2015年11月16日月曜日

これは新しい「戦争」のはじまりだ。テロも空爆も殺人行為。そこに「正義」はない。

 「無辜のパリ市民を無差別に殺すなんて・・・」とパリ市民は怒っている,と新聞が書いている。ほんとうにそうだろうか,とわたしは首をひねる。ほんとうに怒る資格があるのだろうか,とわたし。フランスがシリア(IS) の空爆に軍隊を送り出しているのは,パリ市民のみなさん,あなたがたなんですよ。その空軍が「無辜のシリア市民を無差別に,しかも<超大量に>殺戮している」という事実はご存じですよね。しかも,ときには「誤爆」までして・・・・。その責任は,パリ市民のみなさんにあるのですよ。

 こんな風に書き出すつもりはなかった。なのに,いつのまにか指が勝手に動いている。不思議だ。どうやら,わたしは,いま,本気で「恐怖」におののいているらしい。なぜなら,いずれ,近い将来,東京でも同じことが起きる,と痛切に感ずるからだ。つまり,わたしたちは「集団的自衛権」の行使容認を止めることができなかったからだ。このままでは,アベ総理は間違いなく自衛隊を海外に派遣し,戦闘に参加させることになるだろう。それが日々,現実味を帯びてきている。だから,わたしは「恐怖」におののいている。

 そうなれば,こんどは東京がIS の攻撃のターゲットになる。そのことは間違いない。しかも,絶好のターゲットになる。そのときに,「無辜の東京都民を無差別に殺すなんて・・・」と言えるだろうか。言う資格があるだろうか。ない。いや,あるもないもない。なぜ? それはまったく新しい「戦争」のはじまりだから。戦争による殺人行為は犯罪ではなく,当たり前のことだから。

 もし,かりに,日本の自衛隊の活動が後方支援に限定されたとしても,その先端では空爆による大量無差別殺戮が行われ,「無辜のシラク市民が無差別に」殺されているという現実に変わりはない。となれば, IS からすれば,後方支援であろうがなかろうが,戦争に加担するかぎりすべて「敵」であることに変わりはない。しかも,後方支援を絶つ,のは戦略の大原則だ。ここを叩かないことには勝ち目はない。だから,前線よりも後方支援の方がより危険度は高いとさえ言われている。

 第一,東京が IS の絶好のターゲットになる理由は多すぎる。一つには,東京は丸腰の無防備に等しい,ガードの甘い都市だということ。二つには,東京五輪2020が控えていること。つまり,世界の注目を集めやすいということ。三つには,多くの外国人観光客がやってくること。四つには,すぐ近くに原発があること。あるいは,日本全国に原発があること。ここがテロのターゲットになったら,終わりだ。五つには,地下鉄,高速道路,新幹線といった交通網はスキだらけであること。というより安全確保はほとんど不可能に近いということ。六つには,日本人IS 要員は少なくないこと。等々,数え上げていけば際限がない。

 つまり,明日は我が身だ。そのことを考えるから,わたしはパリ市民の反応,そして,国際社会(これが問題だが)の反応に,それも「衝撃的だ」という反応に,首をかしげてしまう。もちろん,日本のマスメディアの報道の仕方にも。

 わたしたちは,無差別空爆の下で,どれだけ多くの無辜のシリア市民が犠牲になっているか,この目で確認することができないだけだ。SNS で映像を確認しようとしても,例外的に市民が逃げまどっている映像がほんのわずかに確認できるだけだ。大半は闇のなかだ。そして,マス・メディアが報じている映像は,爆弾が投下される場面と,それが命中したかどうか,という映像しか目にすることはできない。つまり,そこで犠牲になっている「人間」の姿を確認することはできない。

 だから,シリアでどれだけ多くの人びとの命が犠牲になっているのか,それもじつに無惨に殺されているか,という事実を「視覚的に」とらえることはできない。その結果,なにごともなかったかのように錯覚をしてしまう。空爆の下でどのようなことが起きているのかという想像力すら失っている。つまり,感性が欠落したままなのだ。

 ひるがえって,ある日,突然,パリ市民が攻撃を受け,目の前で犠牲になっていく人びとの姿を見て,そのあまりの残虐性に驚き,怒りをあらわにする。自分たちの犠牲には過敏なほどに反応するが,シリアの市民の犠牲にはほとんど無感覚なままである。しかも,その空爆は,自分たちの「意思」で行われていることも忘れて・・・・・。

 要するに,テロも空爆も立派な「殺人行為」なのだ。そして,それぞれの立場で,その殺人行為を正当化している。しかし,殺人行為に「正義」はない。だから,これは新しい「戦争」のはじまりなのだ。「テロとの戦争」とはこういうことなのだ。自分たちが攻撃しているときは当たり前のような顔をしていて,いざ,こちらが攻撃されると大騒ぎをする。「9・11」も同じだ。

 もう一度,言っておこう。戦争に「正義」は存在しない。あるとしたら,両方にある。だから,殺人行為が繰り返される。ただ,それだけだ。

 今日はここまでで留め置くことにする。この問題は,書かなくてはならないことが多すぎる。

 でも,ひとつだけ書いておこう。わたしたちは戦争に加担してはならない,ということ。つまり,集団的自衛権の行使は阻止すること。そして,積極的に「不戦」を誓うこと。そのためにこそ「憲法9条」がある。それを守ることこそが「人間の尊厳」を守るということだ。このことだけは肝に銘じておきたい。

〔付録〕
IS を生み,育てたのはだれか。それが,なぜ,反逆行為をはじめることになったのか。
IS を支援している「死の商人」たちがいる。それはだれか。そして,なぜ?
この問いを解いていくと,とんでもない世界が忽然とその姿を現すことになる。いずれまた。

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