2014年11月1日土曜日

運動会「人間ピラミッド」の是非論をめぐって。

 運動会の人気プログラムのひとつに組体操の「人間ピラミッド」があります。途中で崩れてしまったらどうしようと,これを演ずる児童・生徒たちも,それを見守る父兄たちも真剣そのものです。長い時間をかけて練習をしているわけですが,最終的には,みんなの気持と場の力がひとつになることによって成功を収めることができます。

 運動会で「人間ピラミッド」を成功させる,というひとつの目的に向かって大勢の児童・生徒たちが一丸となることの経験は,学校教育の場面でも数少ない貴重なものではないか,とわたしは考えています。しかし,統計的に処理をしたところ事故が多すぎるとして,高さを競う人間ピラミッドには教育的な意味はなにもないと断定し,即刻,中止すべきだと主張する人もいらっしゃいます。はたして,そんな単純な理論(理屈)で,人間ピラミッドを「全否定」してしまっていいのだろうか,というのがわたしの立場です。

 ここで問題になっている「人間ピラミッド」は,わたしが経験した古典的なピラミッドではありません。世界中に,それぞれに工夫された「人間ピラミッド」がありますが,それとも違います。いま,話題になっている「人間ピラミッド」は,よしのよしろう(吉野義郎)さんの創案に成るものです。よしのさんは兵庫教育大学の大学院で「組体操」の研究に取り組み,その研究成果の一つが「人間ピラミッド」という名の,まったく新しいコンセプトによる組体操です。方法もずいぶん斬新なものです。しかし,この新しい方法の創案によって,組体操「人間ピラミッド」が生まれ変わり,より多くの児童・生徒に楽しんでもらえる教材となりました。

 そのなによりの特色は,大勢の児童・生徒が一団となって取り組むことができるという点にあります。体力のある子も,きわめて軟弱な子も,それぞれに役割分担をすることによって,全体に貢献することができます。つまり,そのポジションによってきわめて難度の高いパートと,だれでもすぐにできるパートの両方を併せ持つ組体操である,ということです。その組み合わせさえ間違わなければ,6段,7段くらいの「人間ピラミッド」は容易に組み立てることができます。ですから,児童・生徒たちにも人気があります。

 問題は,どの高さまでは安全で,それ以上は危険だ,という境界線の引き方・判断の仕方のむつかしさにあります。つまり,先生の指導力と児童・生徒の習熟度によってケース・バイ・ケースの判断をするしか方法はありません。この点さえ,間違えなければ,わたしは組体操「人間ピラミッド」は立派な運動課題であり,誇るべき教育内容である,と考えています。

 まくらの話はこの程度にして,いま話題の「人間ピラミッド」について,いつもの『ひろばユニオン』(労働者学習センター刊,11月号)に拙稿を投じましたので,ご一読いただければ幸いです。

 
 
 
 
なお,読後の感想,ご意見などお聞かせいただければ,なおいっそうありがたいと思います。
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