さいきんは腹の立つことが多すぎる。新聞を読んでも,テレビをみていても,ラジオを聞いていても,はたまた,街中を歩いていても,聞くこと見ること,ことごとく腹が立ってくる。「3・11」以後のわたしの病的症状はますます過激になってくる。困ったものだ。
二日間,ブログが書けなかったこともストレスをため込む大きな誘因となった。さて,どこから吐き出すか,さんざん迷うほど材料はありあまるほどある。これもまた困ったものだ。
で,見出しの問題にまずは眼を惹きつけられたので,ここからはじめよう。
今日の朝日の夕刊に「ことば」という小さなコラムがあって,そこに,短く,つぎのように書かれていた。短いので全文を引く。
「大量殺人犯がこの仕打ちに値しないと言うなら,頭の検査を受けるべきだ」米テレビでビンラディン容疑者殺害を語るオバマ大統領。
たった,これだけである。でも,これで十分だ。オバマ君,君も頭の検査を受けた方がいい,とわたしは応答したい。「大量殺人犯」とは,だれのことか,一度,頭を冷やして考えてみてほしい。武器もまともにない,自爆することが唯一最大の武器とする人たちと,遠隔操作でミサイルを自在に使うことができる圧倒的武力をもつ人たちと,どちらが「多くの人を殺してきたか」,考えるまでもないことだ。真の「大量殺人犯」とはだれか,のちの時代の歴史家たちが明らかにしてくれるだろう。いや,いまでも自明のことだ。
ビンラディンを「テロリスト」と名づけたのはブッシュ君だ。なにをもって「テロリスト」とするのか定義はないと聞く。だとしたら,ビンラディン君がブッシュ君を「テロリスト」と名づければ,ブッシュ君も立派な「テロリスト」となる。その後継者であるオバマ君もまた立派な「テロリスト」だ。そして,また,じつに多くの無実の人たち(一般市民のこと)を無差別に「殺して」きた。その数すら数えられないほどに。まるで,数える必要はないと言っているかのように。意味のない,まったく無意味の「死」を強いられた人たちの霊魂はどこをさまよっているのだろうか。ごくふつうの日常生活をしているところにミサイルをぶち込まれて,あっと思う間もなく死んでいった人たちのことを,オバマ君,少しでも考えたことがあるのだろうか。もし,あるとしたら,見出しのようなセリフが口からでてくることはないだろう。
わたしには情報が少ないので,間違っているかもしれない。が,伝え聞くかぎりでも,ビンラディン君を殺したやり口は,わたしの理解している「テロ」そのものだ。問答無用で殺して,「水葬」にしたという。死体がどこにあるかもわからない,らしい。こんな殺し方をよもやアメリカという大国がするとは・・・。戦後民主主義の教育で育てられたわたしたちの世代(大江健三郎君も同じ)は,アメリカといえば民主主義の理想を実現する国として教えられてきた。そのアメリカが,どこかから狂いはじめた,と疑問に思っていたが,とうとう,ここまできてしまったか,と唖然としている。
その上で,「大量殺人犯がこの仕打ちに値しないと言うなら,頭の検査を受けるべきだ」という大統領発言を知って,もはや手の打ちようがない。そういう国が,いま,世界を牛耳っているのだ。まことに困ったものだ。
アメリカが狂っているのは,じつは,いまにはじまったことではない。アメリカの建国の歴史からひもといていけば,そのことは明らかだ。ということを,わたしは昨年秋の,沖縄国際大学で行われた西谷修さんの集中講義を受講して,こころの底から納得した。このときの集中講義の内容はいずれ,単行本となって世にでるはずである。それまでお預けにしておこう。ただ,ひとことだけ言っておけば,アメリカという国は最初から,変則国家としてスタートしている。世界史のなかでも例外中の例外の国家の成り立ちなのだ。未開の土地に「旗」を立てるだけで「国家」を宣言した国だ。その結果,先住民族であるアメリカ・インディアンは「法律」という「正義」の名のもとに,すべての「土地」から追い出されてしまうことになった(『アメリカ・インディアン悲史』)。このときの経験が,いまも「正義」として継承されている。恐ろしいことだ。
