しばらく前に,「サマー・タイムの導入を検討中」と某大臣が発言したが,その後,その声が聴こえなくなってしまった。どこかから圧力がかかったのだろう,と勘繰っている。もっと,勘繰っておくと,その圧力をかけたのはトウデンではないかな・・・・・・・?,と。
昨日のブログの「節電のすすめ」との関連で,わたしは「サマー・タイムを導入しよう」と呼びかけたい。いろいろ議論があるところではあるが,なによりも,まずは「節電」のために。
わたしの子どものころ,すなわち,敗戦直後の数年間,わが日本にも「サマー・タイム」が導入されたことがある(社会党が政権をとったときだったと記憶する。首相は片山哲。この年に生まれたわたしの弟はこの「哲」の一字をいただいて名づけられた)。わたしたち子どもは「サンマー・タイム」と呼びならわしていた。物質的にはなにもない時代で,まことに貧しいかぎりだったが,時間的には,夜遅くまで遊べて,まるで天国のようだった。
当時の子どもたちにとっての遊びは,なにがなんでも「野球」だった。「六三制,野球ばかりがうまくなり」という川柳が残っているくらいだ。田舎のことだったので,あちこちに空き地があった。いよいよになれば,神社の境内があった。そこも大きい子どもたちに占領されてしまうと,仕方がないので,わたしの寺の庭が野球場になった。猫の額ほどしかない本堂の前の広場でも,いろいろとルールを工夫して,野球を楽しむことができた。
ボールが見にくいなぁ,と思うと午後9時くらいになっていたように記憶する。腹ぺこだったが野球には代えられなかった。疲れ切ったところで夕食をとるから,すぐに眠くなる。夜,起きていた記憶がまるでない。すぐに,寝てしまったのだろう。その代わり,寺は早起きだ。父の毎朝の勤行と同時に起床して,寺の掃除とその他の作務がある。毎朝,朝飯前の仕事だった。それをしないと朝御飯が食べさせてもらえない。だから,必死で起きて,作務衣を着て・・・と毎朝の,寺の息子としての勤行があった。それを済ませたら,大急ぎで食事をして学校に走った。
考えてみると,夜,灯をつけて起きていた時間はほんのわずかなものでしかない。大人だって同じだ。子どもたちよりは多少,遅くまで起きていたとしても,翌日のことを考えれば,夜の時間は短かった。敗戦直後の電力事情もまだよくなっていない時代にあっては,すばらしい「節電」対策であったはずである。
そんなことを思い出しながら,「サマー・タイムを導入しよう」と提案する次第。
もう一つの「サマー・タイム」の記憶。
2003年の夏を,わたしたち家族はドイツのケルンで過ごした。かなり大きな庭付きの家の二階を借りて住んだ(一階は大家さんが住む。玄関は共用。でも,そのさきにもう一つドアがあって,この鍵は別べつ)。ケルンは緯度の関係で日没が遅い。4月1日からサマー・タイムに入るのだが,日毎に夜が遅くなっていくのが面白くて,夕食のあと,毎日のように散策にでた。暗くなったら家に帰るという原則を立てて。いまでも,はっきりと記憶しているが,太陽が沈んだあとの空が半分ほど鮮やかな青色を残していて,それを写真に撮ったことがある。時刻はなんと午後10時30分。眼で見えている以上に,デジカメは明るく暮れなずむ空を写すことができる,ということをそのときに知った。夜の12時には遅くとも眠ることにしていたので,夜の電気はほとんど消費していなかったことになる。
そして,なによりも感動的に記憶していることは,以下のようなことがらである。
