが,ルジャンドルが用いる passion にはいくつもの意味が織り込まれている。もともとは「苦しむこと」を意味し,キリストの「受難」であり,「(強い)感情」であり,「激情のほとばしり」である,と辞典の語釈にはある。ここを起点にして,まずは「情熱」を筆頭に,「激情」「熱中」「(男女間の)(激しい)愛情」「情欲」「キリストの受難」とつづく。

 つまり,passion とは,受け身の感情であり,その軛からは逃れられないもの,と考えられる。したがって,「他者たらんとする情熱」とは,「他者たらんとする止むに止まれぬ情熱」,あるいは「もう一人でありたい(セックスで交わりたい),止むに止まれぬ苦しみ」を含意している。これこそがルジャンドルの考える「ダンス」の中心にあるものだ,と。

 しかしながら,ダンスは「セックス(=動物性)の成立」を認めない。あるいは,「セックス」が成立したところで,それはダンスではなくなる。すなわち,人間性からの逸脱となる。このぎりぎりの瀬戸際で,ダンスは成立していることになる。

 ルジャンドルの説によれば,ダンスは「もっとも動物的な芸術」であり,「無内容性」にその特質があるという。だから,ダンスにあっては,セックスをどうするのか(あるいは,動物性をどうするのか)という問題がつねにつきまとう。したがって,この「動物性」を「調教」(dressage)する必要がでてくる。これが「制度」(institution)であり,「規範」(nome)である。

 この「制度」や「規範」のなかに隠された論理が「演出」(mise en scene)。なぜ,演出が必要なのか。それは動物性を排除・抑圧・隠蔽し,人間的生存を確保するため。すなわち,剥き出しの動物性を「禁止」(interdit)するための「演出」が,人間的生存の「基底」を確保するために不可欠となる。

 こうして,森元さんが提示されたテーマ「演出,あるいは人間的生存の基底」が明らかにされていきます。以上は,わたしが理解しえた範囲での,それも骨子を要約したにすぎません。もちろん,ことば足らずの説明になっていることは覚悟の上です。しかし,その核心部分のロジックは推測していただけるのではないかとおもいます。

 ここで論じられた森元さんの言説は,いずれ,『スポートロジイ』第4号に掲載する予定です。そこでは,森元さんのプレゼンテーションの全貌が明らかになります。それまで,いま,しばらく時間をください。

 以上,わたしの思考の整理まで。

2015年10月19日月曜日

NHKスペシャル「バガン遺跡の謎」。貧富の差のない社会。

 10月18日(日)の夜9時からのNHKスペシャル「バガン遺跡の謎」をみて,久しぶりに感動しました。こんなにいい番組がつくれるではないか,と。それに引き換え,ニュース番組の体たらく,と鑑賞後につよくおもいました。

 ミャンマーのバガンというむかしの宗教都市には,いまも無数の仏塔や寺院が遺跡として残されています。なぜ,この地にこんなに多くの仏塔や寺院が残されたのか,その謎に迫る,というドキュメンタリーでした。

 11~13世紀にかけて栄えたバガン王朝時代に,7×6㎞ほどの土地に,映像でみるかぎり驚くほどの仏塔や寺院が点在しています。見渡すかぎり,仏塔・寺院の建造物だらけです。いったい,なぜ,これほど多くの仏塔や寺院が所狭しとばかりにバガン王朝時代に建造されたのか,それは長い間,謎とされてきました。

 しかし,最近の研究によって,ようやくその謎のヴェールが取り除かれつつあるということです。そして,現段階での結論が,きわめて興味深いものでした。

 それによりますと,「貧富の差のない社会」が実現していたということ,そして,その「貧富の差をなくすための装置」として,仏塔や寺院の建造がなされた,というものです。あるいは,仏塔や寺院を建造した結果として,「貧富の差のない社会」が実現したのではないか,というものです。

 その仕組みは以下のとおりです。

 バガン王朝が現れる前までは,さまざまな原始的な宗教がひろまっていました。たとえば,親殺しをしても呪文を唱えれば許されるとか,盗人であっても禊ぎをすれば罪はなくなるとか,種々雑多な宗教が蔓延していて,世の中が乱れていました。ところが,バガン王朝の初代の王が「仏教」を王朝の宗教と定め,仏教の教えを広めることに熱心に取組ました。

