高槻市の如是公民館が主催する講演を依頼されていましたので(23日午後2時より),少し早めに関西にやってきて,二つ,三つ用事を済ませ,今日(22日),万博記念公園の中にある国立民族学博物館の特別展「ウメサオタダオ」展に行ってきました。
じつは,昨日(21日),関西に在住の友人たちが国立民族学博物館へ案内してくれ,常設展の方を見物してきました。特別展もやってるよ,と教えてくれましたが,梅棹忠夫さんのことをほとんど知らない人たちといくところではないと自分で決めて,お断りをして図録『梅棹忠夫─知的先覚者の軌跡』だけ買って帰ってきました。夕食後,早速,この図録を読みはじめ,朝方の4時ころまでかかってほぼ全部を読み終えました。この人,梅棹忠夫という人の発想の奇想天外さがどこからくるのかと,以前から気がかりでしたが,この図録を読んで,とてもよくわかりました。のみならず,いまさらながらに感動してしまいました。
しっかり予習をしたところで,今日(23日)のすべての時間をかけてもいいから,じっくりと特別展をみようと思って眠りにつきました。が,なんと,今日の午前中はひどい雨風で,これではでかけられないと諦めてホテルに籠もっていました。そして,もう一度,あちこち拾い読みをはじめていたら,午後になって雨が止み,雲が切れてきて,明るくなってきました。これなら大丈夫と走るようにして高槻を出発。万博記念公園は雨上がりの青空をバックに新緑がみごとで,岡本太郎の「太陽の塔」もにこやかに迎えてくれました。
展示の内容はほぼわかっていますので,お目当ては,梅棹さんが用いたフィールド・ノート,メモ用カード,スケッチ・ブック,タイプライター,など。いわゆる『知的生産の技術』という名著を書くにいたる小道具たちがどのように使いこなされていたのか,そこに興味がありました。それと,もう一点は,『文明の生態史観』を生み出すにいたる梅棹さんの足どりとその発想の原点でした。この点については,『図録』でも大勢の人が謎解きをしてくれていますので,一定の予備知識はもっていましたが,やはり展示をみるとじかにその迫力が伝わってきました。
ここでは,わたしなりに納得した結論的なことだけを,思いつくまま書き記しておきたいと思います。
それは,まずなによりも,「足で歩き,その現場に立ち,肌で触れて,そこから思考をスタートさせる」という梅棹さんの基本的なスタンスでした。とにかく行動の人。そして,歩きながら(移動しながら)考える,あるいは,考えながら歩く,その上で文献のチェックをするというスタンス。あらゆる既成の概念にしばられることなく,まったく自由に,想像力(創造力)をはたらかせること。そこから生まれる発想をつぎつぎに書き記していくこと。さらに,カメラはあるのにスケッチをすること。そのスケッチにその瞬間,瞬間に浮かぶアイディアやイメージを書き込むこと。そして,それを整理すること(この整理学こそが梅棹さんの本領発揮というところです),しかも,それらを可能なかぎり文章化すること。これらを精力的にこなすこと。
なぜ,こんなに精力的に仕事ができるのか,と問われた梅棹さんは「あそび」だから,と答えたそうです。当然のことながら,ここでいう「あそび」とは通俗的な意味の「遊び」ではありません。なにものにも拘束されることなく,まったく自由に脳内活動(知的遊戯)を展開すること,これが梅棹さんのいう「あそび」です。ですから,楽しくて楽しくて仕方がない,というわけです。それは,まるで,子ども時代に熱中したという昆虫とりや植物採集(これらも,すでに,整理分類することが,必然的にともなっていた)と同じです。そして,その後は山登りです。三高の2年生のときには,一年のうち100日以上も山で暮らしたといいます。その結果,2年生を3回くり返した(落第したため)といいます。それでも,梅棹さんは,いやいやふつうの人より3倍多く友達ができた,と豪語しているほどです。つまり,これは面白いとなったら,もう,止めようがないという次第です。それが梅棹さんのいう「あそび」です。こういう「あそび」にあやかりたいものだとしみじみ思いました。
その止めようもなく面白いことが,梅棹さんにとってはフィールド・ワークであり,そこから生まれる「発見」であり,それらの「発見」を積み上げていくと,かつて,だれも考えたことのなかった,まったく新しい発想が生まれてくる,それを文章にして発表する,すると,かならず,大きな反響がある。それは,いつも,賛否両論に真っ二つに割れる。だから,なおさら,面白い,と梅棹さんはいう。要するに,梅棹さんは,まことに天性に合った「あそび」が仕事になってしまった,というわけです。ですから,やることなすことみんな面白くて仕方がない,と。