夕食後の時間がたっぷりとあるので,じつに多くの人たちが散策にでてくるということだ。昼間の時間帯よりも,屋外にでている人の数は,夕食後の方が圧倒的に多い。ケルンには大きな森も公園もたっぷりあるのだが,どこに行っても大勢の人で賑わっている。そして,驚いたことに,森の中を上半身裸になってジョギングしている人が多いことだ。子どもたちは,公園の原っぱでサッカーに興じていたり,自転車(これが意外に多かった)で猛スピードで走っていたり,・・・。若い男女もいれば,老人グループもいる。屋台もあちこちにでているので,大人たちはビールを片手に,輪になってなにやら激論を交わしている。ドイツの友人に訊いてみたら,政治や経済の議論が好きな人たちだろう,とのこと。こういうところでも「街場」の意見交換がなされているのである。これがみんな夕食後の街場の風景なのだ。
サッカーのビッグ・ゲームなども,明るいうちに試合は終了する。もちろん,ナイターの施設も設えられてはいるのだが,それらも真夏の間は不要である。みごとな節電効果というべきだろう。
ちなみに,ドイツは,今回の福島原発の問題が発生してのち,すぐにすべての原発を停止させた。そして,節電を呼びかけているという。そして,みんなが必死になって節電に協力している,とドイツの友人からメールがあった。こんご,ドイツは,風力発電に力を入れていくことだろう,とも書いてあった。太陽が冬の間はほとんど顔を見せなくなってしまうドイツでは仕方のないことでもある。わたしが住んでいた2003年にも,旅行をすると,あちこちに風力発電の施設が眼についた。大きなプロペラのついた風車が立っているのですぐにわかる。
それにくらべたら,日本は冬でも太陽は燦々と輝く(日本海側を除けば)。この太陽熱と風力との両方が利用できる日本の自然環境を生かせば,原発は要らない。
サマー・タイムを導入しよう。そして,この夏を乗り切ろう。
その上で,つぎなる方策を考えよう。みんなで智慧を出し合う絶好のチャンスなのだから。
昨日のブログの「節電のすすめ」との関連で,わたしは「サマー・タイムを導入しよう」と呼びかけたい。いろいろ議論があるところではあるが,なによりも,まずは「節電」のために。
わたしの子どものころ,すなわち,敗戦直後の数年間,わが日本にも「サマー・タイム」が導入されたことがある(社会党が政権をとったときだったと記憶する。首相は片山哲。この年に生まれたわたしの弟はこの「哲」の一字をいただいて名づけられた)。わたしたち子どもは「サンマー・タイム」と呼びならわしていた。物質的にはなにもない時代で,まことに貧しいかぎりだったが,時間的には,夜遅くまで遊べて,まるで天国のようだった。
当時の子どもたちにとっての遊びは,なにがなんでも「野球」だった。「六三制,野球ばかりがうまくなり」という川柳が残っているくらいだ。田舎のことだったので,あちこちに空き地があった。いよいよになれば,神社の境内があった。そこも大きい子どもたちに占領されてしまうと,仕方がないので,わたしの寺の庭が野球場になった。猫の額ほどしかない本堂の前の広場でも,いろいろとルールを工夫して,野球を楽しむことができた。
ボールが見にくいなぁ,と思うと午後9時くらいになっていたように記憶する。腹ぺこだったが野球には代えられなかった。疲れ切ったところで夕食をとるから,すぐに眠くなる。夜,起きていた記憶がまるでない。すぐに,寝てしまったのだろう。その代わり,寺は早起きだ。父の毎朝の勤行と同時に起床して,寺の掃除とその他の作務がある。毎朝,朝飯前の仕事だった。それをしないと朝御飯が食べさせてもらえない。だから,必死で起きて,作務衣を着て・・・と毎朝の,寺の息子としての勤行があった。それを済ませたら,大急ぎで食事をして学校に走った。
考えてみると,夜,灯をつけて起きていた時間はほんのわずかなものでしかない。大人だって同じだ。子どもたちよりは多少,遅くまで起きていたとしても,翌日のことを考えれば,夜の時間は短かった。敗戦直後の電力事情もまだよくなっていない時代にあっては,すばらしい「節電」対策であったはずである。
そんなことを思い出しながら,「サマー・タイムを導入しよう」と提案する次第。
もう一つの「サマー・タイム」の記憶。
