2012年3月17日土曜日

保安院長が安全委に「寝た子を起こすな」・・・・腹も立たなくなってしまった自分が怖い。

同じようなことが繰り返されると人間は「マヒする」(「麻痺する」)という。かなり過酷なことであっても,それが日常化すると「マヒする」という。この国の中枢部にいる「偉い人」だと思っていた人たちの多くが,もう,どうしようもなく堕落していることが,連日のよにう新聞紙上を賑わしている。もっとも,このような報道をしているのは『東京新聞』だけかもしれないが・・・。

そんな報道を読みつづけているうちに,読者であるわたしはとうとう「驚かなくなって」しまった。ああ,またか・・・・。最初のうちは,「お前らは人間じゃないっ!」とか言って吼えていたが,いまや,ニヒルににやりと笑ってやり過ごそうとしている。そんな自分になりはてていることが恐ろしい。

今日(17日)の『東京新聞』一面トップの見出しは,つぎのようである。
保安院長 自ら圧力
安全委に「寝た子を起こすな」
原発防災強化断念

とあり,冒頭の書き割りは以下のようである。

経済産業省原子力安全・保安院が2006年,原発事故に備えた防災重点区域の拡大を検討していた原子力安全委員会に反対意見を送り,断念に追い込んだ問題で,当時の広瀬研吉院長が同年5月,安全委員との昼食会で「なぜ寝た子を起こすのか」と,安全委側に検討を中止するよう直接圧力をかけていたことが16日,分った。

関連記事は2面,31面でも取り上げ,詳細にことの次第を報じている。
もはや,開いた口がふさがらない,とはこのことだ。もはや,なにをかいわんや,である。

原発の安全な管理・運営を任されたトップがこの体たらくである。
こんなことが,いまにはじまったことではない,という事実がつぎつぎに明るみにでているのに(東電も含めて),誰一人として「責任」をとろうとはしない。まるで,国の方針だったのだから・・・と言わぬばかりに。恐ろしいことが,もう,ずっと前から行われてきたのだ。それに慣れきってしまっているだけの話なのだ。「ゆでガエル」の典型。困ったものだ。

原発事故に関連する省庁の改編や,各種の審議会や諮問委員会の看板のかけ替えがつぎつぎになされていくのも,過去の悪事を封じ込めるための作戦ではないか,と勘繰りたくもなる。こんど立ち上がる復興庁も,なんだか怪しくなってくる。

それよりなにより,徐々に驚かなくなってきたわたしの「感性」の「マヒ」の方が恐ろしい。「生きる」「生き延びる」ためには,この「マヒ」という感覚の安全装置も必要なのかもしれない。しかし,この場合には困る。やはり,これまでどおり「吼えつづける」ことが大事だ,とみずからを励ますしかない。そして,これまで以上に,もっと積極的に,行動で示していくしかない。

「3・11」後の二年目の試練。しかし,これからの試練の方がたちが悪い。なにしろ,この眼で確認することすら困難なことばかりだから・・・・。でも,監視の眼を緩めてはならない。そして,ことあるごとに意思表示をしていくこと・・・・。

かつて,わたしの高校時代に尊敬していた校長が卒業アルバムにつぎのように書き残している。
「道は遠く,険しい。だが,歩まねばならない。」
いったい,どこまでつづく「泥濘(ぬかるみ)」ぞ,と天を仰いでしまう。

今日は朝から雨。籠城。

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