これは書かないことにしようと思っていたが,やはり,どうしても抑えがたい思いがふつふつと湧いてきて,もはや,抑えようがないので書くことにした。
東浩紀さん,あなたともあろう人が,「恥ずかしい,あまりに恥ずかしい」。「いい加減な,あまりにいい加減な」。「優柔不断な,あまりに優柔不断な」。「無責任な,あまりに無責任な」・・・・・。さしもの郵便屋さんもどこに配達したらいいかわからなくなってしまうような,「あまりに郵便的な」東浩紀さん。
わたしのような「遅れてやってきた青年」にも,ようやくあなたの正体がみえてきました。
あなたは,某月某日の某新聞に,「わたしは脱原発派でもないし,原発推進派でもない」と堂々と,公明正大に宣言されました。立派です。臆せず,ご自分の信念を明らかにされたのですから。その姿勢たるや,じつに立派。でも,その内容たるやまことにお粗末。
4月も終わりになって,いまもなお「脱原発派でもない,原発推進派でもない」と臆面もなく表明されるあなたのお考えに,わたしはあきれ返ってしまいました。この期に及んで?!もはや,そんな悠長なことを言っていられるときではないことぐらい,賢明なあなたのことだから,十分すぎるほどわかっていらっしゃるはずだ。にもかかわらず,「泰然自若」というべきか,「春風駘蕩」というべきか,どこか世間離れした現実認識にわたしはびっくり仰天してしまいます。
ジャック・デリダが生きていたら,なんと言ったかはだれにもわかること。ひょっとしたら,天国からデリダが降りてきて「君,君,いったいどうしたというんだ」と声をかけるかもしれない。もちろん,「階層秩序的二項対立」でものごとを裁けとは言わないでしょう。がたらといって,この国家存亡の非常時という喫緊の課題が山積する事態に対して「どちらでもない」というスタンスはいったいなにを意味しているのでしょうか。それでは,まるで,カン君の責任逃れと同じです。
そのカン君だって,かつては全共闘世代の一員として権力に立ち向かい,立派に「闘った」東工大の学生さんでした。いくら,いまは,東工大にお勤めとはいえ,一世代も二世代もカン君よりは若いあなたが,同じような優柔不断の姿勢をとるとは・・・・。もっとも,あなたのその姿勢こそが,あなたの世代とそれにつづく世代の人たちが「安易に共有」する考え方であることも,わたしなりに理解しているつもりです。しかし,東さん。気をたしかにもって,もう一度,よく考えてみてください。あなたがそんな体たらくでは,若者は育ちません。「ああ,中立でいいんだ」と安易な道を選ぶでしょう。そこにはなんの「決断」も必要がないからです。それでは,若者は育ちません。若者が育つのは,あえて「エッジ」に立たせることによってです。あえて,全体重をかける「判断」を迫ることによってです。
あなたは評論家ではあっても,批評家ではないですね。この違い,わかりますよね。評論家は,たんなるコメンテーターです。適当なことを言ってお茶をにごしておけばそれでいいのです。やすっぽい相撲評論家ですら,アナウンサーに「さて,この一番,どちらが勝つでしょうか」と投げかけられたとき,平然と「そりゃあ,強い方が勝つでしょうね」と大まじめに答えます。あなたは,「わたしは,東方の味方でも,西方の味方でもありません」と言っているようなものです。それはみせかけのヒューマニズムでお茶をにごしているだけの話です。なんの問題解決にもなりません。その意志さえ示そうとしないのですから・・・・。
どこかの宇宙衛生から相撲中継をしているような,そんな冷静な,どこか人間性に距離をおいた「冷たい」隔たりが,あなたの姿勢には感じられます。そして,汗をかくこともなく,手を汚すこともなく,完全に衛生管理された清潔な部屋から一歩も外にはでようともしないで,コメントだけを発する。あまりに郵便的に。
そうではないでしょう。いまこそ,からだの痛みを分かち合いながら,熱く激論を闘わすときでしょう。わたしはどちらでもありません,では議論にもなりません。やはり,ここは,同じ土俵に下りてきて,ガチンコの議論をすべきではないでしょうか。まずは,相撲をとりましょうよ。高見の見物みたいなことを言ってないで。
かつての熱き全共闘の闘士たちは,「どちらでもない」人間を「日和見主義者」といって,きびしく糾弾したものです。どっちか態度をはっきりさせよ,と。でも,あの時代といまとではまるで世界が違います。ましてや,今回はみんなが恐れていた緊急事態の発生です。そんなときに「どちらでもない」などと悠長なことを言っていられる神経が,わたしには理解できない。東さん,あなたのことですから,いずれ,どこかであなたの真意を明らかにしてくれることでしょう。そのときの言説をとくと拝見したいと思います。
しかし,現時点では,大いに失望したというか,あきれたというか,情けないというか,どうにも収まらない気持ちでいっぱいです。だから,その気持ちをとうとう吐き出すしかなかったのです。こうして,書いたあとも後味が悪い,なんとも「悲しい」気分です。そんなあなたがマスコミに持て囃されることが・・・・・。やはり,現代日本の社会はどこか「病んでいる」・・・・・?