2003年の夏を,わたしたち家族はドイツのケルンで過ごした。かなり大きな庭付きの家の二階を借りて住んだ(一階は大家さんが住む。玄関は共用。でも,そのさきにもう一つドアがあって,この鍵は別べつ)。ケルンは緯度の関係で日没が遅い。4月1日からサマー・タイムに入るのだが,日毎に夜が遅くなっていくのが面白くて,夕食のあと,毎日のように散策にでた。暗くなったら家に帰るという原則を立てて。いまでも,はっきりと記憶しているが,太陽が沈んだあとの空が半分ほど鮮やかな青色を残していて,それを写真に撮ったことがある。時刻はなんと午後10時30分。眼で見えている以上に,デジカメは明るく暮れなずむ空を写すことができる,ということをそのときに知った。夜の12時には遅くとも眠ることにしていたので,夜の電気はほとんど消費していなかったことになる。
そして,なによりも感動的に記憶していることは,以下のようなことがらである。
夕食後の時間がたっぷりとあるので,じつに多くの人たちが散策にでてくるということだ。昼間の時間帯よりも,屋外にでている人の数は,夕食後の方が圧倒的に多い。ケルンには大きな森も公園もたっぷりあるのだが,どこに行っても大勢の人で賑わっている。そして,驚いたことに,森の中を上半身裸になってジョギングしている人が多いことだ。子どもたちは,公園の原っぱでサッカーに興じていたり,自転車(これが意外に多かった)で猛スピードで走っていたり,・・・。若い男女もいれば,老人グループもいる。屋台もあちこちにでているので,大人たちはビールを片手に,輪になってなにやら激論を交わしている。ドイツの友人に訊いてみたら,政治や経済の議論が好きな人たちだろう,とのこと。こういうところでも「街場」の意見交換がなされているのである。これがみんな夕食後の街場の風景なのだ。
サッカーのビッグ・ゲームなども,明るいうちに試合は終了する。もちろん,ナイターの施設も設えられてはいるのだが,それらも真夏の間は不要である。みごとな節電効果というべきだろう。
ちなみに,ドイツは,今回の福島原発の問題が発生してのち,すぐにすべての原発を停止させた。そして,節電を呼びかけているという。そして,みんなが必死になって節電に協力している,とドイツの友人からメールがあった。こんご,ドイツは,風力発電に力を入れていくことだろう,とも書いてあった。太陽が冬の間はほとんど顔を見せなくなってしまうドイツでは仕方のないことでもある。わたしが住んでいた2003年にも,旅行をすると,あちこちに風力発電の施設が眼についた。大きなプロペラのついた風車が立っているのですぐにわかる。
それにくらべたら,日本は冬でも太陽は燦々と輝く(日本海側を除けば)。この太陽熱と風力との両方が利用できる日本の自然環境を生かせば,原発は要らない。
サマー・タイムを導入しよう。そして,この夏を乗り切ろう。
その上で,つぎなる方策を考えよう。みんなで智慧を出し合う絶好のチャンスなのだから。
1 件のコメント:
いつもブログを拝読しております。
稲垣先生のご意見に賛成します。この災害を「前向きに」受け止めるただ一つのあり方は、「電力依存」「原発依存」の現状を別の方向に転換してゆくことしかないと感じています。
「節電」「自然エネルギー」という二本柱を軸に脱原発を展開してゆく方向を探るべきでしょう。実際ISEP(環境エネルギー政策研究所)からそのような方向性への政策転換を図る報告書がすでに作成されているようです。それどころか現行の計画停電すら必要ない――ことによると、西谷先生がブログでご指摘なさっているように、東電の「脅し」なのか――という指摘すらあります。http://www.isep.or.jp/images/press/ISEP_Strategy110323.pdf
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