2015年10月4日日曜日

運動会の組体操・巨大ピラミッドは,なぜ,やめられないのか。

 運動会の人気プログラムのひとつ。組体操の巨大ピラミッド。10段組みから11段組みへと挑戦する時代に突入。となると,怪我をする危険も増大する。現に,程度の差はあれ,事故もかなり起きている。でも,他の教材よりは怪我の確率は高くない。が,怪我は確率の問題ではない。そういうリスクと教育的価値とのバランスの問題だ。

 折も折,巨大ピラミッドの考案者であるよしのよしお先生が指導する「10段ピラミッド」が,運動会の本番で崩れ落ち,怪我人が二人でた。その動画がYouTubeで流れて,話題騒然。即刻,やめるべきだという意見が噴出している。

 この動画は何種類も流れているので,それらを可能なかぎりチェックしてみた。そのうちのもっとも詳細に描写されている動画をみると,よしのよしお先生の談話まで入っているものがあった。それによると,ことしは「11段ピラミッド」に挑戦しようということで練習をしてきたが,まだ,少し無理だと判断し,本番は「10段ピラミッド」にした。生徒たちは「10段」ならいつもできているので,大丈夫と考えたらしい。そこに油断があった,とよしの先生。

 「11段」の練習では,何回も崩れている。だから,本番は諦めたという。ということは,何回も崩れているのに怪我人はでなかったようだ。実際にも,巨大ピラミッドの練習中には,何回も何回も崩れているはずだ。それでも,怪我人はほとんどでないのが現実なのだ。なのに,目標を1段下げた「10段」で崩れて怪我人がでた。これは,よしの先生をはじめ指導してきた先生方,そして,生徒たち,それに父兄も含めて驚き,ショックを受けたことは間違いないだろう。

 世間では,この崩れた瞬間の動画と怪我人がでたという事実だけをとらえて,即刻,中止すべきだ,といかにもまっとうな批判の声をあげる。しかし,このような怪我は,もう,ずいぶん前からあちこちで発生していて,組体操の巨大ピラミッドは中止すべきだ,という意見が出されていた。そして,その是非論もかなり議論されてきた。

 にもかかわらず,運動会の組体操・巨大ピラミッドはやめられない。なぜか。

 その理由は「達成感」にある。運動会の本番で成功したときの達成感は,第三者のわたしたちが想像する以上の,とてつもなく大きなものがある,ということだ。先生と生徒と父兄のこころがひとつに結ばれ,その喜びを分かち合う瞬間だ。この感動はなにものにも代えがたい大きなものがある,ということだ。現代のこの時代・社会にあって,先生と生徒と父兄が一体になって取組み,感動を分かち合える唯一の文化と言ってもいいだろう。

 よしの先生の学校では,もう何年にもわたって,運動会でこの巨大ピラミッドに挑戦してきた。最初は低い「7段」くらいから成功させ,徐々に,その技量を高め,そのノウハウを蓄積して,いまや「11段」に取り組むまでにいたっている。ということは,この小学校に入学したときから,下級生は毎年,この巨大ピラミッドをみて感動し,やがて,5,6年生になったら自分たちもやるんだと憧れてきたはずだ。その期待を受けて,よしの先生は低学年からやさしい組体操の指導に取り組んでいる。二人組みの体操や三人組みの体操などを順序を追って指導している。そして,その成果を学年ごとに運動会で発表している。そういう低学年からの蓄積があって,上級生になって初めて「10段」から「11段」への挑戦が可能となる。

 父兄たちも毎年,その成果の発表を楽しみにしている。父兄以外の近所の住民たちも,その時間になると見物に集ってくるという。そして,これまで怪我人はでなかった。だから,それをみたすべての人が感動し,その喜びを分かち合ってきた。

 しかし,ことしはとうとう怪我人がでてしまった。すると,こうした長年の実績を無視して,世間は寄ってたかって叩く。これはあまりに無責任,かつ表層的で,不毛ではないか。

 もっと多面的・重層的に,この組体操・巨大ピラミッドが内包する問題について客観的な議論を重ねていくべきではないのか。そうして,なんらかの善後策が講じられるところまでもちこむことこそが喫緊の課題ではないのか。そのための建設的な議論の場が,一刻も早く設定されることを期待したい。単なる誹謗中傷を重ねているときではない。

 かつて,高校体操部の部員として組体操を運動会で披露した経験をもち,かつ,体育の教師として組体操を指導した経験もあり,さらには,教員養成大学で組体操の指導の仕方を教えた経験をもつ者として,今回のこの問題は,安易に看過するわけにはいかない。慎重に,だれもが納得のできる善後策を真剣に模索すべきだ,と考える。
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