2011年5月16日月曜日

浜岡原発停止に賛成が6割を超える。

月曜日は,鷺沼の事務所にくる途中で,2,3軒の本屋をはしごするのが慣習となっている。その主たる目的は週刊誌にざっと眼をとおすこと,そして,月刊誌を立ち読みすること,あとは,文庫本の新刊をチェックすること,など。一カ所にあまり長くいるのもなんとなく気が引けるので,ついつい,はしごということになる。

それで,今日の感想は,ほとんどの週刊誌がどういうわけか,「脱原発」に舵を切ったなぁ,というもの。今朝の新聞にも,そして,インターネット情報でも,浜岡原発を止めたことについてのアンケート調査の結果6割が「支持」しているという。ざっとみわたしたかぎりでは62%から66%の巾があるが,6割を超えて7割に達しようかという勢いである。こういう空気をいちはやく感じ取ったのだろうか,各週刊誌の見出しの雰囲気ががらりと変化した。「脱原発」の風が吹きはじめた,といってよいだろう。しかし,問題はこれからだ。

「脱原発」に舵を切るということは,わたしたち自身の生活の姿勢そのものの舵も切り替えるということだ。もっと言ってしまえば,ものの見方・考え方を根底から変えるということだ。電気も水道も使い放題にしてきたこれまでの「消費文明」から離脱して,「命を守る」21世紀型の文明へと移動することだ。そのためには相当の覚悟が必要だ。沖縄にはむかしから「命どぅ宝」ということばがある。まずは,なにがあっても「生きる」こと。「生きる」ことを最優先にして,生活の基本を構築していく考え方だ。その上に文化・文明を積み上げていく。わたしたちは,いつのまにか,「命の大切さ」ということを忘れて,目の前の欲望を充たすことにふりまわされてしまい,それが日常化してしまっていた。そのことへの最大の警告・教訓として原発問題が立ち現れた。

いまも制御不能のまま,きわめて危険な状態がつづいているという。しかも,いまごろになって燃料棒が溶融していた,しかも,地震の直後からだ,という。もはや,こうなると,これらを人間の手で制御できるようになるには何年かかるかわからないという。このごにおよんでなおも原発推進派の政界・財界の大物たちが,つぎの戦略を打ち出すために,密かに「ミーティング」をくり返しているという。これからの勝負は,こうした原発推進派と一般市民の脱原発派とのせめぎ合いだ。そして,やはり鍵をにぎるのは,ここでもメディアだ。このメディアも,これまでのマス・メディアからブログやツィッターのようなプチ・メディアにいたるまで,多様化してきた。しかも,いまの若者たちは新聞は読まないがツィッターは読む,という。だから,これからは「情報」の流れをどのように止揚していくか,にかかってくる。

さて,この6割が,これから具体的な行動をとおしてなにかを動かす「力」を身につけるかどうか,そして,意識的に選挙行動にまでつなげることができるかどうか,そこが問題だ。いっときの情緒的反応では困るのだ。その意味で,わたしたちは,もう一度「命」のレベルからものごとを考え,ルールを立ち上げ,制度を構築していくこと,そこからはじめることがなによりも優先されることになる。まずは,一人ひとりの身の丈に合わせて,できるところから「脱原発」に向けて行動を起こすこと,それにつきる。

1 件のコメント:

okazakinomurayasu さんのコメント...

 2兆円以上の税金を使って、原発関係の企業、政治団体、天下りの温床、自民党民主党への献金が、東北の震災によって浮かび上がってきた。電気の企業の「独占」がはっきりした。