2013年3月22日金曜日

「ひずるしいのん」「春だのん」。さくらの「陽光」が満開だぞん。

  わたしの出身地の愛知県豊橋市では,太陽の光が強くなってくる春の挨拶ことばが「ひずるしいのん」,あるいは「ひずるしくなってきたのん」でした。「ひずるしいのん」と挨拶されたら,「春だのん」と応ずる。村人同士はこれでお互いの気持ちが通い合う。なんとものどかな,幼少年時代を過ごした故郷の光景が思い浮かんできます。

 「ひずるしい」は「まぶしい」の三河地方の方言です。もっと精確にいえば,東三河地方の方言です。そして,「ひずるしい」と「まぶしい」はかならずしもイコールにはなりません。標準語の「まぶしい」の使用範囲はかなり広いと思いますが,「ひずるしい」は太陽限定です。それ以外のときの「まぶしい」には使いません。「のん」もまた東三河地方独特の語尾で,「ですね」に相当しますが,わたしには単なる確認の語尾ではなくて,もっともっと暖かい話者の感情が伝わってきます。

 嫁入りの日に娘さんが実家を出ていくときには,近所の人たちがみんなで見送ります。そのときに聞こえてくることばが「けっこいのん」です。「きれいだね」に相当しますが,とてもとても「きれいだね」では納まらない情感がこの「けっこいのん」には籠められています。隣の,よその娘を褒めているのではなくて,まるでわがごとのように嬉しいという気持ちが伝わってきます。自他の区別がかぎりなく薄くなっている,濃密な人間関係の表出といえばいいでしょうか。

 今日(22日)は朝から晴れ上がり,溝の口をでるときに太陽の日差しが強くなってきたなぁ,と思いました。が,鷺沼の駅を降りて改札口をでたとたんに,わたしの口をついてでたことばが「ひずるしいっ!」でした。久しく使ったことのないことばが,無意識のなかから,思いがけず飛びだしたという次第です。ああ,純粋経験だ,とひとりで「ニヤリ」。

 溝の口から電車で7分(急行だと4分),西に移動しただけなのに,鷺沼は「ひずるしい」ほどの太陽が輝いていました。いつもの高台にやってきたときに東の高層ビルの方向を眺めてみると,どんよりと黄砂がかかったような春霞です。東京タワーもスカイ・ツリーもほとんど見えません。振り返って,西の空をみやると,こちらは真っ青な空が広がっています。その境界線が,どうやら多摩川らしくて,溝の口はその多摩川沿いにありますので,どちらかといえば東京の空。鷺沼は東京圏の外の空。

 いつもの植木屋さん(大久保庭園)のところにさしかかって,庭の奥の方をみやると,まだ若木のさくらが満開になっていました。数日前にご主人に教えてもらった「陽光」という種類のさくらです。ピンクの色が鮮やかな,きれいなさくらです。まだ,若木なので,そこはかとなく勢いを感じます。それにしても,みごとな咲きッぷりです。そして,その名前がいい。「陽光」。まさに,今日のこの太陽の光りそのもの。「ひずるしい」。そして,カメラを出してパチリ。


東三河地方の方言には,語源の不明なものがいくつもあります。ですから,ことばの意味を超えて,独特の音のひびきの心地よさが深くこころの隅々まで行き渡ります。それがまた,なんともいえない情感を呼び起こすようです。

 このことと関係するのかどうかわたしにはよくわかりませんが,なんとなく予感のようなものがあります。三河の国の一宮は砥鹿神社。ここの祭神は,なんと「大己貴命(オオナムチノミコト)」。すなわち,「大国主命」。なんと「穂の国」,東三河は出雲族が多く住んでいたところらしい,というわけです。

 あわてて,このあたりの地図を調べてみたら,なんと出雲系の神さまを祀る神社があちこちに遍在しています。なかには,野見神社まであり,これはいよいよもってフィールド・ワークにでかけなくてはいけない,と思っているところです。そういえば,この地方も相撲が盛んなところでした。最近はどうか知りませんが,わたしの子どものころには神社に土俵があって,お祭りのときには子ども相撲が奉納されました。わたしの育った村のとなりの村からは幕内力士も誕生し,つい,この間まで活躍していました。

 三河の国の一宮・砥鹿神社は,この地域では一番高い山・本宮山をご神体としています。小学校の遠足でこの山に登ったことがあります。この山の頂上の手前のピークに奥宮があり,そこには大きな岩があって,これが磐座。神さまの降り立つところ。その裏側を少し下っていくと,水が流れでている「蛇口」。磐座と蛇口は,パワー・スポットの必須要件(植島啓司)。磐座信仰こそ出雲系の神社の基本要件(村井康彦)。奈良の三輪山をご神体とする大神神社の祭神は大国主命。

 「ひずるしいのん」「けっこいのん」などの方言のひびきを思い浮かべている間に,妄想ははてしなく広がっていきます。

 かつての朝鮮通信使は,いろいろの地方で熱烈に歓迎されたという伝承がありますが,この地方もまた例外ではなかったようです。その朝鮮通信使が行ったパフォーマンスを継承したのではないかしたといわれる,この地方に独特の「笹踊り」という民俗芸能が伝承されています。わたしの育った村でもお祭りのときには村の各字を踊りながらまわっていきました。わたしの住んでいた寺の前では,かならず「笹踊り」が行われることになっていましたので,多くの人が集まってきました。わたしは居ながらにして,毎年,それを眺めていました。いつか,大きくなったら,あれを踊るんだ,とこころに決めていました。

 わたしの予感では,この「笹踊り」と方言は無縁ではない,と思っています。そして,その出自は出雲族との関係のなかに求めることができる・・・・とまあ,そんな春の夢をみているという次第です。

 これもまた,パスカルのいう<気晴らし>のひとつ。不幸にならない程度の<気晴らし>にとどめおきたいと思います。

 「ひずるしくなってきたのん」「春だぁ~のん」。


3 件のコメント:

柴田晴廣 さんのコメント...

 大村の「笹踊」、見に行くつもりです。
 大村のお祭りは、たぶん明日ですね。
 4月に入れば、6・7が牛久保、翌週が小坂井、大木、千両(ちぎり)、その翌週が伊奈と上長山(若宮)で笹踊が奉納されます。

柴田晴廣 さんのコメント...

 書き忘れました。
 来月の7日は、牛久保だけでなく、上長山の素盞嗚神社でも笹踊が奉納されます。

柴田晴廣 さんのコメント...

 大村のお祭りは来週だったようです。