2014年2月4日火曜日

ソチ五輪の裏側にもまなざしを。150年前・ロシア軍によるチェルケス人大虐殺という過去が。

 人間とは不思議な生き物だ。目の前に面白いイベントをちらつかせられると,一斉にそこに飛びつき,それ以外のことは忘れてしまうらしい。そして,それが終わると台風一過のごとくにまたそのイベントのことは忘れてしまう。その繰り返し。

 ソチ五輪を目前に控え,世は挙げてソチ五輪一色に染め上げられたかのようである。都知事選の情報も縮んでしまい,臨時国会ではどさくさまぎれに重要な法案を強引に押し通そうとしているというのに・・・・。ましてや,フクシマのことなどどこ吹く風。沖縄の米軍基地移設問題などは眼中にもないかのようだ。東日本の復興に関する情報も風前の灯火。

 ソチでは,いま,ぞくぞくと選手団が到着して,厳戒体制をしいて安全確保に全力を挙げているという。かのスターリンも愛用したという別荘地・保養地。いまも,人気のスポットだという。なのに,なにゆえに,これほどの厳戒体制を敷かねばならないのか。この町に入るには,全員が身分証明書を発行してもらってからでなくては入れない。もちろん,その身分を証明するためにはきびしいチェックがあるという。旅の途中にふらりと立ち寄って冬季五輪でも見物を・・・などというわけにはいかないのである。

 そこには深いわけがある。ソチはカフカス地方の一部をなしている,と言われるとピンとくる人は多いと思う。この地域は東西・南北の交通の要所で,さまざまな少数民族がこのあたり一帯に分住していた。言語も宗教も複雑に錯綜していて,むかしから紛争の絶えないところであった。細かなことははぶくが,近世以降をみるだけでも,オスマン帝国,イラン,ロシア帝国の角遂の場になったが,19世紀中頃にロシア領となった。

 ソチの周辺地域は,カフカス諸語系の諸民族が先住民族。その内,グルジア語を話すグルジア人が古くからのキリスト教徒,それ以外はほとんどがイスラム教徒でスンナ派。このスンナ派の人たちのなかにチェルケス人と呼ばれる人たちがいて,その人たちがいまもこのソチに住んでいる。そして,この人たちの記憶のなかにはロシア軍と戦った「カフカス戦争」の凄惨な記憶が埋め込まれている。

 さきに,19世紀中頃にロシア領となった,と書いた。もう少しだけ詳しく書いておこう。1859年,コーカサスの西部に住む先住民チェルケス人は,ロシア軍の猛攻撃を受け,敗戦。その後も住民の9割が虐殺されたという。その慰霊碑がいまも丘の上に大事に祀られているという。もちろん,チェルケス人は熱心なムスリムである。

 このチェルケス人の主張は,「ここはロシアがオリンピックをやるべき場所ではない」,というものだ。やるのなら,別のところでやってほしい,と。

 もちろん,この人たちのなかにも,「もう時代は変わったのだ。仕方がない」と諦めた人たちもいる。しかし,どうしても許せないという人たちも少なからずいる。この人たちを,遠く離れたところに住むイスラム教スンナ派が,有形無形の支援をしている。その拠点はどこにあるか,影も形もない,お化けのような存在だ。その眼に見えない「敵」にロシア軍は怯えているのだ。そして,一触即発,いつでも戦える臨戦態勢を敷いているのだ。

 これがソチ五輪のもうひとつの顔である。こんなにまでして「五輪」を開催しなくてはならない理由はなにか。もうすでに何回も書いたので,簡単に触れておく。まつろわぬ民に対する権力の徹底的な威嚇,そして,ほんのわずかな口実でもあればすべてを壊滅させるチャンスを待っている,これがプーチンの戦略だ。ソチ五輪はそのための絶好の口実として利用されているにすぎない。

 なんともはや,空恐ろしいことが,ソチ五輪という華々しい表舞台の裏側では展開されているのである。いよいよ,国際平和を標榜するオリンピックの化けの皮が剥がされ,「破局」に向けてまっしぐらの様相を呈してきた。

 いよいよわたしたちの「批評」眼が問われるときがきたというべきか。

※ふと,思い出したことがある。「若きカフカス人」というブロンズ像がある。彫刻家中原悌次郎の傑作である。額に深いしわが刻まれ,苦渋に満ちた顔である。どうみても「若い」とは思えない。が,一度,見たら忘れられない強烈なインパクトをもった作品である。晩年の芥川龍之介がある講演で,「この中原氏のブロンズの『若者』に惚れる者はいないか。この若者はまだ生きているぞ」と言ったという。





 
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