2014年9月7日日曜日

「島ぐるみ会議」が主宰する月曜恒例のキャンプ・シュワブゲート前の抗議集会の参加記録。

 今夏の沖縄滞在中に,二度目のキャンプ・シュワブゲート前の抗議集会に参加したときのお話を書いておきたいと思います。一回目は,すでにこのブログでも書きましたように,8月23日(土)の「2000人県民集会」でした。このときは,予想以上の人が集まり,3600人以上の参加があったと翌日の新聞が報道していました。この反響の大きさは本土にもとどいたようで,アベ政権も相当に驚いたはずです。その反動というべきか,その後の抗議行動,とくに,辺野古崎周辺海域でのカヌーによる抗議行動に対して,とんでもない強権を発動して高圧的な態度にでていることは,現地の「琉球新報」や「沖縄タイムス」で連日,大きく取り上げられていますので,それを読んでいる人たちは知ることができます。たとえば,海の安全を守るべき海上保安庁のゴムボートが,抗議行動をしているカヌーに体当たりして転覆させている,というような具合です。しかし,これまでどおり,本土の大手メディアはほとんど無視の態度を貫いています。ですから,多くの本土の人びとはなにも知らないまま,いつもの日常を暮らしています。

 いまに始まったことではありませんが,とにかくアベ政権によるメディア・コントロールは相当に強烈なものであるということは間違いありません。もれ伝わるところによれば,アベ首相は「なにをぐずぐずしておるっ!さっさと片づけてしまえっ!」と机を叩いて担当者に指示をした,ともいいます。なにがなんでも既成事実をでっちあげておくこと,とりわけ,知事選挙前に。なぜなら,沖縄知事選挙での勝ち目はない,と判断しているからです。すでに,アンケート調査によれば,沖縄県民の80%以上の人たちが安倍政権に反対している,ということです。それならば,なおのこと「急げ!」という判断のようです。

 帰ってきてから,沖縄のその後の動向を追うにつけ,滞在中に二度もキャンプシュワブ・ゲート前の抗議集会に参加してきてよかった,しみじみ思っています。ですから,そのうちの,二度目のキャンプ・シュワブ・ゲート前での参加記録も残しておきたいと思います。

 さて,8月25日(月)の午前10時から「島ぐるみ会議」が用意するバスが出る,それも3台チャーターしていて先着順だ,と聞いていましたので午前9時30分には到着し,チケットを購入して並んでいました。もうすでに,3台目のバスの行列の中ほどでした。あと残り席はわずかです。一緒にこのバスに乗り込む予定の西谷修さんが現れません。どうしたんだろう,と心配していたらそこにから電話が入ってきました。仲里効さんが車を出してくれて,1席,空きがあるので,いま,県庁前に迎えに向かっています,という話。あわてて,チケットをキャンセル。でも,ドタキャンですので,返金はお断りして寄付しておきました。


 というようなわけで,急遽,仲里さんの案内でキャンプ・シュワブに向かうことになりました。もう一人の同乗者は中山智香子さん。この4人なら安心。和気あいあいで,車中の話も盛り上がりました。しかも,バスでは立ち寄ることもできないような農道にまで入りこんで,要所,要所に立ち寄っての道中でした。これはとてもありがたいことでした。やはり,仲里さんでなければ,というより,仲里さんが「ここだけは見せておきたい」という要所を的確に案内してくださったのだ,ということはあとになってわかったことでした。その意味でも貴重な体験でした。

 以前は海辺まで行くことができたという米軍基地周辺のゲートはことごとくすべて閉鎖され,ロックアウト。さすがに警備の人は立っていませんでしたが,なんとなく不気味な感じでした。仲里さんが仰るには,ここは,以前は出入り自由で,みんな海岸まで降りて行って,海で遊んだ場所なのに・・・とのこと。ことほど左様にどこもかしこも厳戒体制です。なにか薄気味悪い無言の圧力のようなものを感じてしまいました。