ビンラディン君を育てたのはだれか。もとをたどればアメリカではないか。その育ての親のために精一杯,全身全霊をこめて戦ったのに,なんの論功行賞もえられないまま「使い捨て」にされた。その義憤がビンラディン君の根っこにある。後ろめたさのあるアメリカは,なんとしても,ビンラディン君の「口」を封じ込める必要があった。だから,問答無用で殺してしまった。やろうと思えば(今回の情況から考えて),逮捕して,国際裁判所での裁きを受けてから,しかるべき処分をする,ということができたはずである。が,その方法をアメリカは最初から考えていなかった。なにがなんでも,一刻も早くこの世からビンラディンを「消すこと」,そして,ひとことも言質(言い分)を残さないようにすることに,オバマ君は専念した。ビンラディン君がしゃべることが恐かったのである。なぜなら,ほんとうのことをしゃべるから。嘘で塗り固めて葬り去ること,そして,一刻も早く歴史から抹消すること,そのことしか考えていなかったことが,今回の経緯をみていてわかる。それほどに,アメリカはビンラディン君に怯えたのである。と,わたしは考える。
「頭の検査」を受けなくてはならない人は,オバマ君だけではない。沖縄の普天間移転問題で,余分なことを言いにきたアメリカの妙なおじさんも「頭の検査」を受けるべきだ。それに対して,なんの応答もできない日本の外務大臣もまた「頭の検査」を受けるべきだ。それより,なにより,カン君だ。一刻も早く「頭の検査」を受けて,診断書を提出して,身を引くべきだ。東電にもいる。東大にもいる。朝日にもいる。官僚にもいる。あちこち,うようよしている。いやいや,そういう人たちが主流を形成している。だから,困ってしまうのだ。
そういうお前も,早く「頭の検査」を受けた方がいい,とどこかから聞こえてくる。でも,わたしの害悪はせいぜい,このブログを書くことであり,それを読む人たちだけに限定されている。しかも,読む人は自由だ。いやなら,読まなければいい。それだけのこと。罪はない。しかも,わたしは大まじめにこれを書いている。ただ,それだけのこと。
大相撲の八百長も同じだ。八百長をやりたければやればいい。その結果は,ファンが決めることだ。やりすぎれば,ファンがいなくなるだけのこと。なんの罪もない。刑法上の罪もない。それをどうだ。大山鳴動してねずみ一匹。怯えているのは日本相撲協会の幹部(患部)のみ。
ああ,久しぶりに爆発してしまった。富士山も近いうちに爆発するのではないか,とそんな予感がする。これまた,困ったものだ。
みなさん,「頭の検査」は大丈夫でしょうか。お互いに気をつけましょう。
まずは,わが身から。
二日間,ブログが書けなかったこともストレスをため込む大きな誘因となった。さて,どこから吐き出すか,さんざん迷うほど材料はありあまるほどある。これもまた困ったものだ。
で,見出しの問題にまずは眼を惹きつけられたので,ここからはじめよう。
今日の朝日の夕刊に「ことば」という小さなコラムがあって,そこに,短く,つぎのように書かれていた。短いので全文を引く。
「大量殺人犯がこの仕打ちに値しないと言うなら,頭の検査を受けるべきだ」米テレビでビンラディン容疑者殺害を語るオバマ大統領。
たった,これだけである。でも,これで十分だ。オバマ君,君も頭の検査を受けた方がいい,とわたしは応答したい。「大量殺人犯」とは,だれのことか,一度,頭を冷やして考えてみてほしい。武器もまともにない,自爆することが唯一最大の武器とする人たちと,遠隔操作でミサイルを自在に使うことができる圧倒的武力をもつ人たちと,どちらが「多くの人を殺してきたか」,考えるまでもないことだ。真の「大量殺人犯」とはだれか,のちの時代の歴史家たちが明らかにしてくれるだろう。いや,いまでも自明のことだ。
ビンラディンを「テロリスト」と名づけたのはブッシュ君だ。なにをもって「テロリスト」とするのか定義はないと聞く。だとしたら,ビンラディン君がブッシュ君を「テロリスト」と名づければ,ブッシュ君も立派な「テロリスト」となる。その後継者であるオバマ君もまた立派な「テロリスト」だ。そして,また,じつに多くの無実の人たち(一般市民のこと)を無差別に「殺して」きた。その数すら数えられないほどに。まるで,数える必要はないと言っているかのように。意味のない,まったく無意味の「死」を強いられた人たちの霊魂はどこをさまよっているのだろうか。ごくふつうの日常生活をしているところにミサイルをぶち込まれて,あっと思う間もなく死んでいった人たちのことを,オバマ君,少しでも考えたことがあるのだろうか。もし,あるとしたら,見出しのようなセリフが口からでてくることはないだろう。
わたしには情報が少ないので,間違っているかもしれない。が,伝え聞くかぎりでも,ビンラディン君を殺したやり口は,わたしの理解している「テロ」そのものだ。問答無用で殺して,「水葬」にしたという。死体がどこにあるかもわからない,らしい。こんな殺し方をよもやアメリカという大国がするとは・・・。戦後民主主義の教育で育てられたわたしたちの世代(大江健三郎君も同じ)は,アメリカといえば民主主義の理想を実現する国として教えられてきた。そのアメリカが,どこかから狂いはじめた,と疑問に思っていたが,とうとう,ここまできてしまったか,と唖然としている。
