2014年2月28日金曜日

まど・みちおさんが逝く。104歳。

ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね
 そうよ
 かあさんも ながいのよ


ぞうさん
ぞうさん
だれが すきなの
 あのね
 かあさんが すきなのよ


 この歌を知らない日本人はまずいないでしょう。だれもが一度は夢中になって歌ったことがあるはずです。この「ぞうさん」を筆頭に数々の名作を残したまど・みちおさんが逝った。104歳と聞けば,大往生。こころからご冥福を祈ります。


 わたしはいつのころからか,まど・みちおさんのファンになっていて,詩集がたまっていくうちに,とうとう『まど・みちお全詩集』(理論社)まで購入していました。そして,その日の気分にまかせて適当なところを開いて,拾い読みを愉しむことを覚えました。とりわけ,面白くないことがあった日の夜は,なによりもわたしのこころの救済の役目をはたしてくれました。


 国際アンデルセン賞を受賞するような詩人の詩を論評する力はわたしにはありません。が,谷川俊太郎さんが書いたつぎの文章は,わたしのこころに深く刻まれるものがありました。紹介しておきましょう。


 まどさんには「中心」がある。まどさんは中心に向かって書く。中心はけしつぶのように小さく,宇宙のように大きい。中心は星のように遠く,一匹の蚊のように近い。まどさんはことばを消費しない。ことばを存在させようとする。まどさんは詩をつくらない,詩はまどさんの一番深いところから生まれてくる。さながら一枚の若葉が芽吹くように。それをまどさんは私たちに残してくれる,「自分のかわりのように」。


 そう,まど・みちおさんの詩は,まるで仏教者のような「山川草木悉皆成仏」を思わせる,根っからのやさしさがある。だから,気づけば,自分の詩になっている。


 たとえば,「おかあさん」という詩があります。


おかあさんは
ぼくを 一ばん すき!


ぼくは
おかあさんを 一ばん すき!


かぜ ふけ びょうびょう
あめ ふれ じゃんじゃか


 ついでにもう一編,わたしの好きな詩を引いておきましょう。


「どこの どなた」
トイレの スイセン
ベランダの ラベンダー
うんそうやの ハコベ
すいげんちの ミズヒキ
だいくさんちの カンナ
そっこうじょの カスミソウ
ていりゅうじょの マツ
しゅうかいじょの シュウカイドウ
しょくぎょうしょうかいじょの クチナシ
ぼうりょくだんのいえの ブッソウゲ
ろうじんホームの ヒマ
しんこんさんの フタリシズカ
いんきょべやの ヒトリシズカ
しあいじょうの ショウブ
じこげんばの ゲンノショウコ
グラウンドの ハシリドコロ
ごみすてばの クサイ
おかしやの アカシヤ
あめやの アヤメ


 思わず,このつづきを書き加えたくなってしまいます。なんでもない身近な情景がそのまま詩になっています。わたしはこんな詩が好きです。


 わたしの好きな詩をいっぱい残してくださったまど・みちおさん,ありがとう。これからも『まど・みちお全詩集』はわたしの座右の書でありつづけることでしょう。
 まど・みちおさんのこころからのご冥福を祈ります。

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