2013年2月9日土曜日

柔道の指導者資格に国家試験(フランス)。

 フランスの柔道人気はとても高い,と聞いている。こどもたちなどは,日本人をみると「柔道ができるか」と聞くそうだ。「できるよ」と答えるととたんに尊敬される,という。

 わたしの経験では,アメリカでは空手だった。住んでいたアパートの近くの顔なじみになったこどもたちが,最初にわたしに声をかけてきたことは「空手ができるか」というものだった。「できない」というと失望の色を隠さなかった。あれっ?と思ったので「柔道ならできるよ」というと,一度に尊敬のまなざしに変わった。そのうちの何人かのこどもたちは親とも仲良しになったので,その家の芝生で柔道の初歩を教えたりした。教えたのはもっぱら「受け身」。「受け身」の上手な子でないと柔道は強くなれない,と教えた。子どもたちは真剣そのもの。親も興味津々。

 さて,フランスに柔道を伝えたのは講道館の門人たちである。その歴史は古い。かれらは徹底して嘉納治五郎の精神を説き,柔道の技を教えたという。立ち居振る舞い,礼儀作法,精力善用,自他共栄,等々。柔道は相手があってはじめて成立する。相手のお蔭で自己が存在し,柔道が成立する。その関係性を大事にすることが柔道の基本である。そのむかしに読んだ本の記憶を思い出しながら,この文章を書いている。

 フランスの柔道は,はじめにインテリ層に広まっていったらしい。そのため,柔道のもつ精神性に強い関心が向かい,東洋的なオリエンタリズムの助けもあって,じわじわと一般の人びとの間にも普及していった。

 毎日締める帯の色で区別する段級制度はとてもわかりやすかったようで,みんな一生懸命に昇段試験に挑戦したという。やがて指導者になりたいという人間が現れる。そのときの日本人指導者が,柔道は強いだけでは指導者にはなれない,と教えた。指導者は,高い教養と立派な人格者でなければならない,と。そうして,柔道指導者となるための試験制度が少しずつ整備されていったという。それがこんにちの国家試験につながっている,と。

 フランスでは,柔道の指導者になるには国家試験を受けて合格しなければならない。その試験はとてもむつかしくて,相当のインテリでもなかなか受からないという。なぜなら,段位は少し頑張ればなんとかなるが,教養の試験はかなりの広範囲にわたるからだ。しかも,柔道の指導者は一般の生活人の範となるレベルが求められている。さらに,指導法の巧拙が問われるからだ。指導法は,まずは,子どもたちに好かれ,信頼される人格者であるかどうか,その上で,子どもの興味・関心を上手に引き出せるかどうかが問われる,という。

 こうして,柔道指導者は国家試験をパスしてその資格をもつだけで,社会的ステータスが保証されるという。だから,柔道が好きになった人は,将来指導者になるかどうかは別にして,とりあえずは指導者資格取得をめざすそうである。こうして柔道の指導者資格をもった人たちが,いまも,増えつづけているという。

 こういう人たちが,道場に通ってくる柔道愛好家や子どもたちを指導し,あるいは,学校に派遣されて,子どもたちに柔道を教えている,という。だから,子どもたちはみんな一度は柔道に憧れる,という。しかも,柔道による事故はゼロ。日本では100人を越す死者がでている,という。もちろん,フランスでは,柔道指導者による体罰もなければ,暴力もない,パワハラもない。もし,そんなことをしたら社会的な信頼を失い,生きていくことすらままならなくなるという。

 柔道の本家であるはずの日本が率先垂範しなくてはならないことを,柔道移入国のフランスが行っている。全日本柔道連盟は,まずは,こういうところから手をつけていかなくてはならないのだろうと思う。柔道を必修化すればいいという問題ではない。柔道指導者としての資格のない先生が短期間の講習を受けて,にわかづくりの柔道の指導者で間に合わせていること自体が奇怪しい。その奇怪しさを文部科学省は目を瞑って,見て見ないふりをしている。いま,まさに向き合っているこの柔道指導者の不足をどのように解消していくのか,そこからはじめなくては。

 まずは,隗より始めよ,という。
 全日本柔道連盟の理事のみなさん。フランスの国家試験を受験することからはじめてみてはいかがですか。そして,それに合格した人のなかから監督・コーチを選んだらどうですか。そのくらいの思いきった改革でもしないかぎり,15人の「自立」した選手たちの要望に答えることにはならない。厳しいが,一度は通過しなくてはならない,きわめて重要な課題である。

 それくらいの勇気と決断をなしうる力量が,いま,全日本柔道連盟に問われている。

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