それにしても,こんなに才能に恵まれた人も少ないのではないか,と思います。たとえば,スケッチのみごとさ(画家になっても一流になったのではないかと思います),写真はプロ並み,動物学から社会科学への転身(知りたいと思ったら,いかなる学問領域にも飛び込んでいって,それをわがものとする。そして,さまざまな学問を横断する視野の広さが梅棹さんの発想の根源にある),数学という得意技(オタマジャクシの群れる現象を数学的に解析した論文が学位論文だという),鳥の鳴き声や川の流れる音,風の音,などを五線譜に移しとることができるほどの耳のよさ,地図のない未開の土地への探検・登山を試み,地理上の発見をすること,学術調査の団体を組織して(必要とされるあらゆる学問領域の専門家をあつめる)そのリーダーとなり,調査報告書をまとめあげる力,そして,国立民族学博物館を設立するために行政を説得し,巨費を捻出させる力,などなど。挙げていけばきりがありません。
そうした,トータルな能力の高さが,やがて世界的にみてもトップレベルといわれる「国立民族学博物館」を立ち上げ,初代館長となるところに向けられていきます。そのころに書いたかと思われるメモ書き(たぶん,どこかのレストランで食事でもしていて,眼の前にあったコースターの裏に書いたと思われる)が,『図録』の内側のタイトルの下に掲載されています。そこには,つぎのように書いてあります。しかも,あちこち推敲の跡がいっぱいで,なんとも汚いメモ書きです。
「ふかい学識,ひろい教養,柔軟な行政力,やたかな国際性,いきいきとした市民感覚」
今日は,いささか興奮気味で,まとまりのない文章でお許しください。これから,何回にも分けて,梅棹忠夫さんのことは書いてみたいと思いますし,わたし自身も,これからの仕事をすすめていく上で,ちょっとスタンスが変わるかもしれないと、思っています。このブログの書き方も変わるかもしれません。なぜなら,梅棹さんの「あそび」にあやかってみたい(ちょっと遅きに失したとはいえ),と切実に思うからです。
では,今日はここまで。これから,明日の講演の準備にとりかかります。ちょっと,時間が足りないかな?不安がいっぱい(笑い)。
じつは,昨日(21日),関西に在住の友人たちが国立民族学博物館へ案内してくれ,常設展の方を見物してきました。特別展もやってるよ,と教えてくれましたが,梅棹忠夫さんのことをほとんど知らない人たちといくところではないと自分で決めて,お断りをして図録『梅棹忠夫─知的先覚者の軌跡』だけ買って帰ってきました。夕食後,早速,この図録を読みはじめ,朝方の4時ころまでかかってほぼ全部を読み終えました。この人,梅棹忠夫という人の発想の奇想天外さがどこからくるのかと,以前から気がかりでしたが,この図録を読んで,とてもよくわかりました。のみならず,いまさらながらに感動してしまいました。
しっかり予習をしたところで,今日(23日)のすべての時間をかけてもいいから,じっくりと特別展をみようと思って眠りにつきました。が,なんと,今日の午前中はひどい雨風で,これではでかけられないと諦めてホテルに籠もっていました。そして,もう一度,あちこち拾い読みをはじめていたら,午後になって雨が止み,雲が切れてきて,明るくなってきました。これなら大丈夫と走るようにして高槻を出発。万博記念公園は雨上がりの青空をバックに新緑がみごとで,岡本太郎の「太陽の塔」もにこやかに迎えてくれました。
展示の内容はほぼわかっていますので,お目当ては,梅棹さんが用いたフィールド・ノート,メモ用カード,スケッチ・ブック,タイプライター,など。いわゆる『知的生産の技術』という名著を書くにいたる小道具たちがどのように使いこなされていたのか,そこに興味がありました。それと,もう一点は,『文明の生態史観』を生み出すにいたる梅棹さんの足どりとその発想の原点でした。この点については,『図録』でも大勢の人が謎解きをしてくれていますので,一定の予備知識はもっていましたが,やはり展示をみるとじかにその迫力が伝わってきました。
ここでは,わたしなりに納得した結論的なことだけを,思いつくまま書き記しておきたいと思います。
それは,まずなによりも,「足で歩き,その現場に立ち,肌で触れて,そこから思考をスタートさせる」という梅棹さんの基本的なスタンスでした。とにかく行動の人。そして,歩きながら(移動しながら)考える,あるいは,考えながら歩く,その上で文献のチェックをするというスタンス。あらゆる既成の概念にしばられることなく,まったく自由に,想像力(創造力)をはたらかせること。そこから生まれる発想をつぎつぎに書き記していくこと。さらに,カメラはあるのにスケッチをすること。そのスケッチにその瞬間,瞬間に浮かぶアイディアやイメージを書き込むこと。そして,それを整理すること(この整理学こそが梅棹さんの本領発揮というところです),しかも,それらを可能なかぎり文章化すること。これらを精力的にこなすこと。
