2015年10月12日月曜日

「道元禅師の『典座教訓』を読む」(秋月龍みん著),を読み始める。

 ふらりと散歩にでたついでに,近所の本屋さんに立ち寄りました。散歩の途中で本屋に立ち寄るのはいつものこと。いつも行っている本屋さんなので,どこにどのような本が置いてあるかは,百も承知の介。文庫はつぎからつぎへと新しい本がでてくるので,きちんとアンテナを張っていないと置いてけ堀になってしまいます。というわけで,いつも文庫のコーナーから見て回ります。

 そうしたら,いきなり,平積みになっているこの本が目に飛び込んできました。
 秋月龍みん著「道元禅師の『典座教訓』を読む」(ちくま学芸文庫,2015年9月10日発行)。

 
もうずいぶん前のことになりますが,『典座教訓・赴粥飯法』(講談社学術文庫,1991年刊)という本を読んでいました。「典座」(てんぞ)というのは,禅寺における料理を担当する修行僧の役職の名前。しかも,道元さんが中国で修行していた曹洞禅ではとても重要視されていた役職で,地位も高く,尊敬されていたといいます。その秋月版が今回,刊行されたというわけです。

 道元さんは,若いころに建長寺で臨済禅の修行をしますが,そこでは「典座」という制度はありませんでした。つまり,日本に伝えられた臨済禅には「典座」という考え方も制度もなかった,ということです。そこで,道元さんは「正法」を如浄禅師から伝授されて帰国した後,禅道場を建て,そこで修行する人たち(出家と在家の両方)のために最初に書いた本がこの『典座教訓』だった,ということです。

 ですから,道元さんが,「食べる」ことにかかわる作務をとても重視していたことがわかります。つまり,献立を考え,食材を買い集め,調理して,雲水たちに提供する,という一連の作務そのものに「こころ」を籠めることの大事さを,この本は説いているわけです。すなわち,「典座」は,道元さんの説く「禅」の中核をなすものと言っても過言ではありません。日常の「行住坐臥」すべて「坐禅」なり,と説いた道元さんからすれば,「典座」がいかに重要な「修行」のひとつであるかはすぐにわかるとおもいます。

 以前,読んだときには,かなり苦労して読んだ記憶があります。しかし,こんどの秋月龍みんさんの『典座教訓』の読解はじつに明解です。まず,道元さんの書いた「和文」が提示され,ついで「現代語訳」があり,さらに「解説」がついています。ですから,なにも考えることなく順番に読んでいけば,すんなりと理解できるようになっています。もちろん,秋月さんの文章がじつによくこなれていて,道元禅の初心者にも楽に理解できるように気配りがなされています。

 このような文章が書けるということは,道元禅に対する秋月さんの造詣の深さがあってのものであることは,もちろんのことです。ものごとをよく見極めた人の達意の文章は読んでいて心地いいものです。この本はそういう部類に属する名著だとおもいます。

 加えて,この本は「典座」を語りながら,なんのことはない,道元禅の本質をじつにわかりやすく説いている点が素晴らしいとおもいます。有名な「只管打坐」(しかんたざ・ただひたすら坐禅に専念しなさい)や,「修証一等」(しゅしょういっとう・修行することと悟ることとはひとつのことですよ)ということばと,「典座」もまたまったく同じことばなのだ,ということも難なく理解できてしまいます。なにをしているときも,全身全霊を籠めて取り組むこと,これが「坐禅」であり,「悟り」なのだ,というのです。このことを「典座」の作務をとおして,道元さんは説いている,という次第です。

そのことを秋月さんはみごとに描き切っている,と言っていいでしょう。
お薦めの名著です。
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