2014年9月13日土曜日

「スコットランドと沖縄」(佐藤優)。スペインのカタルーニャやバスクも。

 世界が液状化しはじめたのか?
 あるいは,古典的なナショナリズム(民族主義)の復活なのか?。
 それとも,近代国民国家の諸矛盾が露呈しはじめた,ということなのか?
 近代という時代を束ねてきた規範が,もはや通用しない時代に突入していることは間違いない。

 そんなことが佐藤優の「本音のコラム」を読んでいて脳裏をよぎっていった。これからなにかが起こる予兆であることは間違いない。それはわたしのことばで言えば,「後近代」的社会秩序への再編のはじまりということかも知れない。ひとつの時代の死と再生。


 スコットランドの住民投票の結果いかんによっては,大きな雪崩現象が,世界の各地ではじまるのではないか。

 佐藤優は,沖縄のこれからの動向に注目する。スコットランドの行方いかんによっては,これまで鬱積してきたエネルギーに点火する可能性がある,という。いま組織されている「島ぐるみ会議」は,沖縄独立も視野に入れている。11月の沖縄県知事選挙の結果と,その後の辺野古への米軍基地移転問題のなりゆきいかんによっては,まったく新しい展開がないとはいえないだろう。そういうマグマがすでに臨界に達している,とわたしは感じ取っている。

 岡本行夫は,昨日(12日)の報道ステーションで古館一郎の問いかけに対して,つぎのように応答している。

 沖縄に独立の機運が高まっていることは承知している。しかし,それは多く見積もっても住民の 10%くらいの主張にすぎない。だから,全然,問題にはならない。第一,同じ日本語を話す国家が二つもあること自体が奇怪しい。そんなことはありえないことだ。

 と切って捨てた。切れ者として知られる岡本行夫にして,この程度の認識でしかない。あるいは,テレビということもあって,意図的にこのような発言をしたかもしれない。しかし,沖縄にはもともと琉球語があって,かれらの母語はこれである。日本語に似て非なる言語だ。わたしには何度聞いても意味不明である。英語やドイツ語の方が,わからないなりに,なにを言っているかは理解できる。韓国語も少し耳を傾けていると,なんとなくわかったような気になってくる。琉球語は韓国語以上にわたしの耳には難解きわまりない言語として聞こえてくる。まるで,バスク語のように。

 バスクといえば,もう長い間,独立運動がつづいている。いまは過激派が少し鳴りをひそめているが,相変わらず独立の機運は高い。バスク地区の道路表示はスペイン語で統一されているが,ここかしこで,そのスペイン語を黒塗りにして,手書きでバスク語に書き換えられている。バスからその表記の訂正をみるたびに,なんとなく徒ならぬものを感じないではいられない。いまも,独立のチャンスをねらっていることが伝わってくる。一時,フランコ政権のもとでの弾圧により,途絶えかけていたバスク語教育も復活している。

 同じスペインにはカタルーニャ地方がある。やはり,この地区も母語はカタルーニャ語で,独特の文化をもっている。こちらは,いま,まさに独立を訴える運動が真っ盛りで,すでに,日本のメディアでもとりあげられ,注目されている。こここそ,こんどのスコットランドの結果次第で,さらに新たな動きをはじめることは間違いないだろう。

 このような動向は世界のあちこちの民族色のつよい地域で,伏流水のようにして脈々と生き長らえ,その機をうかがっている。

 スコットランドの結果いかんを問わず,住民投票を実施して,その意思を問うという行為そのものが,あらゆる民族色のつよい地域に大きな影響を及ぼさずにはおかないだろう。新しい世界史の展開,そんなことがしきりに脳裏をよぎる。

 井上ひさしの『吉里吉里人』が,たんなる夢物語ではなくなってくる。

 川満信一さんの「琉球共和社会憲法」(1981年)が,ふたたび光を放ちつつある。
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