2012年3月21日水曜日

甲子園野球,あの行進のぶざまさと選手宣誓のすばらしさ。この落差はなにか。人形と人間の違い。

今朝(21日),たまたまテレビをみていたら,甲子園の開会式が中継されていた。そして,何気なくぼんやり眺めていたら,選手たちの入場行進がはじまった。みていてすぐにわたしのからだは前のめりになった。なぜなら,いま,行進しているこの高校生たちは生身のからだを生きている人間なのだろうか,とテレビ画面に顔を近づけて確認しようと思ったからだ。

いや,これは生身の高校生とは違う,人形だ。どうみても人形でしかない。まるで,ピノキオが人間になろうとして懸命になって動こうとしているときのからだの動きがこれだった。そう,ピノキオのような動きで,高校生が,それも全国から選ばれた野球選手たちが,行進しているのた。なんということか,とわたしは画面を食い入るように見入ってしまった。

まず,第一に姿勢が悪い。みんな前のめりになっている。硬直したままの上半身が前傾していて,じつに不自然だ。緊張のあまり,かちかちに固まった上半身そのものだ。その上半身に引っ張られるようにして下半身がギクシャクと動く。つまり,脚の運び方もひきつったような,緊張感が漲っている。これは,どうみても人間のからだには見えない。つぎに,そのギクシャクとした上半身と下半身の動きに加えて,これまたそれ以上に輪をかけて不自然な腕の振り方をしている。まるで,水中歩行をしているかのように,振り上げた手で水を掻いて前に進もうとしているようにみえる。

つまり,行進運動というものをこれまでにあまりしたことのない初心者の動きが,そのままテレビ画面にアップで写し出されている。たぶん,甲子園にきてから,初めて,きちんと行進運動をするようにという指導を受けたに違いない。だから,かれらは教えられたとおりに必死になって腕を振り,脚を高く上げて歩こうとしている。しかし,こんな歩き方をこれまでしたことがない。しかも,あとで叱られないように一生懸命にそれをやろうとしている。だから,上半身までもが前のめりになってしまって,人間にあらざるピノキオが歩いているように見えてしまう。

ああ,可哀相に。みんな初めてだから必死の形相だ。よくよくみているとチームのだれかが(たぶん,キャプテンだろうと思しき生徒が)号令をかけている。それによって,かろうじて,足並みは揃っているかのようにみえる。が,よくよくみると微妙にズレている。多少のリハーサルはやったであろうが,うまくいかない。歩行運動というものこそ,個性があって,全員が同じような歩行運動になるには,相当の訓練をしないと揃わないのである。しかし,高野連の指導者たちはわかっていない。歩行運動くらい,ちょっと説明しておけばだれでもできる,と思っているに違いない。

そのぶざまな姿がテレビ画面にありありと写し出されている。
なんとも恥ずかしい。

しかし,それにつけても,このご時世になにゆえに,あの戦時中の軍隊調の,あの行進運動を甲子園野球の開会式でしなければならないのか。社会主義の国家でもあるまいに・・・。

それに引き換え,あの選手宣誓は立派だった。わたしは思わず涙した。簡潔で,無駄なことばがひとつもなく,まるでプロのコピー・ライターが書いたかと思われ名文が,石巻工業高校のキャプテンの口から,よどみなく,力強く,よく通る声で,情感に満ちあふれた宣誓となって,飛び出してきた。わたしは感動した。これはすごいことだ,と。なにが,かれをして,この晴れの大舞台で,これだけの選手宣誓を可能ならしめたのか,と。被災したひとりの高校生を,ここまで成長させた原動力はなにであったのか,と。

それに引き換え,主催者の挨拶,それに連なる人びとの挨拶が,なんと空々しく響いたことか。しかも,選手宣誓の何倍も,ながながと話したにもかかわらず,ほとんどなんの記憶も残らない,そういう挨拶だった。まことに無駄な挨拶。それに引き換え,選手宣誓の,練り上げられた,簡潔にして要を得た,人のこころをとらえて離さない,情感の籠もった高校生の声はみごとであった。日本全国の人びとが感涙にむせんだことと思う。なにを申そう,このわたしそのものが,溢れ出てくる涙を抑えることができず,ただ流れるままにまかせて,呆然とテレビ画面に見入っていたのだ。

夕刻のニュース番組で,石巻工業高校のキャプテンのインタビューが流れた。それを聞いて,ふたたび感動してしまった。かれの言うには,部員みんなの意見を一人ひとり聞いて,それを盛り込みながら,あの宣誓文を書き上げた,と言うのだ。立派。おそらく,歴史に残る名選手宣誓となるだろう。

人は困難を通過すると生まれ変わるという。あの,未曽有の災害という,歴史に残る困難を乗り越え,なにはともあれ通過して,甲子園の地に立つことのできた高校生の,しかも,キャプテンとしての立ち位置が,それも晴れの選手宣誓というこの上もない最高の選ばれた立ち位置が,かれをして大きな飛躍をなさしめたのだろう,とわたしは考える。

「場」が人間を育てる,という。そのあとには引けない,切羽詰まった「場」をどれだけ経験するかが,その人の財産になるという。甲子園に出場するだけで,すでに,大きな「場」を与えられ,かれらは一人ひとり,勝っても負けても大きな飛躍を遂げていくことだろう。それに加えて,石巻工業高校のあのキャプテンは,その何倍もの飛躍の「場」を与えられ,その重責に応えて,みごとに変身を遂げた。そして,これからもますます大きく成長していくことになるだろう。

あの選手宣誓を聞いて,グラウンドに整列していた他の高校球児たちも感動したに違いない。そして,よし,全力を傾けて野球に集中しよう,そして,いいプレイをしよう,最後まで諦めない野球をしよう,と誓ったに違いない。まさに,高校球児のみならず,それを聞いた全国民が納得の選手宣誓。

それにつけても,あのぶざまな行進運動と,このあまりにみごとな,すばらしい選手宣誓のギャップを見せつけられ,考えることの多い開会式だった。片や,お仕着せの受け身そのものの行進運動,すなわち,人形そのもの,そして片や,自分たちの経験を頭で精一杯考えて,インパクトのあるメッセージを発信した主体的な人間そのもの。この二つが,同じ高校生のからだをとおして表出された,今日の甲子園開会式。

今日も,すでに熱戦が繰り広げられている。明日は,その石巻工業高校が出場する。思い切ったプレイを展開して,全国の人びとの印象に強く残る試合をして,東北の気概,ここにあり,という試合をしてほしい,とこころから祈りたい。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめてコメントさせていただきます。
いつも楽しみに読まさせていただいております。私も選手宣誓に感動いたしました。。
もしかして、選手宣誓をしたのは石巻工の阿部翔人主将ではないかと。花巻は昨日試合して惜しくも負けてしまった高校です。今日は、昨日選手宣誓した石巻工が試合をすると思うのですが。。。私も昨夜ニュースを見て一度目はどちらがどちら?と思ったぐらいでした。二度目の情報で理解しました。思わずコメントさせていただきました。。すいません。
匿名でコメントするのは失礼かと思ったのですがお許しください。

Unknown さんのコメント...

コメント,ありがとうございました。
わたしの記憶違いでした。あわてて訂正をさせていただきました。
これからも間違いなどありましたら,ぜひ,忌憚なくご指摘ください。
ありがとうございました。

inamasaより。