2012年3月2日金曜日

気がつけば,もう3月。「3・11」を目前にしてますます滅入ってしまう毎日。突破口はないか。

久しぶりの銀世界もあっという間に雪が溶けてしまった。この前の雪のときは,冷え込みが厳しく昼に溶けた雪が夜には氷となって,日陰には相当長く残っていた。そして,寒かった。しかし,今回の雪はあっという間に姿を消してしまった。暖かくなったのだ。

そう,気がつけば,もう3月に入っている。もう,春はすぐそこにきている。しかし,北国の春は近づいているのだろうか。仮に,桜が咲き始め,その桜前線が北上しても,北国の春はまだまだ遠いに違いない。そんなことを,昨日は一日中,考えていた。

何回もブログを書こうと思ってパソコンを立ち上げるのだが,一行も書けないまま,じっと考え込んでしまう。昨年の6月に訪れた福島,宮城,岩手の3県の被災地の記憶が,つぎからつぎへと甦ってくる。片時も消えない記憶は,南相馬市からさらに南にくだって,行けるところまで行こうと頑張ったが,「20キロ検問所」の前で車を止められてしまった。仕方がないので,そこから引き返す。だから,そこからさきの世界は,わたしにはたんなる「空白」でしかない。「空白」なるがゆえにこそ,なんとも落ち着かない。

その「空白」を埋めるための情報はすべてメディアをとおしてのものである。その情報もまことにいい加減なものばかりで,どれひとつ信用できない。そして,あらぬ噂が,いわゆる「風評」となって世に広がっていく。この風評を一刀両断のもとに断ち切って,しっかりした根拠にもどづく情報を提供すべきメディアがほとんど機能しない。それもそのはずで,政府ですら精確な情報をどれだけ把握しているのか,それすらおぼつかない。当事者である東電ですら,現場指揮に立つ所長と本社の間の意思疎通がうまく機能していない。結局,だれもほんとうのところはわかっていない。

いったい,「3・11」以後,この日本の社会の中ではなにが起きたのか。重要なポストにいる人たちが,だれひとりとして「責任」をとろうとはしない「責任回避体質」=「無責任体質」と,わが身の保全のための「思考停止体質」だけが,もののみごとに浮かび上がってきた。都合の悪い情報はひたすら秘匿する(あるいは,隠蔽・排除する)(なんと「秘匿」することを正当化する法律までつくろうとしている)。そして,あとは知らぬ勘兵衛さん。ひたすらダンマリ戦術。死んだふり。そして,都合のいい風が吹いてくると,にわかに元気を出して,あちこちに圧力をかけて,情報コントロールをはじめる。

政・官・財・学・報の五位一体となって,国民の「命」などはそっちのけだ。そして,利権がらみの魑魅魍魎ばかりが跋扈する。そういう情けない実態がもののみごとに露呈してしまった。

いまだに信用できる情報はほとんどなにもないに等しい,とわたしは深刻に受け止めている。それらをはるかに凌駕する「風評」という名の怪情報が乱れ飛んでいる。わたしたちは,それらの情報に振り回され,昨日の友を今日の敵にしてしまわなければならない,まことにみじめな情況に追い込まれてしまっている。「絆」どころか「分断」が大手を振って歩いている。下手に口をきくことすら憚られるほどだ。

とりわけ,放射性物質による汚染の問題。危険線量の規定すら,確たる根拠はないという(これすらも,たんなる風評かもしれない)。しかも,もし,身体に異常が発生したとしても,そのことと放射性物質との因果関係を証明することはきわめてむつかしい,ともいう。だから,だれも責任を問われることはない,とも。その結果なのだろうか,いつも,「場当たり的」な対応でなんとか切り抜けようと政府は必死だ。

そうして,フクシマの放射性物質の問題だけが,いつのまにか注目されることになってしまった。ついには,フクシマばかりが国際的に有名になってしまったが,なんのことはない,トウキョウも同じなのだ。トウキョウもフクシマもたいして変わりはないのだ,ということを認識していないのは日本人だけかもしれない。だから,フクシマの温泉に行くことをトウキョウの人間が忌避するという。可笑しくて笑ってしまう。同じ穴の狢(むじな)だというのに。東北も関東も,みんな危ないといえば危ない。トウキョウが安全だというなら,東北も関東一円もみんな安全だ。

そのことを,しっかり認識しているのは欧米人たちだ。「3・11」以後,ヨーロッパ系の旅行客が激減したことを考えれば歴然としている。いまや,銀座は東洋系の観光客で占拠されている。顔かたちが同じなので目立たないだけだ。スレ違いざまに聴こえてくることばの違いで,はじめて気づく。黙っていれば,だれも気づかない。それにしても,東洋系の人たちはおおらかだ。

眼に見えない放射性物質による汚染は,たしかに怖い。しかし,原発の事故処理にあたっている原発労働者のことを考えれば,怖いなどと言ってはいられない。かれらは,まさに,命懸けで仕事をしているのだ。線量計とにらめっこしながら。こういう人たちがいてくれるお蔭で,かろうじて,現状が維持されていることをよもや忘れてはなるまい。

そのことを考えれば,フクシマとトウキョウの違いなどは微々たるものでしかない。いまや,どこに住んでいようと同じだ,とわたしは自分自身に言い聞かせることにしている。そうとでも思わないことには,もはや,日本では生きてはいけない。美味しい会津のお酒は呑まずにはいられない。フクシマは温泉の宝庫だ。これまでどおりに,自由に行き来したい,と考えている。

「3・11」を目前にして,恒常的な支援の方法を考えていかなくては・・・と老骨に鞭打ちながら考えている。

三春町で頑張っている玄侑宗久さんの生きる姿勢をお手本にして。

0 件のコメント: