2014年9月23日火曜日

運動会シーズンのはじまり。組体操の10段ピラミッドに批判。はたして,どうか?

 「穂の国」の友人・柴田晴廣さんから,「ご存知と思いますが,組体操の危険性についての記事がありました」(http://www.j-cast.com/2014/09/16215983.html)とメールがありました。うかつにも,わたしはなにも知りませんでした。早速,開いてみて,二重,三重にびっくりでした。

 ひとつは,名古屋大学の内田良准教授の主張「組体操は危険だらけで,どこが<教育>なのか。即刻,止めるべきだ」というもの。
 もうひとつは,組体操のブームの火付け役でもあった「よしのよしろう」(吉野義郎)さんの理論と実践の矛盾です。つまり,理論は立派,実践はさきを急ぎすぎ。
 そして,さいごは組体操の是非をめぐる賛否両論の,不毛の議論です。

 以下は,ネット情報をサーフした結果と,わたしの体験からの意見です。

 まずは,わたしの立場について述べておきたいと思います。
 わたしは高校時代から体操競技をはじめ,大学もそういう道に進みました。そして,いまは,体操とはなにか,と問う研究者でもあります。ですから,一通り,体操(競技)の世界(歴史もふくめて)には通暁しているつもりです。組体操は,高校時代に運動会で,体操部の昼休みのアトラクションとして,みなさんに見てもらう経験もしています。

 そのために,ずいぶん工夫をし,練習したことを覚えています。指導してくれる先生はいませんでしたので,体操部の部員がみんなで考え,アイディアを出し合いながらの試行錯誤でした。それはたいへんな苦労をともなうものでした。失敗ばかりの繰り返しで,何回も何回も痛い眼に会いました。しかし,その試行錯誤の繰り返しが,部員全体がひとつになる,とてもいい経験だったといまは回想しています。

 そして,本番でも運動場にマットを敷きつめて,その上で組体操(わたしたちのころは「組立体操」と呼んでいました)を実施していました。それは「安全」の確保のためです。ずいぶん高いところから落ちてしまった場合でも,かろうじて「安全」が確保できるからです。しかし,いま,行われている組体操は,なにも敷いてありません。グランドの土の上で,そのまま実践されています。なぜ,そんなことが平気で行われているのか,わたしには大いなる疑問です。

 さて,くだんの「事故ばかり多くて,なんの利もなし。教育に値しない」と主張する内田良さんは,すでに『柔道事故』(河出書房新社刊)という著書をとおして注目を集めている新進気鋭の教育社会学者です。とくに,学校環境で起きる事故に焦点をあてて,多くの実績を残している学者さんです。一見したところ,完璧と思われる理論武装をして,警告を発しています。柔道必修化にともなう事故多発問題についての分析は,わたしも納得できる,素晴らしいものでした。きちんとした指導者を養成し,その上で柔道の必修化を進めるべきだ,という骨子の主張でした。

 そして,今回の「組体操」についても同じような主張をされています。大筋において,そのとおりなのですが,どこか釈然としません。ひとつは「組体操」を,全否定する,そのスタンスにあります。ひとくちに組体操といっても,その内容は多岐にわたります。きわめて簡単な組体操から,二人組でも難度の高い組体操もあります。人数が増えてもかんたんな組体操もあります。それらについてきちんと斟酌しているようには見受けられません。内田さんの頭の中は,たぶん,10段組みのピラミッドだけが強烈にあって,この危険性を告発すること,そのことがすべてではないかと思われます。ならば,難度の高い「10段組みのピラミッド」は危険ばかりで「なんの教育的価値もない」と,限定して批判をすべきでしょう。それを一把ひとからげにして「組体操」=危険=教育的価値なし,という単純な図式にするところに,わたしは違和感を覚えます。

 なぜなら,この手法はポピュリズムと瓜二つだからです。

 もう一点は,組体操に対する内田さんの理解がどの程度のものか,そこに疑問を感じます。もちろん,多くの取材をとおして,見た目の「組体操」については充分わかっていらっしゃると思います。が,実際に組体操を実践する生徒たちの苦労と実感,葛藤,そして,苦労の末の達成感をはじめ,それを指導する先生の苦心(事故防止のための細心の注意,など)とそれらを克服しながら生徒たちが上達していくプロセス,その手応え,などについては想像の域をでないのではないでしょうか。ですから,いともかんたんに統計的手法を用いて「数量的合理主義」の立場に立ち,事故が多い,だから排除せよ,と単純化して,平気で主張できるのではないか,と。

 つまり,「科学的合理性」に絶大なる「信」をおき,そこに大きな落とし穴があるという自覚が欠落しているのではないか,と。教育社会学が内田さんの研究の根っこにあるのですから,ぜひとも,『聖なるものの刻印──科学的合理性はなぜ盲目なのか』(ジャン=ピエール・デュピュイ著,西谷修ほか訳,以文社刊,2014年)を視野に入れて,さらに研究のレベルを高めていただきたい,そして,その上での批判を展開していただきたい,とわたしは切望します。安易なポピュリズムから脱出するためにも。

 ついでに言っておけば,フクシマの原発事故による学校環境の危険性についても,研究の幅を広げていただければ・・・・と切望します。そういう広い視野に立って,いま一度,「組体操」をめぐる諸問題について論及していただければ・・・と切望します。

 以上,内田良さんの話題に集中してしまいましたが,いずれ,よしのよしおさんの理論と実践についても,そして,賛否両論の不毛の議論についても,書いてみたいと思っています。とりあえず,今回は,ここまで。

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