 ここで採用された仏教は,日本にも伝わった大乗仏教ではなく,上座部仏教といわれるもので,きわめて戒律の厳しいものでした。王が率先してこの上座部仏教の信者となり,その教えを実践に移しました。その一つが,仏塔や寺院を建造することでした。

 仏塔は,上座部仏教の宇宙観を視覚化して,だれの眼にもみればすぐにわかるように工夫されて建造されました。大きな土台部分が下界(悪事をはたらいて救われない人びとの世界,すなわち地獄),その上に人間界(仏教を信仰してまじめに暮らしている人びとの世界),さらにその上に天界(出家をして修行に励んでいる人びとの暮らす世界),そして,頂上には涅槃の世界(悟りに到達した人びとが暮らす世界)という,四つの層に分けて,わかりやすくしました。そして,その仏塔には,無数の仏像が刻まれ,出家をして悟った人の姿が,日常的に眼でみて確認できるようにしました。ですから,人びとは,この仏塔を眺めるだけで,仏教の宇宙観を日常的に窺い知ることができました。

 しかし,この巨大な仏塔を建造するには,多くの資金と人材を必要とします。王は,住民たちから集めた税金を,惜しげもなく仏塔建造のために使いました。そのために働く人びとには,それに見合うだけの賃金を支払いました。こうして,集めた税金は,ふたたび住民のもとに還元されていきます。しかも,王は仏塔を建てることは仏教の教えにしたがって「功徳」を積むことだ,そして,この仏塔を拝むこともまた「功徳」を積むことだ,さらには,仏塔の維持・管理に勤めるのも「功徳」である,と説きました。そうすれば,人間界から天界へ,そして涅槃に到達することも可能なのだ,と。

 ですから,人びとはみんなこぞって上座部仏教の熱心な信者となりました。そして,信者のなかには,金持ちになる者も現れます。すると,その信者は,私財をはたいて仏塔を建造します。こうして,金持ちのお金もまた再配分されて,住民のもとに還元されていきます。

 こうして,お金は,つねに循環してまわっていきますので,仏塔建造の仕事に従事することよって,一定の生活水準を維持することができる,というわけです。その結果として,「貧富の差のない社会」が実現され,人びとはとても幸せに暮らしていた,ということです。

 この伝統は,いまも生きていて,人びとは生涯に一度は出家をし,得度式を経験し,一定期間,寺院で修行をすることが慣習化されています。この得度式を受けるためにはお金が必要なので,そのために10年も20年もかけて貯金をして準備します。そうして,そのお金をすべて寄進して,得度式を経験し,修行することが「功徳」になり,生涯にわたる幸せをわがものとすることができる,と信じています。

 こうして,お金というものは,自分ひとりで抱え込むものではなくて,「功徳」を積むためのものであり,そのために潔く寄進することが幸せな暮らしを生みだすのだ,というわけです。

 ここには,いわゆる資本主義経済の考え方は存在していません。むしろ,マルセル・モースのいう贈与経済の一つの典型例をみてとることができます。つまり,貯まったお金は潔く「贈与」すること。ここでいえば,「寄進」すること。これが「功徳」を生み,幸せをもたらす源泉なのだ,というわけです。

 こういう上座部仏教が,いまもミャンマーの古都バガンには,立派に引き継がれ,実践されているというのです。その結果,いまも「貧富の差のない社会」が維持されており,みんな幸せに暮らしているといいます。

 これも,ルジャンドルのいう「法」(のり)が共同体の安寧を維持していく上では必要なのだ(西谷修)という,ひとつのサンプルとみていいのではないか,と考えました。そして,この上座部仏教の「法」もまた,立派な「ドグマ」なのだ,と。そして,道元さんの説く「正法」(眼蔵)もまた立派なドグマである,というわけです。安保関連法案もまた,立派な「法」であり,ドグマです。ですから,いかなる「法」をわがものとするか,が一大事というわけです。その意味でも,良質のドグマを手に入れなくてはなりません。憲法は,いま,わたしたちが手にしている「法」の根本です。ですから,この「法」を,もし,変更するのであれば,徹底的な議論を経てからのものでなくてはなりません。勝手に解釈を変えられてはたまったものではありません。それほどに「法」というものは大事なのだ,ということを肝に銘じておきたいとおもいます。

