2014年8月14日木曜日

キャンプ・シュワブゲート前に結集を呼びかける目取真俊さんに応答したい。

 FBにもシェアしておきましたが,目取真俊さんのブログ(「海鳴りの島から──沖縄・ヤンバルより」)に注目したいと思います。行動する作家・目取真俊さんのキャンプ・シュワブゲート前での連日の抗議行動には頭が下がります。遠く離れている川崎からもこころからのエールを送りたいと思います。そして,この夏休みの間に,一度は,キャンプ・シュワブゲート前に立って,ささやかながら抗議行動に加えてもらいたいと思っています。

 目取真俊さんはブログで必死に訴えていらっしゃいます。
 「難しい理屈はいらない。戦争のための軍事基地をこれ以上沖縄に造らせたくない。辺野古のちゅら海を守りたい」。この純粋無垢な主旨に賛同される人はキャンプ・シュワブゲート前に結集して欲しい,と。

 折しもお盆休みの真っ只中を,狙い撃ちしたかのように今日(14日)の午前には,辺野古崎周辺海域へのブイ設置を開始しています。沖縄県民の意思を踏みにじるばかりか,沖縄県民の基本的人権と命をも犠牲にして(これはまるで供犠だ),基地移転を強行突破しようとしています。この恐るべき現実を,本土のメディアはほとんど無視して,なにごともなかったかのように振る舞います。無視するということは容認を意味します。恐るべき暴力です。なにも知らないまま黙っているわたしたちもまた同罪です。

 わたしも,これ以上,黙っているわけにはいきません。なんとか,この夏休みの間に時間を割いて,沖縄に飛びたいと思っています。そして,キャンプ・シュワブゲート前に足を運びたいと考えています。こんな老人になにができるわけでもありませんが,枯れ木も森の賑わいと考え,目取真俊さんの呼びかけに微力ながら応答したいと考えています。

 電力問題と同じで,米軍基地問題も,東京から遠く離れた土地の住民にその負担を押しつけ,そのおいしいところだけをいただいて,それが当たり前のように振る舞ってきました。しかし,もう,これ以上,この状態を放置しておくわけにはいきません。それはあまりにも無責任です。いな,シモーヌ・ヴェイユに言わせれば「義務」の放棄です。それは,人間として生きるための「根」をもたない,勝手気ままな人間(自分さえよければあとは知らんぷりをする人間)であることを宣言しているのも同然ということになります。

 もう一度,生き物としての人間の原点に立ち返って,いま,わたしたちはなにをしなければならないのか,なにをどのように考えなくてはいけないのか,素直に反省すべき時代に立ち会っています。いま,現在のわたしたちの選択が子々孫々にまで大きな影響を及ぼすことになるのは,火を見るより明らかです。

 ささいなことでいい。身近なところから,生きるということの原点に立ち返って,総点検すること。そして,まずは,できることからはじめること。そういう小さな積み重ねこそが大事だと思っています。いきなり,高嶺の花ともいうべき理想に飛びついてもはじまりません。こつこつと大地に足がついた努力こそが稔りをもたらすのだ,と思います。

 目取真俊さんのブログを一度,確認してみてください。こころの叫び声が聞こえてきます。わたしたちもその何分の一でもいい,なにかをはじめようではありませんか。いまこそ,行動を起こすべきときだと,わたしはみずからに言い聞かせています。まずは,隗より始めよ,です。

 なにかとてつもないことが,眼に見えないところで起きている・・・・・そんな予感に苛まされている今日このごろです。じっとしていてもはじまりません。この不安を払拭するためにも,行動を起こすしかない,と覚悟を決めました。まさに「遅れてやってきた青年」のように。

 目取真俊さんに感謝。サングラスをかけたおっかないおじさんですが・・・・。



 
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