 しかし,何カ所か立ち寄った場所からの辺野古崎周辺海域の海はどこも綺麗で,しかも,ジュゴンやウミガメが棲息する素晴らしい自然環境にも恵まれている海です。すぐにでも飛び込みたくなるような海の青さがひろがっています。西谷さんは思わず「飛び込もうか」とジョークを飛ばしたほどです。それはそれは綺麗な海で,えもいえぬみごとなものです。本土では,よほどの条件のいいところでなければ,これほどの美しい海には出会えないことでしょう。そんな綺麗な海を,しかも海の資源に恵まれた素晴らしい辺野古の海を,埋め立てて米軍基地の飛行場を建設するというのです。冗談じゃない,むらむらと怒りが湧いてきました。これはどう考えてみても,むかしからこの地に住んで,海の幸をいただきながら生活を営んできた人たちの「人権」も「生命」も無視しての「暴挙」以外のなにものでもありません。とんでもないことが,いま,この地で展開されているのだ,と胸に刻みました。


 現場に立つ,ということはこういう強烈なインパクトをともなうのだ,としみじみ思いました。やはり,間接的な情報だけではなく,からだを移動させること,そして,自分の眼で確認し,その場の風を感じ,空気を吸って,五感のすべてを総動員して,第六感も働かせてトータルにものごとを考えるということ,その大切さが身にしみて理解できました。



 途中で昼食をとったレストランの「そうきそば」がこれまた絶品でした。こんなに大きな「そうき」がごろごろ入っていていいのだろうか,と注文したわれわれが気が引けてしまうほどでした。しかも,きわめて美味。これも初めての体験。そろそろ抗議集会の時間だというので,キャンプ・シュワブのゲート前に向かいました。


 到着したら,すでに,連日,座り込みをしている人たちの抗議集会がはじまっていました。わたしたちもこの座り込みの人たちの中に加えてもらって,一緒に,山城さんの抗議の演説に耳を傾けていました。そこに「島ぐるみ会議」のバスが到着し,隊列を組んで行進をはじめましたので,その行列にも加えてもらって一緒にシュプレヒ・コールをしながら行進しました。この人たちは,それが終わるとすぐにバスの方に移動していきました。わたしたちはそのまま残って,しばらく座り込みの人たちの中に入れてもらって,ふたたび,始まった山城さんの演説に耳を傾けました。新聞の報道からは見えてこない,この土地に生まれ育った人たちのこころの底からの「怒り」の声が,ストレートに伝わってきました。

とても驚いたのは,山城さんの演説は熱の籠もった素晴らしいものでしたし,途中で拍手も何回もあって,こころが一つになったところで山城さんは突如としてカチャーシーを踊りはじめ,それで演説を閉じました。その直後に,飛び入りで「歌を歌います」という若いお母さんが立ち,米軍基地移設反対の歌を朗々と歌い挙げました。これにも感動してしまいました。沖縄の芸能の力は,こんなところにも発揮されるのだ・・・と。

 山城さんの演説が終わり,飛び入りの歌が終わって一区切りついたところで,仲里さんが山城さんに挨拶に。ついで西谷さんも。すると,山城さんは西谷さんを確認すると両手で握手をし,よくぞ来てくださった,と感謝のことばを述べていました。わたしたちも紹介してもらい,握手しながら,お互いに頑張りましょうと励まし合いました。わたしたちはわたしたちの持ち場でできるだけの努力をしますので,と。

  ここでお別れをして,帰路につきました。車中では西谷さんと仲里さんの,かなり突っ込んだ本音のトークに耳を傾けていました。中山さんもそのトークに加わり,さらに盛り上がりました。そうか,この人たちはそこまで掘り下げて思考をさぐり,みずからのスタンスを構築しているのだと知り,とても勉強になりました。

 この日の夜には,新外交イニシアティブ(ND)設立一周年記念・『虚像の抑止力』出版記念シンポジウム「どうする米軍基地・集団的自衛権──オキナワの選択」が予定されていましたので,そこでまたお会いしましょう,ということでわたしはひとりわたしのホテルの前で降ろしてもらいました。

 仲里さんのご好意で,とてもいい日を過ごすことができました。ありがとうございました。ホテルで一休みして,夜に備えることができました。いまになって考えてみると,この日はビッグ・デーでした。夜のシンボジウムについは,また,のちほどこのブログに書いてみたいと思っています。

 以上,ご報告まで。

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