 ルジャンドルに言わせれば,ダンスもまた「法」(あるいは,「制度」)によって,表現の「限界」が定められているのだ,というわけです。土曜日の研究会でのお話が脳裏に鮮明に蘇ってきます。この話はまたいずれ・・・・。

SEALDsの渋谷街宣(10.18)に行ってきました。

 10月18日(日)。午後1時より。渋谷・ハチ公前広場。通行人の通る道を確保した上で,それ以外のところは立錐の余地もないほどの人でいっぱい。その熱気に驚きました。強行採決によって,熱気が冷めるどころか,ますます意気盛ん。とりわけ,聴衆の熱気が頼もしい。

 
スピーチとラップ調のコールと音楽とが,ほどよくかみ合って,会場の雰囲気も上々。こういう演出もまた,これまでの抗議集会とは違った親しみやすさを生みだしている。いろいろな専攻の学生さんたちが,それぞれの立場からもてる力を持ち寄って,一種独特の雰囲気を醸しだしているらしい。そして,スピーチは,すべて個々人の考えたことを自分のことばで語っている。じつに素直に,思いのままを露呈させながら。それだけに,聞く人のこころを打つ。

 
高校生もまたマイクをもって訴える。強行採決後は失望し,落胆したが,学校に行ってみると,それまで無関心だった友だちが寄ってきて,いろいろ質問してくれるようになった。いまではみんなで集って,熱い会話ができるようになった。これでぼくは助けられ,救われた。というより,未来に希望がもてるようになった。これからも,変だとおもうことはそのまま変だと素直に声をあげるつもりだ。そして,ひとりでも多くの賛同してくれる友だちをつくっていきたいとおもう,と熱く語ってくれた。聴衆からは大きな拍手がわいた。

 
多くの東南アジア系の観光客が興味深そうに,あちこち眺めながら,聴衆集団の間の狭い通路をとおりすぎていく。なかには写真まで撮っている人も。それも長いハンドル付きのカメラで。動画も撮っているらしい。彼らの眼にはどのように映っているのだろうか。

 スクランブル交差点のこちら側でも,SEALDsの集会に耳を傾けている人たちがいる。それも,けして少なくはない。しかも,若い人たちが多い。

 大勢の人たちがとおりすぎていく。みんなそれとなく聞き耳を立てながら,とおりすぎていくようにみえる。このうちの何人かは,ちょっと恥ずかしそうな表情をしている。どこかしら,こころに負い目を感じてでもいるのだろうか。そうであってくれたら嬉しい。この街宣が,少しでも多くの人たちが考えるきっかけになってくれれば,ありがたい。それだけで,この街宣は成功である。

 帰りに近くの書店で『髙橋源一郎×SEALDs  民主主義ってなんだ?』(河出書房新社刊)を購入。わたしの住んでいる溝の口の書店には,なぜか,置いてない。鷺沼の書店にも置いてない。どうやら,書店の方針らしい。いやな気分。これからは,書店に立ち寄るたびに,意図的・計画的に,これこれの本はありませんか,と店員に聞いてみることにしよう。

 追加の情報を一つ。10月20日には『民主主義って,これだっ!』(大月書店刊)が発売になる。表紙カバーの写真から,そのデザイン,内容もすべてSEALDsのメンバーたちの手作りだという。とても素晴らしい出来ばえに「驚嘆」した,と西谷修さんのブログに紹介されている。ぜひ,覗いてみてください。

 20日には渋谷の書店まで足を伸ばそうとおもう。 

2015年10月17日土曜日

「踊る人間」とはなにか。P.ルジャンドルはなにを語ったのか。

 ドグマ人類学者=J.P.ルジャンドル。と,まずは位置付けておこう。わたしの畏敬する西谷修さんもまた,時折,みずからをドグマ人類学者と名乗ることがある。しかしながら,「ドグマ人類学」という学問はまだ承認されてはいない。なぜか?西洋近代由来のアカデミズムの限界,とだけひとまず応答しておこう。

