10日間,留守にするとこういうことになる,としみじみ反省。山のような郵便物と,毎日,こんなに多くのメールの交換をしていたのかとびっくりするほどのメールの山。
こうしてみると,わたしのブログやHPをみていてくださる方はごくわずかだ,ということがよくわかる。わたしが10日間ほど留守にするとブログで書いておいたので,それを読んだ人は,きちんと21日にメールをくれている。こんなことをとおして意外な事実がわかってくる。人間というものはいろいろの顔をしていて,だから,面白いのだとしみじみおもう。
まだ,少し残っているが,急ぎのところはほぼ終わった。那覇のホテルにまで,ゲラの校正がFAXで送られてきて,大急ぎで送り返してやれやれと思っていたら,鷺沼の事務所にも雑誌原稿のゲラがとどいていた。こちらはかろうじて締め切りに間に合い,ホッ。と,おもったのも束の間,こんどは24日締め切りの原稿があったことを思い出し,あわててその準備にとりかかる。あと一日でなんとか仕上げなくてはならない。こうなったら,火事場の馬鹿力に頼るしかない。南無大明神。
さらには,研究所の紀要『IPHIGENEIA』の校正ゲラがもどりはじめているので,そろそろ目次をつくったり,あとがきを書いたり,という編集の最終段階の仕事も待っている。あれこれ考えていたら,自分の原稿がひとつもないことに気づく。これはまずい。なんとかしてひねり出さなくては・・・と思案投首。こちらもまた,南無大明神。
こんな風に追い立てられながらも,刻々と近づいてくる「大相撲問題」についての「鼎談」が気がかり。ほとんどなにも準備ができていない。少なくとも,新田一郎さんの『相撲の歴史』と風見明さんの『相撲,国技となる』と,できれば,舟橋聖一の『相撲記』くらいは眼をとおしておきたいところ。そうして,大相撲を改革するとはどういうことなのか,という根源的な問いにある程度の問題提起ができるようにしておきたい。こちらも,ほとんど不可能に近い。でも,可能なかぎりの準備はしておかなくてはならない。鼎談のメンバーを考えたら・・・・足が震えだす・・・・。南無大明神。
そのうちに,神戸市外国語大学の集中講義のレポートが送られてくるはず。こちらも10月上旬には成績をつけて送らねばならない。いいレポートは読んでいて楽しいが,そうでないものは読んでいて辛い。これはとても疲れることなのだ。どうか,読んで楽しくなるようないいレポートがとどくことを祈るのみ。南無大明神。
まだまだ,この他にも,ここには書けないごく個人的な雑用もある。これが結構やっかいものだ。でも,浮世をわたるためには必要不可欠のことばかり。えーいッ,こうなったら居直るしか方法はない。矢でも鉄砲でも飛んでこいッ,てなもんだ。思いっきり居直って楽しんでやろう。そのくらいの気構えでないとやってはいかれない。
やはり,10日間のツケは大きい。
このブログは23日分のつもりで書いていましたが,タッチの差で24日になっていました。たった,3分の差で翌日というわけ。できるだけ毎日書くという原則を守ろうと努力していたので,残念。これからは,その日のうちに途中でもアップしておいて,あとで追加記入という方法を多用することになりそう・・・・。
2 件のコメント:
10日間の旅だけでもお忙しかったのに、帰ってきてからの仕事の山。これを「火事場の馬鹿力」などとおっしゃりながら次々とこなされるお姿に、今更ながら先生のパワーを感じます。そのおこぼれをいただいて、私もがんばろ~っ!
応答が遅くなってしまいました。コメントを確認することを忘れていました。以後,気をつけます。まあ,これまでも,いつも「火事場の馬鹿力」で乗り切ってきましたので,これが日常となっているのかも・・・・。でも,これは恥ずかしいこと。本当は,余裕しゃくしゃくで,鼻唄でも歌いながら仕事ができれば・・・と夢見ています。
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