東浩紀さん,あなたともあろう人が,「恥ずかしい,あまりに恥ずかしい」。「いい加減な,あまりにいい加減な」。「優柔不断な,あまりに優柔不断な」。「無責任な,あまりに無責任な」・・・・・。さしもの郵便屋さんもどこに配達したらいいかわからなくなってしまうような,「あまりに郵便的な」東浩紀さん。
わたしのような「遅れてやってきた青年」にも,ようやくあなたの正体がみえてきました。
あなたは,某月某日の某新聞に,「わたしは脱原発派でもないし,原発推進派でもない」と堂々と,公明正大に宣言されました。立派です。臆せず,ご自分の信念を明らかにされたのですから。その姿勢たるや,じつに立派。でも,その内容たるやまことにお粗末。
4月も終わりになって,いまもなお「脱原発派でもない,原発推進派でもない」と臆面もなく表明されるあなたのお考えに,わたしはあきれ返ってしまいました。この期に及んで?!もはや,そんな悠長なことを言っていられるときではないことぐらい,賢明なあなたのことだから,十分すぎるほどわかっていらっしゃるはずだ。にもかかわらず,「泰然自若」というべきか,「春風駘蕩」というべきか,どこか世間離れした現実認識にわたしはびっくり仰天してしまいます。
ジャック・デリダが生きていたら,なんと言ったかはだれにもわかること。ひょっとしたら,天国からデリダが降りてきて「君,君,いったいどうしたというんだ」と声をかけるかもしれない。もちろん,「階層秩序的二項対立」でものごとを裁けとは言わないでしょう。がたらといって,この国家存亡の非常時という喫緊の課題が山積する事態に対して「どちらでもない」というスタンスはいったいなにを意味しているのでしょうか。それでは,まるで,カン君の責任逃れと同じです。
そのカン君だって,かつては全共闘世代の一員として権力に立ち向かい,立派に「闘った」東工大の学生さんでした。いくら,いまは,東工大にお勤めとはいえ,一世代も二世代もカン君よりは若いあなたが,同じような優柔不断の姿勢をとるとは・・・・。もっとも,あなたのその姿勢こそが,あなたの世代とそれにつづく世代の人たちが「安易に共有」する考え方であることも,わたしなりに理解しているつもりです。しかし,東さん。気をたしかにもって,もう一度,よく考えてみてください。あなたがそんな体たらくでは,若者は育ちません。「ああ,中立でいいんだ」と安易な道を選ぶでしょう。そこにはなんの「決断」も必要がないからです。それでは,若者は育ちません。若者が育つのは,あえて「エッジ」に立たせることによってです。あえて,全体重をかける「判断」を迫ることによってです。
あなたは評論家ではあっても,批評家ではないですね。この違い,わかりますよね。評論家は,たんなるコメンテーターです。適当なことを言ってお茶をにごしておけばそれでいいのです。やすっぽい相撲評論家ですら,アナウンサーに「さて,この一番,どちらが勝つでしょうか」と投げかけられたとき,平然と「そりゃあ,強い方が勝つでしょうね」と大まじめに答えます。あなたは,「わたしは,東方の味方でも,西方の味方でもありません」と言っているようなものです。それはみせかけのヒューマニズムでお茶をにごしているだけの話です。なんの問題解決にもなりません。その意志さえ示そうとしないのですから・・・・。
どこかの宇宙衛生から相撲中継をしているような,そんな冷静な,どこか人間性に距離をおいた「冷たい」隔たりが,あなたの姿勢には感じられます。そして,汗をかくこともなく,手を汚すこともなく,完全に衛生管理された清潔な部屋から一歩も外にはでようともしないで,コメントだけを発する。あまりに郵便的に。
そうではないでしょう。いまこそ,からだの痛みを分かち合いながら,熱く激論を闘わすときでしょう。わたしはどちらでもありません,では議論にもなりません。やはり,ここは,同じ土俵に下りてきて,ガチンコの議論をすべきではないでしょうか。まずは,相撲をとりましょうよ。高見の見物みたいなことを言ってないで。
かつての熱き全共闘の闘士たちは,「どちらでもない」人間を「日和見主義者」といって,きびしく糾弾したものです。どっちか態度をはっきりさせよ,と。でも,あの時代といまとではまるで世界が違います。ましてや,今回はみんなが恐れていた緊急事態の発生です。そんなときに「どちらでもない」などと悠長なことを言っていられる神経が,わたしには理解できない。東さん,あなたのことですから,いずれ,どこかであなたの真意を明らかにしてくれることでしょう。そのときの言説をとくと拝見したいと思います。
しかし,現時点では,大いに失望したというか,あきれたというか,情けないというか,どうにも収まらない気持ちでいっぱいです。だから,その気持ちをとうとう吐き出すしかなかったのです。こうして,書いたあとも後味が悪い,なんとも「悲しい」気分です。そんなあなたがマスコミに持て囃されることが・・・・・。やはり,現代日本の社会はどこか「病んでいる」・・・・・?
1 件のコメント:
今の日本は大いに病んでいると思います。悪意が蔓延しています。
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