 では,いったいドグマ人類学でいう「ドグマ」とはなにか。ルジャンドルによれば,人間は「ことばを話す生きもの」だ,という。この人間の話す「ことば」そのものが「ドグマ」なのだ,という。わかりやすくしておこう。たとえば,日本語では「木」と名づけたオブジェが,英語では「tree」,ドイツ語では「Baum」という具合に,用いられる言語によってことなる。どれが「正しい」のか,その根拠はなにもない。それぞれの言語が勝手にそう呼び習わしてきただけのことだ。すなわち,「ドグマ」。もともとは,宗教の「教義」のことを意味する。いま,わたしがチャレンジしている道元の『正法眼蔵』もまた立派な「ドグマ」ということである。たとえば,道元の思想の中核をなす概念のひとつ,「修証一等」。すなわち,道元の「思い込み」。

 これ以上の議論は,ルジャンドルのテクストに委ねよう。あるいは,今日(10月17日)の午後に展開される研究会での議論を待つことにしよう。

 そう,今日,10月17日(土)13:00より,青山学院大学で,「ISC・21」10月東京例会が開催される。そのテーマがJ.P.ルジャンドルの舞踊論。ルジャンドル読みの第一人者と言われる森元庸介さんにお願いをして,ルジャンドルの舞踊論を紹介していただくことになっている。題して「演出,あるいは人間的な生存の基底。ピエール・ルジャンドルのダンス論を中心に」(仮)。

 この演題をいただいたときギクリとした。そうか。「演出」なんだ,と。そこに「人間的な生存の基底」がある,と。ルジャンドルは「ダンス論」を語りながら,「人間的な生存の基底」を解き明かそうとしていたのだ,と。それを,ひとことで言ってしまえば,「演出」,なのか,とわたしはある種の衝撃を受けた。そうか,人間が「存在」するとはどういうことなのか,を語っているんだ,と。

 なぜ,この演題に衝撃を受けたのか。

 わたしは長い間,「スポーツする人間」とはなにか,という大きなテーマを追ってきた。人間は,なぜ,スポーツをするのか。生身を生きる人間にとってスポーツとはなにか。言ってしまえば,哲学的なテーマを追ってきた。

 そこから派生して,では,「武術する人間」とはなにか,を考えるようになり,やがては「舞踊する人間」とはなにか,と考えてきた。当然のことながら,そのさきに現れてくる風景は「人間が生きる」とはどういうことなのか,という問いであった。生命が躍動するということはどういうことなのか。それを支える衝動の「根」はなにか。

 そうして,いつしか,「芸能」とはなにか,と考えるようになる。そこにみえてくるのは,「歌い,踊る」生身の人間の姿である。アメノウズメの世界である。

 ルジャンドルのダンス論を読み込んでいって,森元さんが到達したひとつの結論が「演出」だったのか,とこれはわたしの受け止め方である。しかも,そこに「人間的な生存の基底」を見届けようとしたのが,ルジャンドルの「ダンス論」なのか,と。そして,これもまた立派な「ドグマ」。

 今日の森元さんのプレゼンテーションに向けての,わたしのレディネスは以上のとおり。厳密には,もっともっと付け加えたいところであるが,この程度にとどめておこう。その方が単純明快でわかりやすい。

 コメンテーターを,新進気鋭のイスラム研究者・小野純一さんにお願いがしてある。もちろん,西谷修さんも参加してくださるので,ルジャンドルの「ダンス論」を議論する上で不足はない。そこに,全国からわたしの研究者仲間が集ってくる。お膳立ては整っている。あとは,本番を待つのみ。珍しく鼓動が高鳴ってくる。

 いい研究会になる,そんな予感に満ち満ちている。嬉しい。

2015年10月16日金曜日

「おや,だれかとおもったら,この門のかめんだわ」(浦島太郎)。

 最近,なんの脈絡もなく突然,こどものころのことがふっと脳裏に浮かんでくることが多くなってきたようにおもいます。加齢による特異現象の一つなのでしょうか。あるいは,惚けのはじまりか。でも,慌てても仕方ありません。あるがままの「いま」を素直に受け止めて,そのことをエンジョイすることにしています。

 その中の一つ。赤っ恥をかいて,顔から火がでそうになった思い出。

 1945年の初夏。敗戦直前の,国民学校2年生のときのこと。戦時中は小学校とはいわず,国民学校と呼んでいました。新しい担任の先生ともなじんできて,授業がとても楽しかった記憶が,遠い向こうの方にみえています。ある日の授業で,国語の教科書の「浦島太郎」の物語を勉強して,つぎの時間は,その物語の中の一節を「絵」にしなさい,という課題がでました。

