2015年10月6日火曜日

「マイナンバー」。とうとう番号になってしまう「わたし」たち。物品管理。丸裸。人権無視。

 「マイナンバー」だって?冗談じゃないよ。

 俺たちは人間なんだ。物品じゃあないんだ。

 倉庫にぶちこまれた物品じゃあないんだ。

 人権をもった人間なんだ。血も涙もある人間なんだ。生身のからだを生きる動物なんだ。

 どこまで行ったって,「モノ」じゃあないんだ。立派な「生きもの」なんだ。

 その「生きもの」を,倉庫の物品と同じように,番号をふって整理し,物品の中味の情報をすべてパソコンにインプットし,一人の人間のあらゆる情報を国家が把握するという。プライバシーもなにもあったもんじゃあない。内緒でやっているアルバイトもみんなバレてしまう。たった一銭の税金も間違いなく取り立てる。光熱水費の支払い情況も。給料明細も。なにもかも。

 これじゃあ,ジョージ・オウエルが描いた小説『1984年』よりも酷いじゃあないか。

 2015年の日本が,マイナンバーというカード一枚で,すべての国民の情報をすべて把握する国家になろうとは・・・・。いったい,だれが想像しただろうか。

 憲法を無視し,議会のルールまでも無視して成立させた「戦争法案」は,日本の憲政史のなかに最悪の歴史を刻んだ。しかし,それに負けず劣らず最悪の制度が,このマイナンバー制度だ。ここには,基本的人権の保護もプライシーの保証もなにもない。人間が「生きもの」であることも否定され,完全なる「モノ」にされ,物品化されて,国家に管理される,というのだ。

 かつて,ジョルジュ・バタイユは,「有用性の限界」ということを言った。その骨子は,人間は自分にとって役に立つ「有用性」を追い求めていくと,便利な生活ができるようになるが,やがて自分たち自身をも「有用性」の枠組みのなかに閉じ込めてしまい,気づいたときには,人間が人間ではなくなり,「モノ」と化してしまう,というものだ。

 それを小説化したものが,さきにあげたジョージ・オウエルの『1984年』であり,最近の小説でいえば,カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』だ。

 これらは小説だ。しかし,マイナンバー制度は,現実の,いまを生きるわたしたち人間を「モノ」として管理するリアルな話なのだ。

 なぜ,こんな制度をアベ政権は編み出したのか。いわずとしれた「戦争法案」とセットなのだ。話をわかりやすくするために,ざっくりと言わせてもらおう。それは「徴兵制」がその裏に隠されている,ということだ。生活に苦しんでいる若者たちを自衛隊に勧誘するのも,このマイナンバー制度があれば自由自在になるのだ。

 この他にも,国民を自由自在に操る装置が,このマイナンバー制度にはいっぱい隠されている。それらについては,いずれ,このブログでも書いていくとして・・・・。

 ああ,やだやだ。マイナンバーなんて,考えるのもやだ。

 こんな鬼の手を,よくもまあ考え出したものだ,とあきれ返ってしまう。官僚のなかには血も涙もない「鬼」のような人が少なくないと聞く。優秀な官僚ほど,冷徹そのものだ,とも聞く。国民を虫けら同然・・・,いや,虫けらどころか,「モノ」同然とみなして平然としていられる人種だ,とも聞く。そういう官僚たちが,鬼の悪知恵を働かす。そうして,アベを喜ばせる。あとは,とんとん拍子で出世する。そして,天下る。そんな筋書きまでが透けてみえてきてしまう。

 あなおそろしや,あなおそろしや。天神様にお願いをしよう。藤原氏の末裔が,いまも悪さを働いていて困ります,と。祟り怨霊のパワーで,なんとか,そこを・・・・。お助けのほどを・・・・と。
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