2014年11月27日木曜日

「未来はここにある」。「図書新聞」のインタヴューで西谷修さん。必読。

 先々週の「週刊読書人」で西谷さんの近著『破局のプリズム──再生のヴィジョンのために』(ぷねうま舎,9月25日刊,四六判258頁・本体2500円)が書評され,ようやく西谷さんのお仕事が日の目を浴びることになったと喜んでいたところでした。すると,こんどは「図書新聞」(3184号,11月29日発行)が一面トップで西谷修さんのインタヴュー記事を掲載しました。一面から二面にわたる膨大な誌面を使っての紹介です。

 
西谷さんは,これまでも地道ながら着実にいいお仕事をされてこられました。東京外大時代には,時宜をえた話題をとりあげ,数多くのシンポジウムを開催し,そのつど,それらを単行本として上梓してこられました。しかし,どういうわけかメディアは無視しつづけてきました。ですから,某出版社の親しくしている編集者ですら,「最近,西谷さんの本がでないですね」とわたしに問いかけてきたほどです。「冗談じゃない,いっぱい本を出していますよ」とわたし。「えっ!?そうなんですか」といった塩梅でした。

 ですから,今回,こうして「週刊読書人」の書評(森元庸介)につづいて,「図書新聞」が一面トップの記事にしてくれたことを,わたしはこころから喜んでいます。なぜなら,西谷修さんほどの視野の広さをもち,しかも,問題の核心をみごとに抉りだす,たしかな思想・哲学をもった論者は稀有なことだ,と考えてきたからです。その西谷さんのお仕事をすくい上げるだけの力量を持ち合わせないメディアに,ある種の苛立ちすら覚えていたからです。

 
 が,とうとう,西谷修さんの舞台の幕開けの時代がやってきました。とはいえ,精確にいえば,こんどが二回目の幕開けというべきでしょう。一度目は,『夜の鼓動に触れる──戦争論講義』(東大出版会)が注目を浴び,『離脱と移動』『不死のワンダーランド』・・・・と話題作がつづき,いっときは大手書店には西谷修コーナーが設けられたほどでした。そうして,雑誌はもとより講演会など旺盛な言論活動が展開されました。

 こういう時代を通過したあと,西谷さんの問題関心は一気に拡大していったように思います。というか,以前から内に抱え込んできた問題関心が一気に表出しはじめた,というべきかもしれません。言い方を変えれば,それまでのフランス現代思想を起点にした思想・哲学的思考の方法論を大きく転回させ,血の流れている生身のからだを生きる人間を思考の機軸にすえる,というスタンスをとるようになった,とわたしは受け止めています。

 かくして,西谷さんの言論活動は,戦争,宗教(主としてキリスト教研究),経済,沖縄,フクシマ,経済,ドグマ人類学,アメリカ論,医療思想史,絵画,演劇,映画,舞踊,スポーツ,などなど多岐にわたって展開されることになります。そして,必要なかぎり現場に足しげく通い,それぞれのテーマの思考を深めていくという手法に磨きがかかってきます。

 そして,フクシマ(3・11)以前からアンテナを張っていた「破局論」が急展開することになります。フクシマとしっかり向き合い,現地に立ち,荒涼とした風景に接し,風を感じ,空気を吸い,みずからの生身のからだをとおして思考を深めるという手法が一段と冴え渡ってきます。そうした営為から生まれたのが近著『アフター・フクシマ・クロニクル』(ぷねうま舎,6月20日刊)であり,『破局のプリズム』(9月25日刊)である,というわけです。

 西谷さんは,こうした手法を「世俗哲学」と呼び,「チョー哲学」と名づけて,そこにユーモアの精神をも盛り込もうとしているかに見受けられます。いささか乱暴な言い方になりますが,ヨーロッパの伝統的な形而上学的思考の軛からみずからを解き放ち,血のかよう生身のからだから生みだされる思想・哲学の方に比重を移していく,そういう大きな思考実験が展開されているやにも見受けられます。

 その具体的な論考については,『破局のプリズム』の第五章 世俗哲学の方へ,に詳しく論じられていますので,そちらを参照してください。

 最後に,「図書新聞」の第二面の誌面を挙げておきましょう。

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