 絵は嫌いではなかったので,夢中になって描きました。でも,完成しないうちに時間がきてしまいました。それでも提出しなさいと先生が仰るので,持っていきました。ところが,絵の一節となる文章がまだ書いてありませんでした。先生が,「急いで,ここで書きなさい」と仰るので,教科書も見ないで記憶だけで書き込みました。

 それが「おや,だれかとおもったら,この門のかめんだわ」という次第です。慌てて書いたものですから,二カ所に,誤字・脱字があります。それは「門」は「間」の間違い,「かめんだわ」は「かめさんだわ」で「さ」が脱字。正しくは,「おや,だれかとおもったら,この間のかめさんだわ」となります。

 ところが,先生はなにをおもったのか,この絵を教室のうしろの掲示板に張り出しました。全部で3人の生徒の絵が張り出されました。まあ,比較的うまく描けた絵を張り出したのでしょう。ですから,わたしとしては得意満面でした。3人のなかに選ばれた,と。このときは,まだ,このような誤字・脱字があるということを,わたし自身が知らないでいました。たぶん,先生も気づいていなかったのではないかとおもいます。

 この絵を,なぜか,たまたまわたしの教室を通りがかった次兄(4年生)がみて,その日の夕食どきにこの絵を話題にしました。しかも,いきなり「この門のかめんだわ」というのはなんなんだ,と詰問です。わたしは,なんのことやらさっぱりわからず,呆然としていました。しかし,次兄は「わけのわからん文章を書いて,それが張り出されている。恥を知れ」というわけです。でも,なんのことかわたしにはわかりません。

 翌日,教室に入って真っ先に自分の描いた絵をみました。「アッ」とおもわず声を出してしまいました。顔から火がでる,とはこのことです。もう,恥ずかしくて恥ずかしくて,友だちに顔向けもできません。しかし,クラスメイトのだれ一人として,わたしの絵の間違いのことは話題にもしません。たぶん,だれもしっかり読んではいないのでしょう。

 それをいいことにして,休み時間にみんな校庭に飛び出して行って,だれも居なくなるのを待って,大急ぎで「門」を「間」に,「かめんだわ」を「かめさんだわ」に直しておきました。それでも,教室ではなんの話題にもならないまま,過ぎていきました。

 こうして,教室では,先生も友だちもなんの問題もなく,平穏に終わりました。

 しかし,次兄からは,その後も折あるごとに「この門のかめんだわ」を話題にされ,わたしを冷やかします。それが,いまも続いています。法事などがあって,大勢の人が集って会食するときなどに,酒もほどほどにまわってきたころになると,これを話題にし,兄貴風を吹かせます。ですから,親戚中,この話を知らない人はいないほどです。いまは,もう,どんな風にからかわれようと,どうということはありません。が,かなりの年齢になるまでは,いやな奴だ,いつまでも・・・,と腹におもっていました。

 どこかにしこりが多少は残っているのでしょうか。ふと,なんの脈絡もなく,このときのことが脳裏をよぎります。そして,こんなことがあったなぁ,という懐かしさと,くそっ,この野郎,いまにみてろ,とこころに誓って臥薪嘗胆,40歳をすぎたころから,ずいぶんと頑張って勉強したことを思い出します。こういう「負荷」を与えられて初めて発奮することもある,と感謝することすらあるのですから,兄弟というものは不思議なものです。

 最近の次兄が酔いにまかせて吐くセリフは,「こんにち,お前があるのは,だれのお蔭だとおもっとるのか」というものです。わたしはなんの抵抗もなく,「はいはい,お兄様のお蔭でございます」と馬鹿丁寧に応答します。それでその場の笑いがとれればそれでおしまい,というわけです。

 こどもが成長するにあたって受ける刺激(情報)のうち,なにがよくて,なにが悪いのか,こればっかりは個人差があって決められるものではありません。まあ,わたしなどは運がよかった,というべきかもしれません。このほかにも,いま,考えてみれば,ずいぶん酷い扱われ方をしたことが,子ども時代にはありました。そのために,一時は引き籠もりになり,口もきかないでいたこともあります。いまでは,だれも信じてはくれませんが・・・・。