2014年8月4日月曜日

白鵬の優勝はこれが最後か。北の湖理事長の「苛立ち」の背景をさぐる。

 ほとぼりが冷めたところで,名古屋場所の大相撲を振り返ってみたいと思います。全取り組みを見たわけでもありませんし,特別のニュースソースがあるわけでもありません。ただ,できるだけ午後5時から1時間の取り組みだけは見る努力をしただけの話です。それと,大相撲の千秋楽後の北の湖理事長の談話「日馬富士と鶴竜の両横綱はあまりにふがいない」という相当にきびしい,ある意味では「苛立ち」のようなものまで伝わってきたことが,いささか気がかりになった,というだけの話です。

 この二つのことを手がかりにして,わたしが考えたことをまとめておきたいと思います。
 一つは,白鵬の優勝はこれが最後だろうなぁ,ということ。
 二つには,大相撲の星勘定の面白さ。そこに展開されている微妙な駆け引き。
 三つには,いわゆる片八百長は止めようがないということ。
 四つには,大相撲は近代スポーツ競技ではない,ということ。
 五つには,大相撲は見世物であり,金儲けのための興行であるということ。
 六つには,力士はみんな裸で付き合う「お友だち」同士なのだ,ということ。
 七つには,したがって,ことばの正しい意味での八百長はあとを絶たないということ。
 八つには,だからこそ,大相撲の醍醐味の一つは,その八百長をも楽しむこと。

 箇条書きにしてみて,わたし自身が驚いています。こんなにあったのか,と。でも,今回の名古屋場所は,わたしにとってはとても堪能できる,いい場所であった,と思っています。とりわけ,最後の5日間はとても密度の濃い取り組みが多く展開しました。

 が,じつは,北の湖理事長の苛立ちは,この5日間に展開した相撲内容にある,とわたしは受け止めています。端的に言ってしまえば,モンゴル出身の3人の横綱同士のとった相撲内容にある,と。わたしの眼からみても,とても面白い八百長相撲(ことばの正しい意味で)であったのですから,北の湖理事長にはもっと露骨にそれがみえていたに違いありません。

 もっとはっきり言っておきましょう。この横綱対決の二番は,明らかに白鵬に優勝の道を開き,これが最後ですよ,という引導をわたす儀礼であった,ということです。つまりは人情相撲であった,と。しかも,じつに巧妙で,おそらく3人の間ではなんの打ち合わせもなしに,阿吽の呼吸のうちに展開されたことだと思います。極端な言い方をすれば,つまりは,この3人の横綱に日本の大相撲が乗っ取られた,というのが北の湖理事長の「苛立ち」の中味ではないか,と。これはあくまでもわたしのアナロジーでしかありません。

 その根拠を書いておきましょう。
 鶴竜も日馬富士も,完璧に白鵬を凌駕する相撲内容を展開した上で,勝ちを譲っているということです。もし,この二人ががちんこで勝負にでていたら,白鵬は負けを喫して,最終的には4敗となり,優勝は消えています。しかし,30回目の大台に乗るかどうかの大一番です。史上3人目の快挙がかかっています。白鵬の顔も引きつっていました。なんとしても勝つのだ,と自分に言い聞かせるように。その心情を対戦する鶴竜も日馬富士も知らないはずはありません。この時点で,相撲の勝負はすでについている,ということです。

 しかし,横綱としての意地もあります。ですから,立ち合いから前半の相撲の流れは自分有利に展開し,勝ちパターンをみせつけています。その上で,体勢を白鵬有利に持ち込ませて,勝ちをゆずっています。白鵬は,当然,そんなことはからだでわかっています。そして,いまは意識としても,しっかりと噛みしめていることだろうと思っています。つまり,来場所はこの二人には勝てない,と。ましてや,相星対決,あるいは,優勝の行方を左右する大一番となったときには,絶対に勝てません。なぜなら,気持の上で「借り」があるばかりか,相手は手抜きをせず,がちで勝負にでてくるからです。

 これをどのように演出して見せるか,それが横綱の仕事だと,わたしは受け止めています。つまり,歌舞伎と同じで,名優の演技をいかに盛り立てるか,脇役は一致団結して頑張ります。それが興行成功への大原則です。大相撲も基本的には同じです。升席があって,酒を飲みながら,大声で力士にエールを送り,身もこころも大相撲の雰囲気のなかにどっぷりと浸りこんでいきます。そのために高いお金を払っているのですから。

 大相撲は近代スポーツ競技とはまったく異質の,伝統文化です。それを同列に位置づけて,八百長は断じて許されるべきことではない,と断ずる記者や評論家は,もはや大相撲を語る資格はありません。もちろん,金銭の授受を伴う八百長は別です。これは,明らかな「犯罪」です。贈収賄と同じです。八百長の原義は「片八百長」であり,「人情相撲」にあります。これは大相撲の奥深さと豊穣さを証明する立派な文化なのです。

 ですから,北の湖理事長の「苛立ち」は,偏狭なナショナリズムにその根がある,というのがわたしの見立てです。それをあからさまに言うことはできませんので,負け相撲の数をかぞえて「横綱としてあまりにふがいない」と表現したにすぎません。しかし,なんのことはない,この二人の横綱が本気で勝ちにいき,勝っていたら白鵬も11勝4敗という「ふがいない」成績に終わっていたことになるのです。

 ほんとうの相撲通は,勝ち敗けなどはあまり気にしていません。それ以上に,アーティスティックな相撲,あるいは,理詰めの美しい相撲,それに圧倒的な力技を展開する相撲,さらにはスピード感あふれる相撲,そして,星勘定の貸し借りの清算を気づかれないようにとる気魄あふれる力相撲,などなどの方に興味・関心が向かっています。勝っても負けても,どこまで自分の相撲を展開することができたのか,どこでその流れが変わってしまったのか,気力はどうだったのか,などなど。言ってしまえば,心技体の完成度がどの程度のところにきているのか,それを見届けつつ,相撲の展開(成り行き)を楽しんでいる,ということです。相撲の醍醐味は挙げていけば際限がありません。そして,個人差もありますから・・・。

 さてはて,白鵬の来場所以後の相撲はどうなることでしょうか。対戦相手によって,どんな相撲の展開になるのか,わたしには興味津々です。それと合わせて,鶴竜,豪栄道の相撲に注目したいと思っています。日馬富士は時限爆弾の両足首次第。それでもカミソリのような相撲が飛び出すところが魅力。

 というところで,このブログを閉じることにします。大相撲は,勝っても負けても,面白い。

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