2014年8月9日土曜日

西谷修先生の集中講義「戦争・メディア・スポーツ」を聴講。感動の3日間でした。

 西谷修先生のご講義は,とくべつのお許しを得て,これまでも何回も聞かせていただいてきました。そして,そのつど,新しい発見があって,生まれ変わるような経験の連続でした。今回もまた,これまでにもまして濃密な時間を過ごすことができました。とりわけ,今回は集中講義ということで,一日5コマずつ,三日間で15コマの授業を一気にシャワーのように浴びることになりました。もう,頭の中はてんやわんやです。あれやこれやの新知識の飽和状態です。これからノートの整理などしながら頭を冷やす必要がありそうです。

 場所は,神戸市外国語大学。期間は8月6・7・8日の三日間。8日の夜はわたしたちの仲間(7人)と一緒に有馬温泉へ。一泊。夕食後も,朝食後も集中講義の番外編を聞かせていただき,なんだかもったいない,という思いでした。至福のとき。

 さて,講義題目は「戦争・メディア・スポーツ」。このテーマで西谷先生はなにを,どのように語られるのか,わたしなりに想定してでかけました。しかし,その想定は全部はずれてしまいました。まさか,こんなに気宇壮大なお話をされるとは,まったく考えてもみませんでした。古代から現代までの典型的な戦争のトピックスを取り上げ,分析しながら,そこからみえてくる,これまでとはまったく異なる斬新な世界像や歴史や宗教や思想や人間像などについて,詳細に論じてくださったからです。それらの具体的な内容については,これから何回にも分けて,このブログに書いてみたいと思っています。今回は,その概要というか,わたしがとくに興味を惹かれた部分を取り上げて,その概略を書いておきたいと思います。

 たとえば,戦争という切り口からみえてくるヨーロッパ・キリスト教世界のなんとも異形としかいいようのない真相でした。そして,わたしの中にあったこれまでのヨーロッパのイメージは一新されてしまいました。こんにちのアメリカの傍若無人ぶり(たとえば,「テロとの戦争」という名のもとに展開されたアフガニスタンやイラクへの侵攻,など)は,古代ローマ帝国がキリスト教を国教としたとき以来,みゃくみゃくと受け継がれてきた世界制覇に向けた「唯我独尊」的なふるまいである,というように。そして,その猫の首に鈴をつける勇気あるねずみは一匹もいない,というこんにちの実態。ひたすら,「テロ」と名づけることによってすべてを正当化して恥じない,その姿勢とそれに従属するヨーロッパ・キリスト教連合国,などなど。

 あるいは,フランス革命。長くつづいたフランスの絶対王制をひっくり返し,市民の自由を獲得するための勇猛果敢な戦いでしたが,その自由を手にした結果として,その自由を守るための兵役義務が新しく生まれることになった,というそのパラドックス。しかも,その自由を守るために編成されたナポレオンの率いた義勇軍は,それまでの傭兵とは比較にならない強力な軍隊であったこと。つまり,戦うことの意味をしっかりと自覚した,ほんとうの意味での兵士の誕生であり,集団であったこと,など。

 そして,このできごと(革命)がどのように伝達されたか,というメディアについての詳細な論の展開がありました。

 こうした戦争とメディアの関係を論じながら,ここにスポーツの含みもつ問題性を連結させて論じながら,スポーツの特質をえぐり出してくださいました。ここが,わたしの聴講したかった「目玉」に相当する部分です。これらについても,問題を整理して,これからこのブログで書いてみたいと思っています。

 今日のところは,とりあえずのご報告ということで,ひとまずここまで。
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