その上で,「大量殺人犯がこの仕打ちに値しないと言うなら,頭の検査を受けるべきだ」という大統領発言を知って,もはや手の打ちようがない。そういう国が,いま,世界を牛耳っているのだ。まことに困ったものだ。
アメリカが狂っているのは,じつは,いまにはじまったことではない。アメリカの建国の歴史からひもといていけば,そのことは明らかだ。ということを,わたしは昨年秋の,沖縄国際大学で行われた西谷修さんの集中講義を受講して,こころの底から納得した。このときの集中講義の内容はいずれ,単行本となって世にでるはずである。それまでお預けにしておこう。ただ,ひとことだけ言っておけば,アメリカという国は最初から,変則国家としてスタートしている。世界史のなかでも例外中の例外の国家の成り立ちなのだ。未開の土地に「旗」を立てるだけで「国家」を宣言した国だ。その結果,先住民族であるアメリカ・インディアンは「法律」という「正義」の名のもとに,すべての「土地」から追い出されてしまうことになった(『アメリカ・インディアン悲史』)。このときの経験が,いまも「正義」として継承されている。恐ろしいことだ。
ビンラディン君を育てたのはだれか。もとをたどればアメリカではないか。その育ての親のために精一杯,全身全霊をこめて戦ったのに,なんの論功行賞もえられないまま「使い捨て」にされた。その義憤がビンラディン君の根っこにある。後ろめたさのあるアメリカは,なんとしても,ビンラディン君の「口」を封じ込める必要があった。だから,問答無用で殺してしまった。やろうと思えば(今回の情況から考えて),逮捕して,国際裁判所での裁きを受けてから,しかるべき処分をする,ということができたはずである。が,その方法をアメリカは最初から考えていなかった。なにがなんでも,一刻も早くこの世からビンラディンを「消すこと」,そして,ひとことも言質(言い分)を残さないようにすることに,オバマ君は専念した。ビンラディン君がしゃべることが恐かったのである。なぜなら,ほんとうのことをしゃべるから。嘘で塗り固めて葬り去ること,そして,一刻も早く歴史から抹消すること,そのことしか考えていなかったことが,今回の経緯をみていてわかる。それほどに,アメリカはビンラディン君に怯えたのである。と,わたしは考える。
「頭の検査」を受けなくてはならない人は,オバマ君だけではない。沖縄の普天間移転問題で,余分なことを言いにきたアメリカの妙なおじさんも「頭の検査」を受けるべきだ。それに対して,なんの応答もできない日本の外務大臣もまた「頭の検査」を受けるべきだ。それより,なにより,カン君だ。一刻も早く「頭の検査」を受けて,診断書を提出して,身を引くべきだ。東電にもいる。東大にもいる。朝日にもいる。官僚にもいる。あちこち,うようよしている。いやいや,そういう人たちが主流を形成している。だから,困ってしまうのだ。
そういうお前も,早く「頭の検査」を受けた方がいい,とどこかから聞こえてくる。でも,わたしの害悪はせいぜい,このブログを書くことであり,それを読む人たちだけに限定されている。しかも,読む人は自由だ。いやなら,読まなければいい。それだけのこと。罪はない。しかも,わたしは大まじめにこれを書いている。ただ,それだけのこと。
大相撲の八百長も同じだ。八百長をやりたければやればいい。その結果は,ファンが決めることだ。やりすぎれば,ファンがいなくなるだけのこと。なんの罪もない。刑法上の罪もない。それをどうだ。大山鳴動してねずみ一匹。怯えているのは日本相撲協会の幹部(患部)のみ。
ああ,久しぶりに爆発してしまった。富士山も近いうちに爆発するのではないか,とそんな予感がする。これまた,困ったものだ。
みなさん,「頭の検査」は大丈夫でしょうか。お互いに気をつけましょう。
まずは,わが身から。
1 件のコメント:
「遺体」に対して恥辱をもって行なえば、更なる恥辱を持って報復されてもオバマは文句を言えないきっかけを与えてしまった。
「遺体」は、ゴミのように海に捨ててはいけない。アメリカ、世界の子供たちに最悪のメッセージを遺した。
アメリカの大統領の一番してはいけないことをした。人間の最も最悪の部分を公の場で曝け出してしまった。
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