2015年12月3日木曜日

大相撲の土俵祭り。「方屋開口,故実言上」ということについて。

 文庫本の新刊コーナーに『力士の世界』(33代木村庄之助著,角川ソフィア文庫,2015年11月25日初版)があり,即購入。書店でペラペラとめくってみたかぎりでは,いわゆる相撲ファンの初心者向けの解説本という印象でしたが,家にもどってから中味を読んでみますと,思いの外,奥が深い本であることがわかりました。しかも,行司の眼をとおしてみた力士の世界が,なかなかの達意の文章で描き出されています。とてもいい本なので紹介したいとおもいます。

 内容は以下のとおりです。
 第一章 相撲は神事
 第二章 いつも厳しい勝負の世界
 第三章 相撲部屋はひとつの家族
 以上の三章立て。

 いかにも行司さんらしく「相撲は神事」と断言しています。そして,行司は神主なのだ,とも。なるほど,読んでみますと神主の修行もして,資格も取得しているとのこと。だから,土俵は神のいます聖域(神域)であって,力士は一番ごとに塩をまいて清めることが不可欠なのだ,とも。

 その聖域である土俵に神を降臨させるための儀礼が,いわゆる「土俵祭り」なのだ,と33代木村庄之助は熱弁を振るいます。そして,驚いたことに,土俵祭りのときに神主として行司が読み上げる祝詞がそのまま紹介されています。一般的に,神社で読み上げられる祝詞は,ふつうの読み物では活字化しないのがしきたりのようになっていますので,わたしはこれまで祝詞なるものを一般の刊行物の中ではみたことがありません。しかも,土俵祭りのときに神官をつとめる行司によって読み上げられる祝詞は初見でしたので,びっくりしてしまいました。折角ですので,その冒頭部分だけでも引用しておきましょう。

 掛巻くも畏きこの斎庭に吾相撲の道の守神と斎く
 戸隠大神 鹿島大神
 野見宿禰尊等を招奉り坐奉りて畏み畏み白さく
 千早ふる神代の昔より中今は更に白さず
 弥遠永に栄いくべき相撲の道はしも敏き心に術を尽くして
 猛き心に力を競べて勝負を争い
 人の心を勇ましむる吾邦固有の国技なれば

 という調子でつづいていきます。フリガナをつけないと正しく読むことも難しい文章になっています。しかし,意味するところはおおよその見当がつくとおもいます。こういう祝詞が,場所ごとに土俵祭りのときには読まれているというわけです。しかも,土俵は,地方巡業のときにも必要です。ですから,そのたびごとにこの祝詞が読み上げられることになります。

 土俵祭りでは,この祝詞のあと「故実言上」の儀式が行われます。そして,この儀式のことを「方屋開口」と呼んでいるそうです。方屋とは土俵場のこと,開口は開く,つまり「土俵開き」という意味だと33代木村庄之助は書いています。しかし,そこには土俵の起源となったといわれている「人方屋」の話はでてきません。ということは,「人方屋」の話は一度,疑ってみる必要がありそうです。なぜなら,ここで用いられている「方屋」という言い方はわたしなりに納得ができるからです。つまり,「方屋」とは,家の中の正方形の空間のことで,土俵をつくるとなれば相当に大きな家屋を構える必要があったはずです。それは,寺院や神社のような特別の建物であればともかくとして,ふつうの家屋では特別の大きさの空間を意味したはずです。ですから,「方屋」ということばが相撲場以外にも用いられていたのではないかとおもわれます。そのヒントのひとつは「方丈」ということばです。寺の住職が一丈四方の部屋に住んでいたので,寺の住職のことを「方丈さん」と呼ぶしきたりがいまでもあります。また,有名な「方丈記」は,まさに方丈一間の家を建てて,質素に暮らし,必要とあらば解体してそれを大八車に積んで引っ越しをすることも可能だった,といいます。「方屋」と「方丈」のニュアンスは同じです。これは調べてみる必要がありそうです。となると,人が円陣を組んで座っていた,その中で相撲を取っていたのが「人方屋」のはじまり,つまり土俵のはじまりだ,という説は怪しいということになります。 

 さて,その「方屋開口」のときに「故実言上」がなされます。これは文字とおり「故実」を申し上げる,というほどの意味です。その文章も引用しておきましょう。

 天地開け始まりてより,陰陽に分かれ,
 清く明らかなるもの,陽にして上にあり,これを勝ちと名付く。
 重く濁れるもの,陰にして下にあり,これを負けと名付く。
 勝負の道理は,天地自然の理にして,これなすもの人なり。
 清く潔きところに清浄の土を盛り,俵をもって形をなすは五穀成就の祭りごとなり。
 ひとつの兆しありて形となり,形なりて前後左右を東西南北,これを方という。
 その中にて勝負を決する家なれば,今初めて方屋と言い名付くなり。

 これを読みますと,なるほどと納得させる「方屋」の故実が明らかになってきます。ポイントは,勝負を決する「家」であること,そして,前後左右を「東西南北」に位置付けた家を「方(ほう)」という,そこにあります。さらには,「陰陽」にはじまることを考えれば,その起源が中国であることもみえてきます。そして,前後左右,東西南北の意味するところは「四神相応」そのままです。すなわち,左方は東の青龍,右方は西の白虎,正面(前方)は南の朱雀,後方は北の玄武,にそれぞれ対応します。ですから,そういう家を「方(ほう)」というわけです。

 これで納得。となれば,ますます「人方屋」という土俵起源説は怪しくなってきます。そして,このときの「人」はなにを意味しているのでしょうか。新たな疑問が湧いてきます。

 ことほど左様に,この本全体の記述は,初心者向けに「力士の世界」を語った読み物になっていますが,上記のように驚くべき発見も随所にあって,なかなか楽しめます。まさに,行司さんでなくては書けない逸話や秘話がてんこもりになっていて,相撲ファンには堪らない魅力を放っています。

 いい本との出会いでした。ご一読をお薦めします。

※写真を追加すること。
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