なぜ,こんなに精力的に仕事ができるのか,と問われた梅棹さんは「あそび」だから,と答えたそうです。当然のことながら,ここでいう「あそび」とは通俗的な意味の「遊び」ではありません。なにものにも拘束されることなく,まったく自由に脳内活動(知的遊戯)を展開すること,これが梅棹さんのいう「あそび」です。ですから,楽しくて楽しくて仕方がない,というわけです。それは,まるで,子ども時代に熱中したという昆虫とりや植物採集(これらも,すでに,整理分類することが,必然的にともなっていた)と同じです。そして,その後は山登りです。三高の2年生のときには,一年のうち100日以上も山で暮らしたといいます。その結果,2年生を3回くり返した(落第したため)といいます。それでも,梅棹さんは,いやいやふつうの人より3倍多く友達ができた,と豪語しているほどです。つまり,これは面白いとなったら,もう,止めようがないという次第です。それが梅棹さんのいう「あそび」です。こういう「あそび」にあやかりたいものだとしみじみ思いました。
その止めようもなく面白いことが,梅棹さんにとってはフィールド・ワークであり,そこから生まれる「発見」であり,それらの「発見」を積み上げていくと,かつて,だれも考えたことのなかった,まったく新しい発想が生まれてくる,それを文章にして発表する,すると,かならず,大きな反響がある。それは,いつも,賛否両論に真っ二つに割れる。だから,なおさら,面白い,と梅棹さんはいう。要するに,梅棹さんは,まことに天性に合った「あそび」が仕事になってしまった,というわけです。ですから,やることなすことみんな面白くて仕方がない,と。
それにしても,こんなに才能に恵まれた人も少ないのではないか,と思います。たとえば,スケッチのみごとさ(画家になっても一流になったのではないかと思います),写真はプロ並み,動物学から社会科学への転身(知りたいと思ったら,いかなる学問領域にも飛び込んでいって,それをわがものとする。そして,さまざまな学問を横断する視野の広さが梅棹さんの発想の根源にある),数学という得意技(オタマジャクシの群れる現象を数学的に解析した論文が学位論文だという),鳥の鳴き声や川の流れる音,風の音,などを五線譜に移しとることができるほどの耳のよさ,地図のない未開の土地への探検・登山を試み,地理上の発見をすること,学術調査の団体を組織して(必要とされるあらゆる学問領域の専門家をあつめる)そのリーダーとなり,調査報告書をまとめあげる力,そして,国立民族学博物館を設立するために行政を説得し,巨費を捻出させる力,などなど。挙げていけばきりがありません。
そうした,トータルな能力の高さが,やがて世界的にみてもトップレベルといわれる「国立民族学博物館」を立ち上げ,初代館長となるところに向けられていきます。そのころに書いたかと思われるメモ書き(たぶん,どこかのレストランで食事でもしていて,眼の前にあったコースターの裏に書いたと思われる)が,『図録』の内側のタイトルの下に掲載されています。そこには,つぎのように書いてあります。しかも,あちこち推敲の跡がいっぱいで,なんとも汚いメモ書きです。
「ふかい学識,ひろい教養,柔軟な行政力,やたかな国際性,いきいきとした市民感覚」
今日は,いささか興奮気味で,まとまりのない文章でお許しください。これから,何回にも分けて,梅棹忠夫さんのことは書いてみたいと思いますし,わたし自身も,これからの仕事をすすめていく上で,ちょっとスタンスが変わるかもしれないと、思っています。このブログの書き方も変わるかもしれません。なぜなら,梅棹さんの「あそび」にあやかってみたい(ちょっと遅きに失したとはいえ),と切実に思うからです。
では,今日はここまで。これから,明日の講演の準備にとりかかります。ちょっと,時間が足りないかな?不安がいっぱい(笑い)。
1 件のコメント:
東京新聞の記事を読んで、気になるところがいくつかありました。
一つ目は、コンクールに応募している児童生徒の数です。意外に多い?!のではないかと。夏休みをまたいで学校現場に降りてくるコンクールは数多くあります。そのどれもがこれだけの応募数があるのかどうか、定かではありませんが、、、。
それと、コンクールの主催者の人たちにも思いが及びました。運営する人は真面目に仕事をこなしているのだと思います。
この、真面目さ、というのが、実は始末に悪いのかとも考えてしまいました。
二つ目は、文科省に、なんで、原子力課があるのでしょうか???不思議です。
等々、いろいろと考えることの多い記事でした。有り難うございました。
コメントを投稿